医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

ちょらちょらな美作11

2008年10月28日 14時08分37秒 | Weblog
 なにせ先輩は、自分が不愉快な折、居住するマンションのエレベータにて上昇しながら、自分の住むフロアより上のすべての階のボタンを押し、そのような状況であれば、自分が降りて以降、そこより上のいちいちに停車するため、一階で待つ無辜(むこ)な他の住民は呼んでも遅いことにさぞイラつく目に遭うだろうと憂さ晴らしをする人なのだ。

 しかし、万が一、たまたま階下の親などのお宅を訪れた住人が、自分の階に戻るために中途の階から上に行くエレベータにふんふん相乗り合わせしめた場合、ある特定階から間断なく並ぶきらびやかにも通常にはアリエネー異様な点灯状態に、かかる奸計はたちまちのうちに察せられ、互いに耐えがたき重苦しさが立ち込めるにしてもだ。

 言ってみれば、非常に瑣末な憂さの晴らしなのではあるが、それが故に先輩はそのような後輩の振る舞いの異様さには気づき、結果いちびるのである。

 しかしさらに窮地に追い込まれると後輩は「う~」とうなって、このまま卒倒するか狂ってしまうのではないだろうかという、相手への居心地の悪さをあおるという暴挙にまみえ、常識的なオトナ同士の会話にもかかわらず、そういう小学生のような飛び道具を持ち出してでも、難を逃れるのである。

 難を逃れたと思うのは、かかる後輩の自己本位的なその場の希望的観測に過ぎず、後日どういうわけか俺が僕が私がその先輩に呼び出されて、お小言をもらうのである。

 然るに俺は「ほんとに困ったやつですね。それにしても先輩の突込みが見事で、僕は笑いをこらえるのに必死でした」とわけのわからぬおべんちゃらをしゅらしゅらっと言って、サラリーマン社会の悲哀を存分に謳歌したのであった。







 というような不毛なフィクションを不毛な文体で長々くどくどと妄想し、これで俺も熊のゾルバで芥川賞かと、くすくす感が余計に倍増され、あひあひして仕方がないのである。

 うん、うん・・・パンクだ。