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「ヴードゥーの悪魔」と「亡霊たちの真昼」

2024年09月03日 | JDカー
■結局、「ヴードゥーの悪魔」と「亡霊たちの真昼」を読んでしまった。
★さもあらん、ですね。
■両作とも、ミステリというより歴史小説の成分が多い。
「ヴードゥーの悪魔」に出てくるラローリーのマンション、探偵役のベンジャミン議員は実在の場所あるいは人物だし、
「亡霊たちの真昼」の背景になっている下院議員選挙も歴史上の事実なのだろう。
★カー本人は歴史小説家になりたかったんでしょう? でもミステリ作家になった。
■この2作に続く「死の館の謎」では、カーの望んだもう一つの未来線である「新進歴史小説家」が主人公だからね。
で、思うんだが、カーはミステリ作家になりたかったのだろうか。
★「死の館の謎」では、主人公が「これからミステリを書こうと思うがトリック作りが苦手だ」と白状していますよね。
■カーの本音じゃないかなあ。デビュー前に書いた歴史作品はみずから捨てた、とあるし、
別名で書いた歴史作品は売れずに後年になって出し直した。
もしかしたら、歴史小説家としてはダメだったので、ミステリ作家になったのでは。
★でもトリック作りは苦手だ、と。
■第二次大戦後に創作意欲が落ちたように見えたのは、本格ミステリを書くことに限界を感じていたからではないか。
★でも、書いてはいましたよね。
■仕事だからね。辞めるわけにはいかない。
戦後の創作過程を並べてみると、
H・M卿もののミステリとしての作品は「魔女が笑う夜」(1950年)が最後。
「赤い鎧戸のかげで」(52年)、「騎士の杯」(53年)はもうミステリじゃない。
歴史ミステリは、「ニューゲートの花嫁」(50年)、「ビロードの悪魔」(51年)と書いて、
「喉切り隊長」(55年)まで4年空いている。
フェル博士ものは「疑惑の影」(49年)から「死者のノック」(58年)まで9年空いている。
1952年から54年までのあいだ、何を書いていたのかといえば「九つの答」なんだよ。
前に書いたけれど、「九つの答」は本格ミステリ作家から冒険小説家へ転身しようとした試作品ではないか、と思うんだ。
★だけど思ったより受けなかった?
■その前に書いた「ビロードの悪魔」がカー作品の中で一番の売り上げだった、とどこかに書いてあったけれど、
比べられたら歴史ミステリのほうが受けた、という事実がカーに歴史ミステリを書かせる動機になったのでは。
★「九つの答」は現代冒険小説としては古臭すぎるんじゃ、仕方ないでしょう。
■「ヴードゥーの悪魔」「亡霊たちの真昼」はミステリ風味の歴史小説かな。
しいて言えば「亡霊たちの真昼」は黒岩涙香とイメージが重なります。
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