医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

ドレスデン剛胆王の美感7

2007年03月14日 12時11分14秒 | Weblog
 当然ながらベットガーの錬金術が詐欺だと発覚し、ベットガーは怒った剛胆王から磁器を作るように命令されました。

 王様をだましたわけですから、磁器を作らなければ死が待っているだけのベットガーはしかし、3年をかけてついに白色磁器を完成させました。

 インチキ野郎も案外やるものですね。

 もともと磁器はカオリン(高嶺)と呼ばれる陶土から作られるのですが、カオリンはケイ酸アルミニウムだとか、カオリナイト鉱物(アルミナ質粘土鉱物)というものだそうです。

 ザクセン公国のアウエという所の白い土を原料に、カオリンを主成分とする中国磁器の製法を発見したようです。

 さらにマイセンでは、日本の磁器よりさらに高い1400度以上で焼くことのできる土を使用するために、高温でも崩れないように少し厚手になるそうです。

 そしてマイセンはカオリン含有率65%と、世界一の磁器質であるために、精細度も高く、非常に硬い磁器となるそうです。


 ではここで、よく「陶磁器」といいますが、「陶器」と「磁器」はどこがどう違うのでしょうか?

 「磁器はよりガラス質」、「陶器はより粘土質」というところが大きな違いです。

 「磁器は石もの」、「陶器は土もの」とも言われますよね。

 また「磁器」は撥水性、「陶器」は吸水性ですが釉薬が水を通さないようになっています。

 通常焼き物というのは、「長石」、「珪石」、「粘土」から成り立ちます。

 珪石が、以前ガラスのコーナーで書いたように、ガラスの主成分です。

 そして長石が珪石を溶かしますから、これが多いと「磁器」になるそうです。


 その配分はおおよそ、長石:珪石:粘土が、「磁器」では3:4:3、「陶器」では1:4:5だそうです。

 そのため「磁器」ははじくとチ~ンと金属音がします。

 「陶器」は「磁器」に比べ、ガラスが少ないために透けず、穴ぼこだらけだそうです。

 また「陶器」の粘土はカオリンを含みません。

ドレスデン剛胆王の美感6

2007年03月13日 10時57分39秒 | Weblog
 そしてそして剛胆王はなんといっても、「マイセン」の生みの親、ヨーロッパに磁器文明を開化させた王で有名です。

 フランスのルイ14世もそうですが、剛胆王も東洋の磁器に魅せられ、磁器を「白い黄金」として、中国の景徳鎮や日本の柿右衛門を深~く愛しました。

 そのコレクションはなんと25,000点とも5万点ともいわれます。

 どれくらい愛したかというと、剛胆王は自らを「磁器病」と称し、磁器の城に住みたいと本気で願っていたそうです。

 磁器フェチですね・・・わからんでもない。

 あるとき剛胆王はプロイセンにあった高さ1メートル程もある蓋付青磁花瓶がどうしても欲しくなり、自分の精鋭600人の龍騎兵と交換にプロイセン国王から譲り受けたそうですが、その後そのときの兵士たちにあろうことか自国を攻め入られた、という笑えない逸話もあるそうな・・・真性ですね。

 なんだか憎めません。



 マイセンの歴史はヨーロッパの磁器の歴史です。

 ヨーロッパでは他にも、例えばイギリスは「ウェッジウッド」の<ジャスパーウェア>で有名な、ウェッジウッドブルーと呼ばれる、ペールブルーの空色もとっても気品があふれきれいですよね。

 ハンガリーのヘレンド、フランスのベルナルド、デンマークのロイヤル・コペンハーゲン、イタリアのジノリ、イギリスのミントン、日本国産だって、ボーンチャイナのノリタケ、ナルミ、NIKKO・・・きりがありませんね。



 女性のみなさま、憧れのマイセンは実は日本の磁器や文様、柄の模倣が多いという事実をご存知ですか?

 マイセンの偉業は剛胆王の「異常な愛情」と情熱からですが、しかしそれに加えて、なかなかユニークないかさま錬金術師「ヨハン・フリードリッヒ・ベットガー」を忘れてはなりません。

 飲んだくれのインチキ錬金術師ベットガー・・・彼こそがマイセンの、ヨーロッパの磁器の歴史を開いたのです。

 プロイセンで失敗して逃げ込んだニセ錬金術師ベットガーは、今度はうまいことやって剛胆王に取り入りました。

 しかし金は単体ですから、何かから作ること(錬金)などは現代でもできません。

ドレスデン剛胆王の美感5

2007年03月12日 12時53分31秒 | Weblog
 ドレスデンには、そのほかにもレンブラント、ルーベンスや、マルティン・ルターの友人で小悪魔的なヴィーナスが有名なルーカス・クラナッハ、ドイツルネッサンスの巨匠デューラーなどヨーロッパを代表する画家たちの膨大な数の作品が公開されているそうです。

 さらにさらに「田園の合奏」で有名なティチアーノ、西洋で一番美しいヴィーナスといわれる「眠れるヴィーナス」のジョルジョーネ、ちょっと不気味だけど緑の服のひだが美しい「アルノルフィニ夫妻の肖像」のヤン・ファン・エイク、以前お書きしたスペインのムリーリョ、聖杯伝説で書いた「アルカディアの牧人たち」のプッサン・・・。

 いやもう、垂涎ですね。

 ヤン・ファン・エイクは、僕が子供の頃アルノルフィニが、家のどこかにレプリカかなんかであって、子供心にはなんだか薄気味悪いんだけど、妙にリアリティがあって、決して大好きではありませんが、なんとな~く心に刷り込まれている絵です。

 これだけのコレクションですから、ドレスデン美術館はヨーロッパでも重要なコレクションを有する施設であると評価されております。

 しかし何といってもお宝は、じゃじゃ~ん、フェルメールの「窓辺で手紙を読む若い女」でしょう。

 独特の光の入り具合や、特に素晴らしいのはなんと透明な窓に移った姿・・・まさに天才だ。

http://stephan.mods.jp/kabegami/vermeer/Brieflesendes1280.jpg

 HPを見ていて気になったのですが、ヨハン・クリスティアン・クラウゼン・ダールという人の「満月のドレスデン」ってのも超美しいな・・名前はお恥ずかしながら、はじめて聞きましたが。

http://www.nikkei-events.jp/dresden/works/works7.htmlの一番下。

 アルテ・マイスター美術館は、建築家ゼンパーによる壮大な建築とその華麗なインテリアデザインが美しいらしいですよ。

 加えて有名な“緑の丸天井” Grüne-Gewölbe・・・はヨーロッパで最も壮麗な宝物館と評されます。

 なぜ“緑の丸天井”かというと、建築部分のマラカイトグリーンの染色によるそうです。

http://pds.exblog.jp/pds/1/200609%2F02%2F11%2Fe0038811%5F78296%2Ejpg

 その金銀秘宝には目がくらむらしいです。

ドレスデン剛胆王の美感4

2007年03月11日 09時22分05秒 | Weblog
 ザクセン侯の美術コレクションは現在、バロック建築の美しい「ツヴィンガー宮殿」の一角を占めるドレスデン美術館や、アルテ マイスター(Alte Meister=古典巨匠絵画館)美術館などで展示されているそうです。

 ツヴィンガー宮殿は、空濠を意味し、剛胆王の依頼を受け砂岩でつくった建物だそうです。

 ドイツのバロック建築の傑作といわれ、「王冠の門」が美しいと思います。

http://www.geocities.jp/dokidokigermanhours/newpage87.html

 アルテ マイスターのコレクションの中のラファエロの「システィーナの聖母」ですが、システィーナの由来は、法皇システィーナ2世がこの絵に登場しているためだそうです。

 ん?待てよ・・・ローマのサンピエトロ大聖堂にも、「システィーナ」という名前が使われているな・・。

 コンクラーベの舞台ともなる、あのミケランジェロの天井画で有名な「システィーナ礼拝堂」です。

 バチカンのシスティーナ礼拝堂の由来は、シスト(シクストゥス)にちなみ、つまりシクストゥス4世にちなんで作られたそうです。

 ということはドレスデンのラファエロの絵は、シクストゥス2世になるのかな。


 ラファエロの描く聖母はたくさんありますが、ラファエロの美感から描いているのでしょうけれど、どうも顎が小さく、目の感じだとか、僕には美しく感じません・・・まあ好みの問題ですけれど。

 しかし「冠の聖母」(ルーブル美術館)とこの「システィーナの聖母」は美しいと思います。

http://www.abaxjp.com/nbng/rafaero.html

 でも「システィーナの聖母」をよ~く見ると、マリアさまの左ひざが曲がって右ひざより前に出ているのに、左足の位置がほぼ同じ高さで右足の後方にあって・・・

 なんだか左下肢が長すぎやしませんかね・・・気のせいですか。

 しかしラファエロと言ったらこの天使、有名な下方の天使の表情がとってもキュートですよね。

ドレスデン剛胆王の美感3

2007年03月10日 06時26分43秒 | Weblog
 このところの写真は(前回のカタリ派から)、雰囲気を醸すために載せているだけであり、本文と直接の関係はありませんので、ご留意されてください。

 剛胆王は1694年 - 1733年が在位期間です。

 剛胆王の時代にはまだまだドイツは統一されておらず、その地区でけんかの強かった諸侯・貴族・王が林立していた状態です。

 その後になってドイツは、以前「琥珀」で書いたように、1806年、神聖ローマ帝国の解体に伴い(かの地はザクセン王国となりましたが)、ホーエンツォレルン家とハプスブルク家が覇権を争い、ようやく1871年プロイセン国王ヴィルヘルム1世がドイツを統一したという流れになります。

 つまりドイツでさえ、地域の歴史と伝統はもちろん古いですが、統一国家としての体をなしたのは、つい130年前なのですね。

 日本が平和なわけです・・四世紀に大和朝廷が一度日本を統一、その後諸侯林立し、1590年には秀吉が全国統一、1603年には江戸幕府が成立しております。

 ドイツより200年近く進んでおりました・・僕たちは自信を持ちましょう。

 おっと、「剛胆王」、アウグスト1世とその息子、アウグスト3世は非常に美術品を愛したそうです。

 そして剛胆王は、戦争で無駄な出費を重ねるよりは、美術品の蒐集にお金を投じたそうです。

 当時としてはなかなかの感覚ですよね。

 NHKでも言っておりましたが、剛胆王は倹約家ではなかったけれども、お金の使い方を心得た王だったと、現代の地元の人の評価でした。

 剛胆王のローズカット・ダイヤモンドの装身具一式は見事なり。

http://www.nittsu.co.jp/supp/2005zenhan/dresden/dresden_2.htm

 また、剛胆王は臨終に際し、息子のアウグスト3世に、王が蒐集した美術品を大切にするように遺したそうです。

 そのアウグスト3世は、父より絵画に対する造詣がさらに深く、なんとラファエロの「システィーナの聖母」を、当時としては破格、町一個が買える値段でイタリアのPiacenza 修道院から購入したそうです。

 その上、代々伝わる全部の美術品の目録を正確に作り、保存に努め、現在でもアウグスト3世のその目録が使われているそうです。

 と、NHKでは紹介しておりましたが、確かに芸術に造詣が深く、それらを蒐集、保存したことは慧眼でしょう・・・しかし、その莫大な費用は市民から徴収したものであり、このような贅の極みと、その後のアングロ・サクソン人の子孫たちの略奪の文化を見ると、果たして額面どおり評価していいものかどうかは・・・

ドレスデン剛胆王の美感2

2007年03月09日 07時09分25秒 | Weblog
 ドレスデンは有名ですから、訪れた方も多いことでしょう・・うらやましいですが、僕は行ったことはありません。

 地図で見ると、ドイツの南北では真ん中あたりで、一番東、つまり右端にあたり、チェコ、ポーランドと国境部分・・旧東ドイツですね。

 ドレスデンとおなじザクセン州に、バッハの聖トーマス教会で有名な、ライプツィヒもあります。

 プラハもそうですが、ソ連に支配され共産化されると、世界経済から取り残されてしまい、皮肉なことに文化遺産が壊されずに保存され、自由主義・資本主義の弱点も浮き彫りになりますね。

 そしてあの欧州磁器の名門マイセンまでは25kmだそうです。

 ドレスデンにはエルベ川が流れております。

 2004年には、ドレスデンのエルベ川渓谷(Dresden Elbe Valley)、ドレスデンを中心にしたエルベ川流域18kmが、世界遺産に登録されました。

 ドレスデンやライプツィヒは、森鴎外も執筆活動を行ったようですし、モーツァルトやゲーテもお気に入りだったようです。


 ドレスデンは第二次世界大戦で英米の徹底的な壊滅的大空襲を受け、廃墟からよみがえった都市としても有名です。

 確か4~5年前、 大洪水があって、大変だったそうですが、あの街なら大丈夫なはずです。

 なぜなら市民に誇りと高い美意識があるからです。


 もともとドレスデンはザクセン人が住んでおり、かつてザクセン選帝公国の首都でした。

 このザクセン人がイギリスに渡り、アングロ・サクソン人のもとになったと言われております。

 そのザクセン選帝公国の君主、 フリードリヒ・アウグスト1世はザクセン選帝公国の君主であるとともに、ポーランド王(ポーランド王としてはアウグスト2世)でもありました。

 王は『スタルケ』、つまりは「強健王」とか「剛胆王」「強精王」とも呼ばれました。

 その理由は、ものに動じないきもの据わったと言うより、きっとまあ女性が大好きで・・・お妃さま以外に生ませた子供は100人を越すんだそうです。

 王の子供が100以上いたら、遺産相続では大変だったのでは・・・下衆の勘繰り。

 先日NHKでこのドレスデンと剛胆王、それにまつわる美術の話が放送されました。

 とってもよい番組だったのでご紹介しますね。

 さすがにNHKでは強精王ではなく、剛胆王と呼んでおりましたが。

ドレスデン剛胆王の美感1

2007年03月08日 05時44分14秒 | Weblog
 物を収集・蒐集するという趣味があります。

 みなさまの中にもお持ちの方がいらっしゃるでしょう。

 時計、宝石、車、食器、美術品、切手、コイン、ガンダム、ベルマーク・・・。

 中には、何でこんなものを・・・ってのを、偏執的にコレクションしている方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 僕は意識的にこれを避けております。

 なぜなら、僕は意外に凝り性のため、きりがなくなり、出費が増えて破産することが明白だからです。

 強いて言えば蒐集するというか、捨てないで残しているのは本くらいなもので、映画や美術品はその場で見るだけ、目の保養にのみにつとめております。

 脳の記憶の中で、あれこれ蒐集を想像して楽しんでおります・・せこっ。

 中でも特に気をつけているのが、「陶磁器」です。

 僕の亡くなった父は歯科医でしたが、陶器が大好きで陶器作りの教室も開いていたようですし、いずれ自宅にマイ窯を持つ計画までしておりました。

 また「何でも鑑定団」的な骨董品も好きだったようで、自宅にはなにやら怪しげなやれ鎧だの、刀だ槍だ火縄銃だ・・・

 さらには母方の祖父もそのような蒐集癖があり、それをビジネスにしていたようで、僕はその両者の血を継いでいるために、はまらないようにしているのです。


 その陶磁器ですが、日本製品の場合、僕個人的には磁器よりは陶器の方が暖かみがあって素敵だなと思います。

 でも西洋の磁器の美しさにも惹かれることも多く、ついつい吸い寄せられそうになりますが、そのたびに首を横に振って、いかんいかんと冷や汗をかいているのです。

 これを蒐集しはじめたら止まらなくなるでしょう・・・破産です。

 しかし・・・つくづく、本当に美しいですよね。

 以前紹介したガラスも・・・特に薩摩切子はぜひとも欲しいとは思いますが、これも見るだけ、見るだけと念じております。

 院内のレンタル絵画も、先日やっと念願のフェルメール「青いターバンの少女」のレプリカを入手できましたが、絵も見るだけ見るだけ・・・。

 さてさて、ドイツのザクセン州にドレスデンという都市があります。

異端カタリ派の美風6

2007年03月07日 09時01分08秒 | Weblog
 カルカソンヌを舞台にした聖杯伝説とカタリ派が主題の、小説「ラビリンス」もお薦めです。

 作者は女流作家のケイト・モス、主人公も王に使える貴族の娘であり、女性が書く女性がヒロインの物語です。

 この小説では、カタリ派の聖杯が何か最後に分かるようになっております。

 ではどうして中世の主人公と、もう一人の主人公である現代の女性との間に、霊的な共有概念が生じるかは、カタリ派の信仰していた「輪廻」の概念を理解していないと、ただの超常現象になってしまい、物語そのものがとたんにうそ臭くなってしまいます。

 まあ、小説というものはそもそも大嘘であっていいと思っております・・・ただしその大嘘がいかに現実っぽく作れるかが作者の腕の見せ所であり、おうおうにして日本人はこの途方もない大風呂敷を広げるのが苦手のようです。

 そしてレンヌ・ル・シャトーは、そのカルカソンヌから南へ40キロ。

 蛇足ながら、百年戦争あたりのイギリスとフランスの関係も微妙であり、フランスのノルマンディー公○○がイギリス王だったり、イギリス王がフランス王を名乗ったり、イギリス王ジェームス○世がスコットランド王としてはジェームス○世だとか、それがシェークスピアの「マクベス」では重要な背景だったりもして、それにしても複雑でわけがわかりません。

 そうそう、以前ゴシックについて書いたときに、教会建築に触れ、それまでのロマネスクによる半円からゴシックの尖塔アーチについて述べましたが、イギリスでの教会建築をテーマに、修道士と石工と、やはり伯爵の娘で主人公といってもよい女性が活躍するケン・フォレットの「大聖堂」-SB文庫-も上中下巻と読みごたえがあります。

 中世からゴシックの頃、ヨーロッパがいかに教会と修道士が街の中心となり、人々の生活に密着していたか、修道士の質によって街の運命が変わってしまうのかが生き生きと描かれております。

 結婚にも、お葬式も、トラブルの解決も、裁判も、悪人の隔離も、学校も、貧困救済も、経済も、街の反映にも、軍を持たない徳の高い聖職者が積極的にかかわっていきます。

 ですから、人々も司教を尊敬し、教会に集まってくるのです。

 日本の住職の方々にもぜひとも読んでもらいたいと思います。

 残念なのが、ラストが尻すぼみで、悪役の逮捕の模様や、フィリップ司教のその後などが、はしょられてしまいました。

 長編にありがちなパターンです。

 まあ、物語そのものはたわいもないんですけど、夢のある大風呂敷は広げてくれます。

 クリスチャン・ジャックのエジプトシリーズをちょっと生々しくした感じ。

 ですが、ゴシック建築のさきがけとなり、フライングバットレスを持たない尖塔アーチ様式の、フランス歴代王族の霊廟となる、フランスのサン・ドニ教会の建築なども出てきて、興味深いものはあります。

異端カタリ派の美風5

2007年03月06日 12時07分11秒 | Weblog
 5~6世紀のイングランドの伝説の王、「アーサー王と12人の円卓の騎士伝説」にも聖杯伝説が編みこまれていきました。

 ここでも12という数字です。

 一方、聖杯とテンプル騎士団の関係も多くうわさされ、テンプル騎士団がカナダかアメリカに聖杯を持ち去ったという説だとか、ダヴィンチ・コードのようにテンプル騎士団が逃れたスコットランドのロズリン・チャペル(ソロモン神殿の複製だとも)説もあります。

 またテンプル騎士団とフリーメーソンの関係にも話題に事欠きません。

 そして<聖杯=San Greal>と、<王家の血脈=Sang Réal>に基づいて、「レンヌ・ル・シャトーの謎」が書かれ、それをぱくったかどうかは争われておりますが、ダヴィンチ・コードの聖杯はソフィそのもの、というストーリーにつながりました。

 「レンヌ・ル・シャトーの謎」では、フランスの画家ニコラ・プッサンの代表作『アルカディアの牧人たち』に注目し、南フランスの山中のレンヌ・ル・シャトーにあるとしました。

 「聖杯伝説」はさらにはブライアン・フェリーのロキシーミュージックが歌う伝説のAvalonに向かっただとか、アトランティス大陸説まで登場します。

 イングランドのスタンフォードシアにあるリッチフィールド家の庭園にあった記念石碑の暗号と聖杯の関連が言われ、ナチスドイツが第二次世界大戦中に開発した暗号機エニグマを破った男、オリヴァー・ローンが、2004年この暗号解読を試み、「Jesus (As Deity) Defy」(イエスの神性を受け入れない)という異端の立場を示したものと発表したということです。

 実際にある聖杯としては、エルサレム付近の教会にあったとされ現在は不明のもの、ジェノヴァ大聖堂、バレンシア大聖堂、メトロポリタン美術館にあるものなどが真の聖杯であるとも言われております。

 ダヴィンチ・コードでは、キリストの死後エルサレムでの迫害を逃れたマグダラのマリアはマルセイユ付近に流れ着き、カタリ派ではイエスとマグダラのマリアが結婚していたという説が伝えられているとされておりました。

 だからといって、仮に聖杯があったとしても、レイダースのように、雷を発したり、科学を超越した神秘の力が宿ったり、不老不死を得られたり、病気を治す奇蹟があるとは僕は思いません。

 でもなんだかワクワクしちゃうんですよ。

異端カタリ派の美風4

2007年03月05日 08時25分30秒 | Weblog
 結果として十字軍は勝利して帰国したのですが、カタリ派の勢力は衰えなかったところをみると、やはり異端狩りは名目上、南フランスの土地ほしさだったのでしょう。

 その後、ローマ教皇グレゴリウス9世が法整備を行い、ドミニコ会員を使って異端審問が行われました。

 それからは本格的な異端審問が始まり、カタリ派は終焉して行ったそうです。

 負の連鎖により、これまた悪名高き魔女狩りも始まり、魔女の疑いを密告によってかけられた場合、自白して早く死ぬか、拷問で死ぬか、いずれにしても死は免れないようなむごい状況でした。

 中には自らの性欲を抑えられないナマグサ司教が、女性を暴行目的で監禁し、身ごもらせ、死をもってごまかした例も多々あったようです。

 ひどい話です。

 さらには「財産」目的・・・事実、異端者の教会による財産没収を禁じられた二年間だけは、魔女狩りは激減したそうです。



 アルビジョア十字軍による、フランス王家とトゥールーズ伯との争いの舞台となった、トゥールーズの南東90km、「カルカソンヌ」の城塞は世界遺産です。

 カルカソンヌ市にシテという城壁に囲まれた街があり、入り口にはコムタル城があります。

 城壁内にもホテルがあり、ってことは中世のお城の中に泊まれるようです。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b1/2005-08-24-Panorama-Cit%C3%A9-Carcassonne.jpg

http://www.geocities.jp/sjwatabe/carcassonne.html

 アルビジョア十字軍の最後の侵略の舞台となった、モンセギュール城からカタリ派信徒が逃げ出すときに聖杯を持ち去った、というまことしやかな噂があり、それもいわゆるカタリ派の「聖杯伝説」につながっております。

 聖杯伝説はフランスで、吟遊詩人ジャングルールたちにより、世俗的な騎士道文学から生まれたようです。

 その頃は印刷技術もなく、民衆は文字も読めなかったでしょうし、作家もいなかったでしょうから、日本での琵琶法師のごとく、吟遊詩人が物語を編纂していったようです。

 そもそも聖杯とはキリストが最後の晩餐で、その杯から弟子たちにワインを与え、さらにはキリストが磔刑に遭ったときにマグダラのマリアが流れ出た聖なる血を受けた杯とされ、聖遺物として古くから未知の力を持つ秘宝として扱われてきたもので、下記のような形状をしております。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/98/Saint_calice.png

異端カタリ派の美風3

2007年03月04日 09時54分50秒 | Weblog
 カタリ派では少数の指導者である「完全者」と、大部分の「信徒」に分かれます。

 ラングドック地方の人々は、おおらかで知的でユダヤ人に対する偏見も少なかったようなので、その背景も異端であるカタリ派が流行した理由のようです。

 
 異端といえば、異端審問、魔女狩りという言葉はお聞きになられるでしょう。

 異端審問といえば「カラマーゾフ」でもイワンの<大審問官>の舞台となった15世紀以降のスペインが有名ですが、異端狩りは12世紀の中世に南仏で勢力を持っていたカタリ派狩りから始まったとされております。



 それにしても、人間の悪行において、こと宗教が背景にある場合、恨み骨髄に徹するというか、その残虐性はピークとなるようですね。

 医者になってつくづく思うのですが、人一人の命をお預かりさせていただくだけでも並大抵の苦労ではないのに、よくもまあそんなに同じ人間を、同じ国の同胞を、同じキリスト教徒を簡単に残虐に殺せたものだ・・・。

 まさに阿鼻叫喚の巷と化します。

 近親憎悪で近しいものほど憎くなるのでしょうか。

 当時は人間の命の重みに対する考察が、現代ほど深くなかったからなのだろうか?



 フランスはご存知のように、カトリックです。

 それまで各国の教会の司教には法的な権限はありませんでしたから、異端に対しては諸国の領主が替わって処罰しておりました。

 ところがラングドックのトゥールーズ伯爵などは、その地方のおおらかで知的で非差別的で進歩的な特長もあって、カタリ派を黙認しておりました。

 ルイ聖王の時代(1229年即位)、トゥールーズやアルビ、カルカソンヌ、アジャン、ラゼスの5つの街では、カトリックの腐敗もあり、カトリックの司教よりむしろカタリ派の司教が尊敬されて影響力も大きかったそうです。


 そのことがローマ教皇の怒りに触れ、同じキリスト教徒でありながら、仏国王フィリップ2世をはじめ北フランスの貴族諸侯は、ローマカトリック教会の時の教皇インノケンティウス3世やフランスカトリック司教とともに、南フランスの土地ほしさが真の理由でしたが、十字軍とは名ばかりの名目を携え、恐ろしい異端狩りとラングドック地方の征服を行いました。

 それが悪名高き(?)アルビジョア十字軍です。

異端カタリ派の美風2

2007年03月03日 06時13分31秒 | Weblog
 カタリ派はトゥールーズだけではなく、ラングドック地方のカルカソンヌやアルビにも多数おりましたので、アルビ派とか、アルビジョア派とも呼ばれました。

 異端といえば以前にも軽く書きましたが、「グノーシス」が有名です。

 グノーシスというのは、ウィキペディアによれば、

「1世紀に生まれ、3-4世紀にかけて地中海世界で勢力を持った古代の宗教・思想の一つであり、物質と霊の二元論に特徴がある。

『グノーシス』とは、古代ギリシア語で、認識・知識を意味する言葉で、認識によって真の神に到達できるとした」

宗教です。

 つまり、地上の生の悲惨さは悪なる宇宙がもたらすもの、したがってそのような秩序が支配するこの世は認めない、つまり肉体も悪、しかしどこかに善き神がいて、霊こそは善、という反宇宙的二元論が特徴です。

 グノーシス主義の代表的なものが、ササン朝ペルシャで生まれ、中国にまで伝わった「マニ教」です。

 マニ教では、この世は光と闇で構成され、光の勢力が太陽神ミスラを派遣し、闇勢力はアダムとイヴを作ったので、肉体は汚れたものとし、そのため婚姻も許されず、菜食主義で禁欲的でした。

 アレクサンドロス大王によって、ギリシャ文明とオリエント文明が融合してヘレニズム文化が起きますが、その際に西方のキリスト教や、ユダヤ教、ゾロアスター教、仏教、道教、グノーシス・・・そういうものが交じり合っていろいろな宗教も生まれたのでしょう。

 カタリ派はブルガリアで生まれたグノーシス主義の「ボゴミール派」から影響を受けました。

 カタリ派のカタリとは「カタルシス」と語源は同じだと思います。

 「浄化」という意味でしょう。

 カタリ派の隆盛には、ローマカトリックの腐敗に対しての、民衆の反抗の意味合い、言ってみれば宗教改革的側面もあったものと思います。

 ですからカタリ派はこの世を、そして教会の秘蹟も、さらには教会自身も悪と考えます。

 そして拝火教のゾロアスター教やマニ教的な二元論と、なんと仏教的な「輪廻」の思想が特徴です。

 同じキリスト教ではありながら、イエス・キリストを神とは認めず、磔刑も信じません。

 カタリ派はオック語でかかれたヨハネによる福音書を重要視し、偶像はもちろん、十字架や祭壇すら持たなかったそうです。

 それらはそもそも悪魔が作った木や石から作られたものだからという理由だそうです。

 彼らは神の御言葉だけを尊重したそうです。

 ウィキペディアによれば、「カタリ派はグノーシス主義と同じように、物質世界に捉えられた魂はこの世を逃れることで非物質世界である天国に到達できると考えた。」ので、肉体を悪、霊を善と考えておりました。

異端カタリ派の美風1

2007年03月02日 07時25分58秒 | Weblog
 中世フランスは、僕たちが思うより、北と南では文化が異なっていたようです。

 言語においても北はYesの「ウィ」を「オイル」と言っていたので現在のフランス語であるオイル語、南は「オック」と言っていたのでオック語と呼ばれております。

 境界はロワール川だそうです。

 オック語を話した南方の地方は、「Langue d'Oc」、ラングドック地方と呼ばれます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:France_map_with_Loire_highlighted.jpg

 ラングドック地方は、地形的にはロワール川と南東のアルプスと南西のピレネー山脈に囲まれる中央高地と呼ばれる山がちな地方ということになりますね。

 トゥールーズが代表都市で、岡田ジャパンがフランスW杯で乗り込んでいったことが記憶に新しいですよね。

 トゥールーズは当時、形式上はフランス国王に帰属しておりましたが、トゥールーズ伯の力も強く、また当地の学問レベルもパリよりも高く、アルビジョア十字軍で侵略を受けた『カタリ派』の中心都市でもありました。

 ちなみに、ムーラン・ルージュで有名なポスターのロートレックは、トゥールーズ・ロートレックといい、トゥールーズ伯爵の末裔だそうです。

 パリしか行ったことはありませんが、中南部のフランスってのは、トゥールーズもしかり、ブールジュの「サン・テティエンヌSaint-Étienne大聖堂」も一度は見てみたいし、カルカソンヌも、それにアヴィニヨンやアルルのプロヴァンス、さらにはマルセイユにニースもいいんでしょうね・・・。

http://www.geocities.jp/sjwatabe/bourges.html

 トゥールーズやカルカソンヌ、これらの地方である南フランス、そして北イタリアには、中世にキリスト教のいわゆる異端の代表である『カタリ派』が生まれ存在しました。

 高校生の世界史の授業でこのカタリ派が出てきたときに、異端狩りなどよく分からずに不謹慎ながら、いつも話が長くて説教臭く語る友人を、あいつは「語り派」だと茶化したのを良く覚えております。

デビッド・ボウイの妖美15

2007年03月01日 07時18分52秒 | Weblog
 デビッド・ボウイは映画にも出演しておりますけれど、彼はパントマイムの教えを請い、演技に関しても一言持ってはいるようですが、演技の実力はまあ・・・・。

 しかし、戦場のメリークリスマスでは、大島 渚監督の感性もあって、月光のもと土に埋められたあの姿は神々しくさえ映りましたよね。

 そしてデビッド・ボウイ不在のボウイの伝説映画、「ベルベット・ゴールドマイン」ですが、このタイトルはボウイの初期のシングルのB面の曲名であり、僕たちマニアからは伝説の曲となっておりました。

 そしてボウイが嫉妬したイギー・ポップと、ボウイの悩ましい関係が絡む映画になっているのです。

 ところが日本の映画解説者たちは、グラムロックなどちんぷんかんぷんですから、どの解説を読んでもさっぱりであり、やれイギーがモデルのカート・ワイルド役のユアン・マクレガーの脱ぎっぷりがどうのこうのと、陳腐で情けない解説ばかり。

 イギーの背徳性や破天荒ぶりは脱ぐとか脱がないというような低いレベルではないことは、ファンならご存知のはずです・・・というかライブで上半身に衣服を見につけているイギーを見たことないです。

http://www.youtube.com/watch?v=pKs3t6lB9T8

http://www.youtube.com/watch?v=OPm9eZG5iPk&mode=related&search=

http://www.youtube.com/watch?v=D0ISRw59F4w

 ボウイにとっては自分の伝説のような映画ですが、「変化」しつづける十字架を背負った者として、過去を今さら持ちだされても戸惑うばかりでしょうから、当然出演も自分の楽曲の提供もNG。

 しかもボウイ役のブライアン・スレイドを演じたジョナサン・リース・マイヤーズに至っては、ボウイの凄みの1割も演じ切れておらず、本物はあんなにポチャッとしてないし、見てがっかりしてしまいました。

 やはりボウイは映画、「地球に落ちてきた男」でも、「バスキア」でも「ラビリンス」でも、スクリーンよりステージで見るものですね(「ツイン・ピークス」でのFBI役には驚きましたが)。

 20代(?)にして人生の職務を凝縮してすべてまっとうし、普通の人の一生分の何倍も濃密な時間をわずか数年で使い切ってしまったような天才ですから、今現在どんなに腑抜けてしまおうが、青春を再生産してようが、それはすべてやむを得ないことなのです。

 この年齢で昔のテンションを維持し、常に革新的であり、狂気を持続できやしないでしょ、どう考えても・・・一生休まず800m走を走り続けるようなもんです。

 四半世紀以上、まったく変わらないストーンズも国宝級伝統芸能ですが、変わり続けたボウイもすごいのです。

 よく、グラムの双璧であった、T-Rexのマーク・ボランや、ジミヘン、ジョン・レノン、ジム・モリスンら、天国でライブをやっている偉大なミュージシャンを引き合いに出して、生きているボウイは伝説になれなかったとする論調があります。

 しかし、死ぬことがイコール伝説というのもおかしな話です。

 キースとともにボウイが生きていることがすでに奇蹟であり、伝説でしょう。

 ボウイの最近のことには触れないでください。

 そっと見守りましょう。

 あと望むらくは、スティーブ・リリーホワイトがプロデュースするボウイを聴いてみたいことと、サプライズとしてジミー・ペイジかザ・スミスを脱退したギタリスト、ジョニー・マーあたりとやって欲しいけど、無理でしょうな。

 ボウイは一度確かテレビかなにかで、このリフはジミー・ペイジにもらったとかなんとか言っていたって話を聞いたことがあるので、個人的に交友があるのでしょうから、またジミー・ペイジもストーンズのワンヒットでギターを弾くなど・・・

 あながち無理な話ではないような気もするのですが。


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