医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

美しきガイア 41

2008年10月02日 06時23分34秒 | Weblog
 「脳のからくり」によれば、われあり、と「私」を認識するもうひとりの私は?

 そもそも「私」とは・・・?




 自分と他人を区別するのが私。

 私が動いていると、モニターして認識しているもう一人の私。

 ワーキングメモリを担う、脳の司令塔である前頭前野の46野には、3つのサブカラム構造があるらしく、たとえていうなら「私」の中に私は6人いるらしい。

 そうでしょう、私は一人ではないと、僕は体験上思います。





 続いて現代思想は、ニーチェ()に始まります。

 毎度思いますが、すごい目ですな・・・ある意味、イッてますな。

 「神は死んだ」・・・あまりにインパクトのあるこの言葉に、絶句したことを、またデビッド・ボウイの歌詞(「円軌道の幅」だったかな?)に関連があり、慌てて高校の図書館に駆け込んだことを思い出します。

 デカルトらの近代哲学は自己言及的で、内部から観察しているから不十分だとし、現代思想では外部から観察して客観的に確認しよう、としたそうです。

 やはり世界を動かすには、これくらいの、良い意味での狂気が必要です。

 そして実存主義のキルケゴールが輩出され、意識は外から観測できないから、意識が実存しているということだけを認めよう、としたのだそうです。

 サルトルは実存主義の中心で、実存は本質に先行するとしたそうです。

 意識は本質ではなく、なんだかわからないが、とにかく存在しており、かつまた人間は自由の刑に処せられている、と。

 なんだか「ソフィーの世界」(哲学をのぞいてみたい方におすすめの書 )みたいになってきましたが、僕は多感な高校時代にサルトルには感銘を受けました。

 17歳の尾崎豊の「人生は時を演じる舞台さぁ~ 」というような高校生の主張のような歌詞にも、サルトルの思想が読み取れました。