医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

B級愛Bフェリーの美学6

2008年04月19日 06時40分51秒 | Weblog
 ケルトといえば、もはや俊輔のセルティックが代名詞。

 で、日本でケルトというと、なんだかメルヘンチックで、ロマンチックな童話的世界を思い浮かべがちですが・・・・

 それはまったくの誤りであって(そこまでかどうかは・・?)、ロマン主義の時代にイギリス人がガリアの伝説的詩人「オシアン」の作品と称するでっち上げの偽作でもってそのようなイメージを作り上げたんだそうです。

 ケルト人というと、僕も独特の神話や、アニミズム、動物崇拝、アーサー王、森と妖精・・・そんなころぼっくる的イメージが湧きますが。

 それらのイメージがでっちあげだったとは。

 またヨーロッパ人が、現実というか、目に見えるものをいかに忠実に作品として仕上げるか、という「具象化」が芸術として尊ばれるのに比し、ケルト人はそのようなものにはまったく価値観を持たず、自然の形態や具象化にこだわらなかったそうです。

 むしろ、計測したり、写し取ることが奇異に映り、それよりも流れ行くさま、移ろい行く過程、そんな宇宙の根本原理を重んじたそうです。

 その証左として、ケルトの渦巻き模様には「反転しひねれながら無限に連続・増殖するかたち」が一貫して守られているのだそうです。

 というと、日本人固有のわび・さびや、もののあわれ観、仏教の空(くう)、東洋の太極思想、陰陽道などが連想されますが、いわゆる陰陽の明確な二分割、あるいは三分割ではなく、永遠に続く無限の要素があるそうです。

 ってことは、イスラムのアラベスク・・・?

 またケルト人は文字を持たず、文字にすることをふさわしくないとむしろ避けていたようで、圧倒的記憶による伝承口承による文化継承だったそうです。




 そのどのあたりでブライアン・フェリーがケルト文化に通じるのかは僕には不明です。




 しかし彼のデカダンスの場合、いわゆるキリスト教懐疑主義だとか芸術至上主義ではなく、ただ頽廃的、非道徳的という意味でのデカダンス・・・といったらよいのでしょうか?

 滅び行く、壊れ行く中世のお城的なイメージがあります。

 そこにインテンショナルなB級性を加味して、趣味良きチープさと独特のけばけばしさを出していると、僕は感じます。