あるHPによれば、ロキシー・ミュージックのリーダーだったブライアン・フェリーの高校時代の趣味は、自転車とロック・クライミング、そしてファッションでしたそうです・・・え、ファッション??
いかにも良家のお坊ちゃん風ですが、実は貧しい家庭に育った彼は、休みになると、朝刊、夕刊両方を配り、その合間に紳士服店「ジャクソン・ザ・テイラー」で働きながら、ファッション・センスを磨いていた?そうです。
その後、彼は大学時代に芝居の世界にも足を踏み入れ、シェークスピアの作品に出演したりだとか、さらにアート・スクールに入学して絵画を学んだ後、例の美術の教師もやったと。
で、彼独特の美意識が形成されていったそうです。
本日の写真のジャケットなどは、最高のセンスです。
暗闇に浮かぶ原色、動と静、楽しいパーティに暗い表情・・・
絵画で学生時代から日展に入選し、学生なのに画商がついていたというカールスモーキー氏ともやはり共通します。
そのHPの作者は、ロキシーのイメージを、50年代アメリカのギラギラ輝くネオンのイメージとケルト文化へと通じる歴史と伝統に支えられたヨーロッパの頽廃美、この二つではないでしょうか?ととらえております。
僕は50年代アメリカをよく知りませんのでわかりませんが、僕にはヨーロッパの正統派キャバレーやレヴューrevue的華やかさ、そして空間芸術性を連想させます。
日本でいえば、実力派チンドン屋さん・・・?
または宝塚のロック版というか。
そして後半のヨーロッパ的退廃デカダンス・・・ケルトまでたどれるかどうかはわかりませんが、これには賛成です。
ケルトとはご存知かもしれませんが、ギリシャ人がケルト語を話す、西ヨーロッパに住む人々を指していった呼称なので、特定の人種、というわけではなく、ローマ人はガリアと呼びました。
元をたどれば、中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来した、インド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族のことだそうです。
ご存知のように、イギリスのウェールズ地方や、スコットランド、アイルランドなどが有名ですが、チェコやルーマニア、遠くトルコにまで住んでいたそうです。
いかにも良家のお坊ちゃん風ですが、実は貧しい家庭に育った彼は、休みになると、朝刊、夕刊両方を配り、その合間に紳士服店「ジャクソン・ザ・テイラー」で働きながら、ファッション・センスを磨いていた?そうです。
その後、彼は大学時代に芝居の世界にも足を踏み入れ、シェークスピアの作品に出演したりだとか、さらにアート・スクールに入学して絵画を学んだ後、例の美術の教師もやったと。
で、彼独特の美意識が形成されていったそうです。
本日の写真のジャケットなどは、最高のセンスです。
暗闇に浮かぶ原色、動と静、楽しいパーティに暗い表情・・・
絵画で学生時代から日展に入選し、学生なのに画商がついていたというカールスモーキー氏ともやはり共通します。
そのHPの作者は、ロキシーのイメージを、50年代アメリカのギラギラ輝くネオンのイメージとケルト文化へと通じる歴史と伝統に支えられたヨーロッパの頽廃美、この二つではないでしょうか?ととらえております。
僕は50年代アメリカをよく知りませんのでわかりませんが、僕にはヨーロッパの正統派キャバレーやレヴューrevue的華やかさ、そして空間芸術性を連想させます。
日本でいえば、実力派チンドン屋さん・・・?
または宝塚のロック版というか。
そして後半のヨーロッパ的退廃デカダンス・・・ケルトまでたどれるかどうかはわかりませんが、これには賛成です。
ケルトとはご存知かもしれませんが、ギリシャ人がケルト語を話す、西ヨーロッパに住む人々を指していった呼称なので、特定の人種、というわけではなく、ローマ人はガリアと呼びました。
元をたどれば、中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来した、インド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族のことだそうです。
ご存知のように、イギリスのウェールズ地方や、スコットランド、アイルランドなどが有名ですが、チェコやルーマニア、遠くトルコにまで住んでいたそうです。