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あげちうのブロマガ

あげちうの日々の色々な事

今を、誰が創ったか

2022-01-31 11:06:59 | 日記

王の権威それは、確かに或いは最大公約数的な安定を選ぶのかもしれないが。

それでも、そこに居るのはあくまでも、一人なのだ。

「果たしてソフトウェアのダウンロード販売は、本当に小売店潰しなのか?」

と、いきなりか少し考える。とは言え慎重にはなりたい、そのすぐ前には「俺がガンダムの作者だ!」とか、”そう言う声”もあった。ガンダムの作者、それは混沌だ。経緯的にも、良く解らない部分は多い。ともかく昭和天皇の意向、それが強く出たのは間違いないだろう、そして同じく現場の感覚もまた。そして、その折衷案的に帰結したフィルムが、今日に至る発展の礎と化した。或いは、願いは一つだ。

戦争の無い世界を。

そこに対して今、それを”誰”が願ったのか?それは、誰も明言はしえない。


だから逆に、「私が作者だ!」と言う、その声にも、誰も反論し得ない部分はあって、バカバカしい事を言っているのに微妙に、そこには一抹の真理?そう言うのも、ある。どんな創作だろうと「作者は居る」のだ、だとしたら、それは可能性としては実在もする。

もちろん今、”それ”を曖昧にしないと、創作は利益性を持てないのだが。


「資本論」にも、実際には欠けた部分かもしれない。結果、この思想は、「資本主義」と「共産主義」それに分化し、今日に至る冷戦的な状態、その元凶とは化した。目指したのは同じ事かもしれないが、解釈かの差で、それは真逆な様相を見せ…核兵器の増設競争にも入った。多分、「どっちが正しい?」を問われた時、そこに返答が無かったから、だろうか。二分の一の答え、それは無い、それを問われた時、”作者”はそこに何を残したか、ともかく今は、その部分は削れているのかも。

作者に聞かねば解らない部分は、結局作者が居なくなった時点で、喪失していて。

それが多分原因で、或いはイスラム教も今も、対立と戦闘は続いている。


誰か一人の主義、正義では、結局は維持出来なくなる状況は、ある。

その時、自分さえもまた、「絶対に正しい」それは、言えない事に、少し考えはする。


例えば小売店にとって、百も二百も販売されるゲームソフトを買うのは、苦痛だ。返品できるならともかく?その在庫は次第に重くなっては行く。そんな物を売らされるよりは、ゲームをダウンロードし得るカード、その方が小売店には有益では?そんな現状は、果たして何かの間違い、それだったろうか。

古き良き、だ。ゲーム屋に行く、壁一面に並んだゲームソフト、それを手に取ったりしてる、そんな時間は、当時は十二分な娯楽だった。その現実はしかし、今に至る結果ではある。売れるゲームソフトを創らなかったから、だろうか、それとも、もっと別の。

過去を見ているよりは、前を見た方が良いのかもしれないのだが。

それで積み上げた負債それは、平成の呪いではある。

 


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https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10559822
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異世界への片道切符

2022-01-30 11:07:22 | 日記

自分も、自分の視界しか見ていない。

なので、例え地元であっても「知らない領域」と言うのはもちろん、ある。

一応、”雅”市場、ともかくストリードの連携をする限り、”そこ”に売春婦の必要性は、無い。しかし、逆に言えば?この領域は彼らを護らない、かもしれない、転職を促す位がせいぜい。

その是非はある。


一応「ストリードの連携」、”この”施行は、経済を好転させる”筈”である。漫画本が売れれば本屋に行く人も増える、或いはネットカフェ、アニメショップなどの関連業種も活性化する。その結果、雇用先が増え、それが十分な雇用を確保し得れば、無理して売春婦、それを選択する必要性は薄れる、筈である。

…という方向性が、果たして今、窮乏かしている?売春婦の人々、それに対して意味を持つか否か?それはちょっと解らない。

自分の理解では、この職業は、「ほぼ自殺行為に近いモノ」でしかない。正に身を削って売る事で生活する、古くも娼婦の人々と言うのはそんなに長生きしなかったという話、命を削る商売?が、何故存在するか?と言えばもちろん需要があるからだ、が。その帰結に、権力者の横暴、そう言うのがある。

それの象徴と言うか、抽象化というかが、「強奪連鎖」その絵、ではあり、もちろん娼婦とは?その最下層に居る人々、には成る。”ここ”に落ちない様にすれば、その前に救援が届けば、強奪連鎖は一応は発生しない。そして、そこに行く人がいなければ、その商売も人材不足、成り立たない。つまり、この職業は必要無い。

結果、自身の主張、それが広がる時、娼婦と言う職業の必要性、それは消える訳だが。

 

今までの歴史上、そういう時代はほぼ、無い。

”そこ”に向かう、という事の是非ではあるが、しかし。現状の新型コロナウイルスは、「強奪連鎖」その肯定から発症する。”それ”を否定しないと経済も成り立たない、のは現在の物理でさえ有って、”そう言うの”に逆らう、のはあまり正しくない、とは言う。
…それでも、彼らの存在、犠牲、そう言うのさえ有れば、何かの”無理”は可能になるのだ、それは間違いない。人を超えたパワー!と言う奴を手に入れる方法はそこにしかない、技術だけでは越えられない壁があるが、その時、犠牲はその不可能を可能にする。

そう言うのに、依存してきた今までではある。

そして、そう言うのが”雅”市場、その前にある壁、でもある、”人間”が超えるのは少し骨だ、が。

それでも、彼らだって、新型コロナウイルスを前に、どうにも出来ていないのだ。

そしてそれは、強奪連鎖の否定、それでしか或いは抑制出来ない。

正義は勝つか、或いは?


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https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im8658259
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不意に消えていた世界の思い出

2022-01-29 10:21:19 | 日記

前に書いた事がある。

製作部門と販売部門が同一会社では、「売りつける事が出来てしまう」のでは。

とか言いつつかむろぎの「遊輪R計画」それは一体何なのか(゜_゜)。

ともかく、SEGAのゲームセンター部門が独立し、GIGOと言う別会社になった。内容その物は以前に既に始まった話の結末でしかなく、それは解っては居ても。当時はまだ、SEGAブランドは残す様な話もしていた…それが消えた、と言うそこにはやっぱり寂しさの様なモノは、ある。

自分の状況、それは相変わらず正確には把握できてない、ただ、或いは以前に書いた「ゲームセンターが製作会社のブランドを背負って居たら、どんな駄作でも買わねばならないのでは?」結果だけは出てしまう、それは良くない、と言うのを書いた帰結?だったりしたら、少し微妙な気分には、成る。

個人の創案だ、実績の様なモノが見えてない状態で、SEGAと言うそれでもビッグネームが”それ”をした?かもしれないと言う、そこには微妙な何かは、責任だろうか?そういうのは、ある。

それを感じる時、そこには逆に、反対した人々の声、そう言うのも有る訳だ。「エヴァンゲリオン世代の頭の悪さは」或いは、それはその辺から来ていたのかもしれない。彼らにしろ、ダイレクトな時代ではある、”それ”が、何かの一言?それによって崩壊していく、それはそう言う絵に成っていた、かも。

結果は結果にしろ、そうだったろうか、平成の、彼らの黄金期を護らんとしたかのそれは、「愚か者」それで片づけて良い話か、少し考えはする。


ちょっとこう、自分も感覚が歪んでる、感じもしない事も無い。何か、頭でっかちさが有る様な無い様な。意識しない増長と言うか、そう言うのは、今の状況で有る、のかもしれず(・・・)。ともかく今後、SEGAは「相手」が買ってくれる、或いは相手に利益を提供し得るゲームを創らねばならないし、GIGO側は「そう言う物」を要求し、そうじゃ無ければ買わない、と言う事をせねば、双方生き残れない?訳だ。「健全」と言う視点では、解りやすい絵には成る、訳だが。

とは言え、世代か、「SEGA」そのブランドに何かの夢を見ていたのは間違いない。それが消えた、或いは壊れた…それは、自分にも少し重い物はある。

”そこ”はもう、SEGAじゃないのだ。

その世界はもう、存在しない。

「世界を失った」と言う、実際は結構、大きな喪失だったのだろうか?

それを要求したかの、自分のした事?それは、正しかったか否か。

「罪」と言うのは、或いは良かれと思って積み上げていく物、だろうか。


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https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im5644487
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それを見ている理由の一つ

2022-01-28 11:34:10 | 日記

ともかく、「働いては居る」その認識を得る事は出来る。

その意味で、一つの有用はあるのだけど。


自身の構築した物、”雅”市場、ストリードの連携、大賀さん、そう言う構造的な何かは、十分な強度と道理を持ち、「増える」それを具現化はしている。「価値」と言う点では∞と言って良い継続性を持って、”それ”は必要分の供給を可能にはしている。「価値」と言う視点では、必要なモノは幾らでも配れる、と言うのは有るかもしれない、もちろんそれもまた、「大賀さん」その神判を通れば、だが。


と言う時、現状、創作の利益性、そう言うのが大事な状況では、ある。その価値の増大が、経済を活性化させる事には成る。故に、”それ”を視聴する、と言う事には相応の価値が、意味がある、訳だ。貴方がテレビを見てる時、誰かは働いている、その「最低時給」をキープする為に貴方はその作品を(或いは報道を)見てる、と言う、それは道理として通しても良さそう?それは社会的に「貴方は必要な存在です」と言う、そんな意識を与えてはくれる…筈ではある。

そうであれば?高齢者がテレビをずーっと見ていても、別に存在を責められる言われも無い訳だ…「社会に必要な事をしてんだよ」それは、結構重要な話。

また、「直接は対価を要求しない」製作者らにしろ、広告費、それを請求する理由、それには成る、と言うのはある。理解としては「視聴者の得た価値の内、1割は製作者に帰る」と、そう言う感じ、だろうか。曼荼羅的な感覚だが、”世界”は0~9の集合で出来ていて、その中の”その人にとって0に相当する部分”は不要と言うニュアンスになる、それは捨てる時、それは異世界を通り作者へ変換される、事に。

あくまでも、「価値」そう言う感覚の話だ、そうであれば、どうとでも成る、部分はある。30分番組を、100万人がフルに視聴していたら、30分×最低時給900円×100万人×0.1で、まあ4500万円分の「価値」を、制作側は得ている訳だ、「評価」そう言っても良いモノ。”それ”を蓄積する事で、何かの、制作側としてのランクが上がっていく…そう言うのは、ある。そのランクは単純に、”発言力”に変換はされるのだろうか。そう言うのを蓄積する方が、世界をある程度は変える力を得られる訳だ。「大賀さん」その戦場では、それは重要なパワー。

”それ”を換金したら、逆にランク的な物は下がってしまう?としたら、換金はしない方が良い…そう言う場合は、有るかも。

換金に付いては「”雅”市場」そのルールが適用されるだろう、「良いと思う」が集中する時、それは、実際の数値には成りやすい。

何となく不思議な否定感と肯定とがせめぎ合っては居る。

とは言え、失う訳には行かないモノと言うのは、時に。


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https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10572401
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見ていた視線の先と結末

2022-01-27 10:41:11 | 日記

理不尽と言えば理不尽ではある。

「今までなら許されたのに?!」と言う、そこに有る何かの失望は問題と言えばそう。


事件と言う程の事も無いが、毎度か、「ファイナルソード」に続き、switch用ゲームで問題作が問題になり販売中止になった、らしい。という訳で、例のアートスケール適用をして見る。

「デュエルプリンセス」
主題 4頭がライトタッチな女の子って良いよね
情景 4戦国時代の国盗り合戦
描写 3サイドビューアクションで
注意 9お姫様達がエロイ
主張 4いいでしょう?
矛盾 2何でスイッチで?

技術 6美少女はエロい
個性 2スイッチでやるか
一般 2エロゲー?
独自 3ギャルゲー?

39点

そう言う意味では、一応、「最低ラインの突破はしてる」訳だ。出しちゃいけないゲーム、という程の事は無かった。それまでは、50点以下、というのが何かの枷だった事を考えると、”今まで”の状況にも合わせてたのに、結果的に販売中止、と言うのは、若干かの寂しさと言うか、理不尽はある。


これをもって「状況が変わってる」と言って良いかどうかは解らない。今までも有った話だ、その、良くある一例かもしれないのだけど、果たして”ここ”に有るストレスは、今までが理不尽だった、と言う事に成るのか。今までのゲームは本当に、作者が望んで創ってきた物か或いは?ではある。


「状況は変わってる」としたら、やむを得ない訳だが。

「利益を得る為にはやむを得ない選択だった」としたら、それは面倒な話の一つだ。


現状、把握が正しいなら「出来ればアートスケールで70点以上は欲しい」と言うのが、市場的には要求、ではある。しかし、そう言うのを創る所に今まで重い否定があった、それは間違いなく。”それ”を目指すと剣呑さを背にする事になった、それはでも、ここで薄れた…そう言う事は、考えられそう。

微妙な話だ、今まで?或いは上手くやってそこに居るのに、”それ”が原因で販売中止に成る、と言うそれは。でも、結果論では今までのそれに因る”道理”、だろうか。


結局、”これ”しか創れない、人々は或いはこの先、職が無い、かもしれない。道理として妥当だ、としても、”それ”は外因に因る物だったか、それとも本人らの因果か。平成30年は、”こういう作品”それを量産してしまった、そこに特化した技術者、それは今後、何処へ。


そう、考えたら「今までの環境」で、何とか生き延びる様に?”上手く”調整していた人々と言うのは無視出来ない数で居るのかもしれない。その人々の結果が「こういう結果」だ、と言う、そこに残る物ではある。

客を見ずに上を見ていた、それはその結果でしかないのなら、それは神の神判ではあるが。


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im9664330
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