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チラシの裏

エジプト人のつもり

2018年04月27日 | ミステリ
「アガサ・クリスティ完全攻略」を読む。

今からクリスティを読みはじめると、他の有名作品や作家を挙げて分析できるんだな、とうらやましく思います。
評価そのものには反論もなにもない(思いつくほど作品内容の記憶がない)のですが、
「死が最後にやってくる」だけには一言。
まず攻略の著者が「『エジプト人のつもり』と書いたTシャツを着た役者たちが現代劇を演じているよう」と評しているのは、まったく同感。
さらに「なんで(「死が最後にやってくる」を)書いたのかわからない」とも言っているのですが、
「死が~」はクリスティ本人の体験をベースにした大人むけ恋愛小説ではなかろうか。
ミステリ要素が非常にウスいのも、ラブストーリーを推し進めるためのベクトルとしか使っていないので、
トリックも意外性もとってつけたような程度しかない。


作品中の「若くして夫と死別した寡婦が子どもを連れて実家へ帰ってきた」ヒロインが、
先夫と離婚したクリスティを彷彿とさせる(クリスティも先夫との間に子どもがいた)。
ヒロインとクリスティの境遇が似ているだけの思いつきですが、そこがどうも気になる。

ここからは妄想なんですが、
クリスティが2番目の夫と結婚しなかったら、どんな人生だったのかを夢想して、
自分の家族をモデルにしてミステリ風味の恋愛小説に仕立てのではないか。

作品中のヒロインには、鈍重だけど真面目な長男と、
女癖は悪いけれど美男で人気者の次男の2人の兄がいることになっています。
クリスティにも歳の離れた兄と姉がいたそうですが、自分の兄弟をそのままモデルに使っているのでは?
作中の次男のほうは姉の夫がモデルだったりするかもしれません。
どんくさいけれど頼れる兄とチャラいけれどかっこいい兄、という2人の組み合わせは、
ほぼ一人っ子で育てられた夢想癖の強い少女にはありがちなブラコン妄想じゃないですかね。

ただ、このモデルをそのまま現代劇に使ったらバレてしまうので、
舞台をエジプトにしたのではないか。歌舞伎と同じ発想。
作品中の展開で、殺人はもちろんフィクションでしょうが、
老父親の死や支配的な母親というのは実体験からのエピソードのような気がします。
証拠もなにもないただの妄想ですが、「なぜ書いたのか」という答えの一つじゃないかと今も思っています。

まあ、「死が最後にやってくる」が好きなので、どこか良いところを挙げてみたかったんです。
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