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チラシの裏

true tears

2008年06月29日 | アニメ・特撮
今年の一押しアニメはこれです「true tears」。
http://www.truetears.jp/
なんだか分析しないと気がすまないので、
観てない人にはまったく分からない話ですみません。


この物語の転換点は石動純と湯浅比呂美がバイク事故を起こしたあと、冷淡で邪険だった眞一郎の母親が比呂美に優しく接するようになったあたり、だと思うんです。(8話)
比呂美はいままでのことを謝る眞一郎の母親を見て、眞一郎を想う人間が一つの家にいてはいけないと家を出る決心をする。それがその後の展開へつながるので、眞一郎の母親の変心が物語のキーポイントとみて間違いないと思います。

物語で語られていない「物語」を想像してみるのですが、その手がかりの一つは比呂美が庭で見つけた写真の焼け残りです。
その写真は比呂美の両親と眞一郎の両親がならんで写っているもので、物語の初めには比呂美の母親の顔が切り取られている状態で登場していました。切り取ったのは眞一郎の母親で、夫(眞一郎の父)が結婚前に比呂美の母親に愛情を感じていたとする嫉妬から切り取ったものでした。それが焼き捨てられるということは、何を表しているのでしょう。それはつまり必要でなくなった、ということです。誰にとって? もちろん眞一郎の母親しかいません。眞一郎の母親が捨てたということは、いままでの確執もいっしょに捨てたということでしょう。
 比呂美に「眞一郎とは義理の兄妹」だというデマを吹き込み、バイク事故の原因を作った母親。比呂美は、バイク事故のあと眞一郎の父親からそのデマが嫉妬から生まれたウソであることを教えられます。しかし、父親はそのデマを誰から聞いたのでしょうか。息子の眞一郎ではないとすると、当の母親からでしかありえません。
このとき、眞一郎の両親の間にはもうひとつ別の物語、「another true tears」があったはずです。「仲上眞一郎 湯浅比呂美 石動乃絵 石動純」の4人の関係に呼応するような「湯浅夫妻と仲上夫妻」の物語。「正面から向き合った父親」から諭された母親は、いままでの確執と決別するために写真を焼いた、と考えてはいけないでしょうか。比呂美の母親から解放された眞一郎の母親は、比呂美にかつての自分の姿を見ます。そして、いままでの謝罪を口にする眞一郎の母親に比呂美は自分の姿を見ます。じつはこの二人は鏡をはさんだダブルだったわけです。だから比呂美は家を出る決心をするのです。

このバイク事故の場面でもう一つの転換点は、乃絵が眞一郎の本当の気持ちに気づいてしまったことです。乃絵はいままで自分なりに嘘のない世界で生きてきましたが、それは兄以外の周りの人間を無視していたにすぎません。やりたいことだけをやる、言いたいことを言う、そんな乃絵にとって、眞一郎に会いたいけれど会ってはいけない、と思うことは乃絵も以前のように純粋無垢では無くなっていたことを意味します。物語の最後では、自分が純粋ではなくなったと知った乃絵が、周りの世界の中のどこに自分を置くか、という再生の一歩を踏みだす場面で終っていました。

西村純二監督、プロデューサーも「逃げない演出、逃げない作画」と語っていました。地味な話ですが、いまの日本アニメの底力と可能性を示した作品ではないでしょうか。

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