医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

異端カタリ派の美風4

2007年03月05日 08時25分30秒 | Weblog
 結果として十字軍は勝利して帰国したのですが、カタリ派の勢力は衰えなかったところをみると、やはり異端狩りは名目上、南フランスの土地ほしさだったのでしょう。

 その後、ローマ教皇グレゴリウス9世が法整備を行い、ドミニコ会員を使って異端審問が行われました。

 それからは本格的な異端審問が始まり、カタリ派は終焉して行ったそうです。

 負の連鎖により、これまた悪名高き魔女狩りも始まり、魔女の疑いを密告によってかけられた場合、自白して早く死ぬか、拷問で死ぬか、いずれにしても死は免れないようなむごい状況でした。

 中には自らの性欲を抑えられないナマグサ司教が、女性を暴行目的で監禁し、身ごもらせ、死をもってごまかした例も多々あったようです。

 ひどい話です。

 さらには「財産」目的・・・事実、異端者の教会による財産没収を禁じられた二年間だけは、魔女狩りは激減したそうです。



 アルビジョア十字軍による、フランス王家とトゥールーズ伯との争いの舞台となった、トゥールーズの南東90km、「カルカソンヌ」の城塞は世界遺産です。

 カルカソンヌ市にシテという城壁に囲まれた街があり、入り口にはコムタル城があります。

 城壁内にもホテルがあり、ってことは中世のお城の中に泊まれるようです。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b1/2005-08-24-Panorama-Cit%C3%A9-Carcassonne.jpg

http://www.geocities.jp/sjwatabe/carcassonne.html

 アルビジョア十字軍の最後の侵略の舞台となった、モンセギュール城からカタリ派信徒が逃げ出すときに聖杯を持ち去った、というまことしやかな噂があり、それもいわゆるカタリ派の「聖杯伝説」につながっております。

 聖杯伝説はフランスで、吟遊詩人ジャングルールたちにより、世俗的な騎士道文学から生まれたようです。

 その頃は印刷技術もなく、民衆は文字も読めなかったでしょうし、作家もいなかったでしょうから、日本での琵琶法師のごとく、吟遊詩人が物語を編纂していったようです。

 そもそも聖杯とはキリストが最後の晩餐で、その杯から弟子たちにワインを与え、さらにはキリストが磔刑に遭ったときにマグダラのマリアが流れ出た聖なる血を受けた杯とされ、聖遺物として古くから未知の力を持つ秘宝として扱われてきたもので、下記のような形状をしております。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/98/Saint_calice.png