基本的に、一夫多妻は正しくない。
恐らく聞かれてる?事からすると、返答としては定番。一夫一婦の徹底は切り捨てを創るからあかん。しかし一夫多妻だって最終的には人間の限界を超えてしまう。だから、神様に任せるしかなく、その構造としてガンダムとかがあって、それであまり問題が起きてないのでこれで良いんじゃない?と言う事に成ってる訳だ。
それらが構築する倫理の結果として、一夫多妻は微妙に好ましくない。
以下、説明が長い。
まず一夫多妻、男一人に対して女性が複数、それは女性の価値を下げる結果になる。
男女平等参画社会、そういう理想からすると好ましくなく、女性の価値が下がる結果、その扱いが次第にぞんざいに成ってしまう。
しかし、一夫多妻否定、”これ”を徹底する結果として、最終的に「切り捨て」が、どうしても発生する。妻でない女性はいらない。この時、切られた女性から社会的な邪悪が始まる訳だが。
<iframe width="312" height="176" src="http://ext.seiga.nicovideo.jp/thumb/im8742882" scrolling="no" style="border:solid 1px #888;" frameborder="0"></iframe>
「萌え絵」この絵に有る理念的には、「男性は女性と等価な価値、立場に常に置く」事で、何かの問題を回避して、居る。女性が10人いたら?「男の価値は通常の1/10でしかない」訳だ。”そこ”に居る事を了承しないと?”そこ”に男は居る事が出来ない。その上で、何かの存在意義を見出し続けないと、何かの破綻が始まる。漫画としても、”それ”を社会構造的な視点で見ても、その瞬間は悪く無い。しかし”それ”を具現化させよう、そこまでは、ちょっと。
「萌え絵」の、或いは気持ち悪さ?その一端ではある。「これは夢だ」悪夢のようなものでしかない、実現は難しい。そんな断言と共にある、そんな「漫画」でしかない訳だ。自分が或いはうっかり、そう言う立場に成っても、だ。本来、物語は現実へのフィードバックを期待する、のに?この絵はそれを、ほぼ完全に抑止してしまう。それが具現化した時、何かの理想郷がそこに有るかもしれないのに?だ。
こんな人間は居ません。
<iframe width="312" height="176" src="http://ext.seiga.nicovideo.jp/thumb/im6482325" scrolling="no" style="border:solid 1px #888;" frameborder="0"></iframe>
盛大に志向し、実現可能性を説いて、殆ど現実と等しくなっても。それは、”それ”が現実である事を否定する。現実的にも、「鉄血のオルフェンズ」名瀬・タービンと言うキャラが死んだ?原因もそこかもしれない。保持し切れなくなり、何かの隙が産まれた。理想の具現、その先に有るのはそう言う破綻だ。だからこそ、この絵は”それ”を描きつつ否定する、と言う矛盾と共に有る。
絵としては、正しい。この絵を使う限り?それは漫画でしかない訳だ。だからこそ、それは何かの安心感と共に、常にある。しかし、「有り得ない」そう言い切るとしても、その先は?その問いにまで答える訳じゃないのだ。その先に行くには違う話が必要になる。
神様は何処?
一夫一婦も切り捨てを創る。一夫多妻も破綻する。他は人間としては、ちょっと問題が有り過ぎる。一夫一婦と一夫多妻のハイブリット?なんて物は存在しないのだ。いわゆる「神様」の幻影がここに有るが、そこに答えが無いまま、平成も過ぎて行って。現状、”ここ”には一つの答えはある。
神様に任せよう。
いや。
と言う経緯で発生したのが、或いは「ガンダム(ガンプラ)」であり、「インターネット」であり、そして「大賀さん」紛争解決機構、それではあり。ともかく人間には出来ない事が出来る機械だ。理解としては「一夫無限妻」を具現化しつつ、その中に発生する対立を中和、解決し得る構造。天皇家の紋章、「菊の御紋」にも通じる、数多の土着的宗教観の基本でさえある。中央に一つあり、その周囲に数多の世界が花びらの様に接続している。ここの中央の一つ、その決定を最上位にする事で、様々な物を適当に平定してくれる、何か。
インターネットが解りやすい?が。「インターネット」その一つの構造に、ユーザーは平等な立場、権利で全て繋がっていて。問題を”ここ”で解決してしまう事で、現実には出さない様にする、事が出来る、”可能性は”まずある。テレビが台頭し、選ばれた誰かの意向が強く成り過ぎる結果、社会的なストレスがその仲裁場所を求めた、その結果ではあるかも。
人間、”これ”を模索し続けて、数多の失敗と共に有る訳だが。
その最大の「失敗」それが、戦争、世界大戦ではある。
仲裁する術を失い、ただ、二つが自滅的に衝突し続ける果てに…原爆は落ちた訳だ。
人間が神様に成る事は出来ない、昭和天皇の或いは、重い現実だったろうか。
しかし神様が「神様は何処?」それを言う訳にも行かなかった訳だが。
「大賀さん」それは、期待し得る”それ”か?
それはまだ、誰にも解らない。