Activated Sludge ブログ ~日々読学~

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●《松下竜一著…「豆腐屋の四季」は「歌の型を借りた生活綴り方」…まさに25歳の怒れる青年の生活の叫びだった》

2019年11月11日 00時00分51秒 | Weblog

[※ アサヒコム(2007年9月22日)↑:「69年、出版された『豆腐屋の四季』を手にする松下竜一洋子夫妻=松下洋子さん提供」(http://www.asahi.com/travel/traveler/images/TKY200709220092.jpg)]



佐高信さんによる、日刊ゲンダイでの書評【週末オススメ本ミシュラン/「豆腐屋の四季松下竜一著/講談社文芸文庫】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/260456)。

 《「豆腐屋の四季」は「歌の型を借りた生活綴り方」だが、1964年の東京オリンピックの時に「朝日歌壇」の選者の近藤芳美がオリンピックの歌を1首も選んでいない、と指摘しているのは鋭い。…近藤が選んだ松下の「朝日歌壇最初の入選歌」である。まさに25歳の怒れる青年の生活の叫びだった》。

   『●いま「暗闇の思想」を: 朝日新聞(地方版?)社界面トップ
   『●あの3・11原発人災から1年: 松下竜一さん「暗闇の思想」を想う
   『●第八回竜一忌、涙が出ました:
                松下竜一さん「暗闇の思想」を語る小出裕章さん

   『●松下竜一忌での小出裕章さんの講演が本に!!
   『●室原知幸さん「公共事業は法にかない、
               理にかない、情にかなうものであれ」
   『●松下竜一さんと松下洋子さん、そしてカン・キョウ・ケン
   『●「草の根」に思いは永遠に: 松下竜一さんを追悼する“最後”の「竜一忌」
   『●《われわれは大きな不正を正すために何をしたというのか。
     何もしないからこそ、彼らのように重大な失敗を招くこともなかった》

 松下竜一さん《「豆腐屋の四季」は「歌の型を借りた生活綴り方」…まさに25歳の怒れる青年の生活の叫びだった》。当時の朝日歌壇のある選者に関連して、松下竜一さんは《私たちの日々の現実生活そのもののようだ。たとえ首都に華やかに大会が展開されていようとも、私たちが繰り返すのは生きるための労働の日々なのだ》《ここには、そうしなければ生きてゆけぬ生活者の現実がある》と。
 その「豆腐屋の四季」の舞台は、いま、…。



   『●「従わぬ者には容赦ない、国家の暴力性が作品を貫く」…
          松下竜一さん「豆腐屋の四季」の舞台が取り壊し
    「東京新聞の佐藤直子記者のコラム【【私説・論説室から】
     竜一の愛した書斎】…。毎日新聞の大漉実知朗記者の記事
     【松下竜一さん 自宅取り壊し 「豆腐屋の四季」舞台消える】」

 『豆腐屋の四季 ~ある青春の記録~』(全4巻)が、2005年10月に、リブリオ出版より。大活字版。講談社文庫版、河出全集版につづく3種目。



   『●『豆腐屋の四季 ~ある青春の記録~』読了(1/2)
   『●『豆腐屋の四季 ~ある青春の記録~』読了(2/2)

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https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/260456

週末オススメ本ミシュラン
「豆腐屋の四季」松下竜一著/講談社文芸文庫
2019/08/18 06:00

 “時の人”の滝川クリステルが「おもてなし」とスピーチする映像が繰り返し流れる。

 それを“表なし”なら“裏ばかり”じゃないかと痛烈に皮肉ったのはお笑い芸人の松元ヒロだった。権力といちゃつかないホンモノの反骨芸人である。

 笑いということなら、環境権を掲げ、九州電力の火力発電所建設を阻止しようと裁判に訴えた松下のそれも強烈だった。敗訴の判決が出た時、松下は「アハハハ……敗けた、敗けた」と書いた紙を表示したのである。

 うなだれられるより、哄笑される方が相手は怖い。屈していないからだ。

 「豆腐屋の四季」は「歌の型を借りた生活綴り方」だが、1964年の東京オリンピックの時に「朝日歌壇」の選者の近藤芳美がオリンピックの歌を1首も選んでいない、と指摘しているのは鋭い。

 「そのことに私は近藤先生の姿勢を感じる。先生がいつも凝視しているのは、私たちの日々の現実生活そのもののようだ。たとえ首都に華やかに大会が展開されていようとも、私たちが繰り返すのは生きるための労働の日々なのだ。たぶん、近藤先生は頑ななまでにそこに凝視をしぼって、無数に寄せられたオリンピックの歌(その大部分はテレビを観て作られた歌だろう)を、全首裁断したのであろう

 半世紀以上経った現在も事情は変わらない。問題は近藤亡き後、近藤のような選者がいるかどうかである。

   ○ようやくに魚売りかえる峡の道 蕎麦畑光る月夜となりぬ

 作者名は省かせてもらうが、オリンピックの歌が登場した週に近藤が首位に推した歌である。

 「ここには、そうしなければ生きてゆけぬ生活者の現実がある。オリンピックの感興が薄れた今、私の胸にひそやかに沁みて拡がるのは、月に白々と光るそば畑の景だ。時流のおりおりのできごとの陰にいとなまれる平凡な生活の歌は、一見つつましやかに、しかも時流とかかわらぬ命長い叙情を細く絶えることなく保ち続けるのであろうか」

 松下はこう述懐している。

   ○泥のごとできそこないし豆腐投げ 怒れる夜のまだ明けざらん

 近藤が選んだ松下の「朝日歌壇最初の入選歌」である。まさに25歳の怒れる青年の生活の叫びだった

 ★★★(選者・佐高信
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●『松下竜一未刊行著作集4/環境権の過程』読了(8/8)

2010年01月31日 18時28分20秒 | Weblog

梶原得三郎新木安利編、松下竜一 未刊行著作集4/環境権の過程

 痛切な反省再び、そして裁判制度の問題点。「四大公害裁判が勝利したあとの痛切な反省は、いくら裁判で勝っても死者は還らぬしむしばまれた健康は元に戻らぬというむなしさにあった。そこから、真に必要なのは環境が破壊される段階での事前差し止めでなければならぬという公害裁判の根本的な発想転換であったはずだ。もし、事前差し止めの意義を重視していれば、「あなた方の方は今のところなんの苦痛もあるわけじゃないし・・・・・・」というような裁判長の発言はありえぬだろう。/・・・事前差し止めを目指す裁判のほとんどが直面する腹立たしい現実である。たとえ差止訴訟が係争中であろうとも、それを無視して着工するのは企業・行政の常とう手段であり、いったん着工さえしてしまえば裁判遅延に助けられて工事は完成し、その既成事実の重さにとって裁判自体が左右されることになるのだ」(p.301)。さらに、埋め立てた所の復元など何ら考えず、敗訴などないと考え、裁判をやる意味など、全く頭の隅にさえない。しかも、そううそぶくのも当然で、〈原状回復ノ義務ヲ免除スルコトヲ得〉と定めた〝裏取引〟まで存在。「「一体、裁判はどんな役に立つのか」という私達の怒り」(p.303)。

 〝得さん〟こと梶原得三郎さんのこと(p.330-354)。その出会いから〝主犯〟へ、そして、魚屋さん、その後。玲子ちゃん(p.363)。

 一審敗訴において、賛否両論、大反響であった「アハハハ・・・・・・敗けた、敗けた」の意表を突いた型破りな垂れ幕(p.358、393)。「アハハハ、敗けた、敗けた、また出直すか、というしかないんですよ」(p.359)。田中正造の晩年の言葉にちなみ、伊方原発訴訟の原告たちが敗訴の日に掲げたのは「辛酸入佳境の垂幕。それに対して、やはり前代未聞の垂れ幕!
 大分の明神の海は埋め立てられたが、福岡側のスオーナダは取りあえず守られた。「・・・NHKの『新日本紀行』・・・スオーナダ開発に侵されなかったこの町の海岸を、美し過ぎる画面で描いてみせたが、それを視たこの町のいろいろな人々から、・・・「この海岸を護ったのは、あなた方の力ですよ。あなた方のことはいろいろ悪くいわれましたが、結局正しかったんですね」という過褒をいただいて、・・・周防灘開発が凍結・・・。・・・『暗闇の思想』は潜在的に普遍化していくのだと思う」(p.380)。

 「洋子病」という生涯直らぬ病(p.411)。

 解説は恒遠俊輔さんの「主張微塵も枉(ま)ぐと言わなく」(p.441)。

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●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(6/9)

2009年04月07日 07時55分50秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』
 本章のタイトルに採られた同名の節「少しビンボーになって競争社会から降りようよ」 (pp.256-267)。センセと『草の根通信』、「弁護士さえ、ついてくれなかった」「環境権を掲げての七人の市民」による本人訴訟。「・・・私のつくるミニコミは運動体の機関誌としては破格であったらしい。/あまりにもあけすけに内情をさらけ出しすぎるというのである」。「・・・うかうかと三人目の子を生んでしまい、・・・「わが家ではカンキョウケンが確立したのだ!」とうそぶいている」。「・・・このとき裁判所の玄関で掲げた垂れ幕アハハハ・・・・・・敗けた、敗けた」は、大いに物議をかもしたものだ。・・・これほど松下センセとその同志の心意気を表現した言葉はない。不真面目をいうなら、裁判所こそが不真面目だったのだ」。「その結果またしても発電所が必要となり、環境を汚染し資源を濫費してのこの悪循環はとめどなくなる」。「・・・原発の罪業は火電の比ではない」。「〈暗闇の思想〉などとたいそうな銘を打っているが、ようするにこの限りある環境と資源を濫費することなく、ほどほどに生きようよといっているにすぎない。/いっこうに変わることのないビンボー暮らしを綴ってきた三冊の本がひっそりと消えたというのに、いま四冊目の『底ぬけビンボー暮らし』に至って予想外に静かな反響を呼んでいる背後には、時代をおおう不安がより色濃く影を落としていると見ていいだろう」。 
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