医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

トルコの美談 5

2008年04月07日 08時20分04秒 | Weblog
 忘れもしない、1985年、今から23年前、イラン・イラク戦争の際、イラクによるイラン空爆が始まりました・・・

 3月17日に至って、イラクのサッダーム・フセイン大統領は「3月19日20時半以降はイランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」という声明を出しました。

 日本には当時、日本の自衛隊による海外での邦人救出の法律がなく・・・

 え?え??

 日本航空もイランの首都テヘランに便はないばかりか・・・

 その上、日本航空チャーター機の派遣も反会社側労働組合の反対もあり・・・

 日本政府がもたつき、タイムリミット前に救出する時刻に間に合わない事態となり、日本航空も「帰る際の安全が保証されない」と、な、なんと同胞を見捨てテヘランへ飛ぶのをあきらめてしまったそうです。

 国や同胞から見放され、テヘランでパニックになる日本人215名。

 日本政府や日本人による日本人救出が遅れて取り残されてしまった日本人を、テヘランまで命がけで迎えに行ってくれて、成田まで無事連れ帰ってくれたのが「トルコ航空」なのです。
 
 トルコ政府は決断し、トルコ航空の乗組員は自分たちの危険をもかえりみず、在イラン邦人215人全員、ぎりぎりタイムリミットの1時間前に救出してくれたのです。

 さながら映画のようであります。

 感涙ものです。 





 でもみなさん、なぜか知ってますか?

 理由があるんです。




 それは明治時代にさかのぼりますが、「エルトゥールル号事件」です。

 トルコの軍艦エルトゥールル号が日本沖で遭難した際、和歌山県の島民が懸命に救出に当たり、トルコ人を腕に抱き人肌で温めて介抱に当たったといいます。

 命がけで船員を救助し、自分たちの非常用の食べ物まで分け与えて助けて差し上げ、それを聞いた明治天皇が日本軍艦を出し、生き残った船員をトルコに送還してくださり、さらに後日、日本国民から集まった義援金も贈られたのです。




 前トルコ大使いわく、

「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人達や日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人達は忘れていません。

私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。

トルコでは、子供達でさえ、エルトゥールル号の事を知っています。

今の日本人が知らないだけです。」




 なんていい話だ~!!!