【社説】:大学ファンド 学問の自由、守れるのか
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説】:大学ファンド 学問の自由、守れるのか
政府が設けた10兆円規模の大学ファンド(基金)の関連法案が国会で審議されている。運用益を使い、世界最高の研究水準を目指す大学を支援するため、対象となる大学を認定する要件などを定める内容だ。
天然資源の乏しい日本が科学技術に力を入れるのは当然だろう。そのため、研究費の拡充が欠かせない。とはいえ、大学ファンドには異論も多い。一部の大学に予算を集中させる「選択と集中」といった手法で公正さは保たれるのか。学問の自由に政府が介入することにならないか。疑問が尽きないからだ。
衆院がわずかな審議時間で法案を通しただけに、参院は十分に論議を尽くすべきだ。疑問点解消を目指さねばならない。
大学ファンドは、文部科学省所管の組織が管理し運用を外部に委託する。「国際卓越研究大学」と認定した数校の国公私立大に1校当たり年数百億円の資金を配分するという。政府は本年度中にも対象となる大学の公募を始め、早ければ2024年度の支援開始を想定している。
認定のハードルは相当高い。一例が、企業をはじめ外部からの資金導入などによる年3%程度の事業規模の成長だ。東京や京都、慶応といった日本を代表する11の研究大学でも平均の成長率は0・2%にとどまる。ハードルを越えられる大学がどれだけあるのだろう。1回越えても基準を満たさなくなれば、認定は取り消されてしまう。息の長い研究ができるだろうか。
外部の人間が半数以上を占める最高意思決定機関「法人総合戦略会議」の設置も、認定には必要だ。学外者の意向が過度に運営に反映されれば、大学の自治はさらに形骸化してしまう。
認定されれば、学費値上げが可能になる。いずれは米国並みに年500万円を超す大学が日本でも出てくるのだろうか。ファンドが超低金利の日本で、見込み通り年3千億円もの運用益が得られるかも不安だ。
そもそも国立大学の研究環境が悪化したのは、04年に法人化されてからだ。経営を支えていた国からの運営費交付金が減り続け、屋台骨を揺るがした。
あおりで自然科学論文は質量とも著しく低下した。昨年夏に発表された国際ランキングが失政を浮き彫りにする。数多く引用されるなど注目を集める論文数で、日本は過去最低の10位まで落ちた。20年前は4位だったから、驚くほどの衰退ぶりだ。
若手研究者数の減少が響いている。博士号取得者は年1万5千人程度で、06年以降は減少傾向にある。しかも、ほとんどが任期付きの職しか得られない。研究を諦めてしまう人が多く、博士課程への進学をためらうケースも少なくない。
そんな現場の疲弊にもかかわらず、近年は自然科学3部門で日本人がノーベル賞に相次いで選ばれている。評価された研究は1990年代までの仕事がほとんどだ。かつては研究環境が優れていた証しだろう。地方の大学を含めて裾野が広く、研究者にも厚みがあった。それが、世界レベルの研究成果を出すことにもつながっていた。
その基盤を、科学技術立国を掲げる政府が掘り崩してきた。数の力を頼りに、大学ファンドという誤った道を突き進むのではなく、まずは過去の失政の反省から出直すべきである。
元稿:中國新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2022年05月13日 07:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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