【社説②・04.16】:放送100年 良質な番組作りへの責任重い
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説②・04.16】:放送100年 良質な番組作りへの責任重い
インターネット空間に偽情報や過激な動画があふれている。そうした時代だからこそ、公共の電波を利用するテレビ局には、正確な情報や安心して楽しめる番組が求められる
NHKの前身にあたる東京放送局が1925年3月にラジオ放送を始めてから100年を迎えた。日本の放送はこれまで、新聞と並び、国内外の動きを人々に伝える重要な役割を果たしてきた。
戦時中は軍の意向を受け、国威発揚に使われた。その反省から、戦後は表現の自由を重視し、放送の民主化を目指した。
51年にはラジオの民間放送が生まれ、53年には日本初のテレビ放送がスタートした。テレビはその後、カラー化、衛星放送の開始、デジタル化など目覚ましい進化を遂げ、「娯楽の王様」として社会に大きな影響力を持った。
そのテレビも最近は曲がり角を迎えている。ネットの普及で若者を中心にテレビ離れが進んだ。NHK放送文化研究所が昨年実施した調査では、20歳代の約4割は「週に1度も放送中の番組を見なかった」と回答したという。
かといって、テレビの役割が低下したとは言えまい。ネット上の情報は虚実ない交ぜだ。閲覧数を稼ぐため、過度に刺激的な映像も数多く投稿されている。
テレビはネットと同じ土俵で競うのではなく、ネットにはできない独自の番組づくりを心がけるべきだ。健全な番組を 真摯 に制作することに尽きるのではないか。
報道については、正しい情報を迅速に伝えることだ。脚本のしっかりしたドラマや、視聴者を新たな世界に連れ出してくれる教養番組や娯楽番組も大切だろう。
そうした番組づくりのためには、放送人が時代に敏感である必要がある。タレントの性暴力に端を発したフジテレビの問題は、業界の古い体質からいつまでも脱却できなかったことが原因だ。
放送事業には、国民の財産である「公共の電波」が使われている。誰もが自由に情報を発信できるネットの世界とは異なり、放送には公共性や公益性が問われることになる。その責任の重さを厳しく自覚してもらいたい。
2003年には、人権侵害や放送への苦情に対応する「放送倫理・番組向上機構(BPO)」が設立された。しかし、近年も過剰演出などが問題になっている。
番組を面白くしたいという気持ちは分からなくもないが、そうした姿勢が次第に信頼を失わせることになると自戒してほしい。
元稿:讀賣新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2025年04月16日 05:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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