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死時計 2 なんやかやはなんやかやです!

2010年02月08日 | JDカー
ディクスン・カーの作品には傑作も多い半面、失敗作も多いんですね。
どの作品が傑作で、どれが失敗作なのかは、人それぞれでしょうが、
「死時計」は失敗作ではないにしろ傑作や佳作に推すのは勇気がいります。

「ジョン・ディクスン・カー 奇蹟を解く男」ではカーの創作マナーについても知ることができますが、
「弓弦城殺人事件」は「未消化のアイデアを集めたもの」(同書P137)とあります。
カーが経済的理由で執筆を強いられるときに、
まだ成熟させていないアイデアを寄せ集めて一冊の本を書いたことが分かります。
じつは「死時計」も「弓弦城殺人事件」と同じような
「未消化アイデアの寄せ集め」だったのではないかと思うのです。
たとえば、
冒頭のフェル博士の一言は「殺人者と恐喝者」に
中ほどのフェル博士とハドリー警視との法廷論争に見立てた推理合戦は「ユダの窓」に
トリックのアイデアそのものは「皇帝の嗅ぎ煙草入れ」「緑のカプセルの謎」に
といったように、後年他の作品に流用されるものが見られるからです。

以下ネタバレあります


「死時計」のメインプロットは、「犯行が不可能だと、目撃者に証言させること」でした。
目撃者が「その容疑者には犯行が不可能」と証言したならば、
現場にいても犯人とは目されない、というヒネりまくったトリックでした。
この場合の目撃者とはスタンレーとドナルド青年のことで、
観客と言い換えたほうが適切かもしれません。
しかも犯人が設定した目撃者はスタンレーだけでしたが、
偶然にもドナルド青年も天窓から事件を目撃し、
犯人の予期しない目撃者が「不可能」だと証言したのですから、トリックは鉄壁です。
ところが、その先の展開は容疑者たちとのやりとりばかりで、
同じところをぐるぐる回っているようにしか感じません。

しかも、カーには珍しく謎のプレゼンテーションが悪い。
これは致命的ではないでしょうか。
「どこに謎があるのか」が読んでいても分からない。

また、時計師の家の間取りがさっぱり分からないので、証人が重要なことを言っているにもかかわらず、
驚いているのはフェル博士だけ、という始末。
読者が置いてきぼりです。

さらに、作中でカーはハドリー警部に「人間の記憶と観察はあてにはならない」と言わせていながら、
(このテーゼは「死時計」だけでなく、カーの作品全体をつらぬくテーマになっているにもかかわらず)
ドナルド青年が天窓から見た光景を話す場面では、
かれの驚異的な観察力と記憶力で二人の人物の行動が描写されます。
矛盾がすぎませんか、カー先生(笑)

この章は苦し紛れというほかなく、フェアとかアンフェアとかを通り越して、
作家の苦労をしのばせる汗の跡のようなものですね。

結局、最初に犯人だと思った人間が犯人だ、という脱力感あふれる解決は、
テレビで堂本剛が主演していた「33分探偵」のまんまです。
「だから最初から犯人だって言ってるじゃない!」
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