
◆鋸山 地獄覗き 2009/11/15 14:52 E-30・・1/320″ F5.6 ISO200 12mm ±0 PL
高尾山・富士山・唐松岳・陣馬山・谷川岳・(丹沢)大山に続いての今年第7弾の登山は
嵐後の素晴らしい秋晴れの日曜日に
スタート(集合)は75駅先の京急久里浜から

京成八幡7:09→(京成本線快特/上野行 8min)→7:17青砥
青砥7:20→(京成押上線/都営浅草線/京急本線【直通】快特 三崎口行 93min)→8:53京急久里浜
京急久里浜→(神奈川中央バス)→東京湾フェリー
久里浜港9:35→(東京湾フェリー 35min)→金谷港(▲0m)
青砥からひたすら一つの電車で
浅草・銀座・品川・蒲田・横浜・金沢文庫・横須賀・・と未知の領域に入っていき、いつの間にか
電車は葛飾区から三浦半島まで・・
八幡から75駅先の久里浜で降りて、フェリーに乗り千葉県に戻り、南房総の富津の鋸山を目指す




東京湾を船で横断・・ 船に乗るのはいつぶりのことやら・・・ GW以来か・・

三浦半島から房総半島へ


遙か遠くには富士山や伊豆大島の姿も

漁船


船を下りると富津の内房線浜金谷駅 東京駅から107km(特急で約90分)
この駅の裏手から今回の登山スタート いくつかある中の沢コース
前日の風雨のせいか、地はぬかるみ、倒木もたくさん、土砂が崩れ道が寸断されてたり、川の橋が崩落していたり・・




おまけに素堀のトンネル ほんとにここ行くの?って感じ 中にはコウモリも
素堀のトンネル後は、急に勾配もアップ リボンも少なく 行く道を見失うこともシバシバ
岩が階段状になっていて川のように流れていたり、急勾配の岩場をロープでなんとか登ったり
かなりのサバイバル道
たかが400m弱の山だからとなめて行ったら駄目だなと でもそれがスゴイ楽しかったけど


登り初めて2時間 千葉県で12番目に高い「鋸山」到着 遠くにはマザー牧場や三浦半島・富士山も見えた

展望台から館山方面 この展望台に行くまでも激しいアップダウンの連続 標高で山なめたらあかん

地球はまるい 180°海に囲まれて見晴らし最高


鋸山は元石切場所 切り取られた垂直な岩肌の迫力はスゴイ





そそり立つ岩柱 上は地獄覗きという観光地

お見事・・ 高さは数十m

日本寺に入ると観光客が大量に
駐車場やロープウェイもあるので・・
さてさて、下から覗いてた地獄覗きへ ここまでのアップも大変だ
そしておそるおそる地獄覗きからの眺め

低く広がる房総の山山

日本寺の薬師瑠璃光如来 日本一の高さの大仏で31m
ちなみに東大寺が18.2m 鎌倉が13.3m


16:15 金谷漁港からの夕暮れ

釣瓶落としの夕暮れ
300m強の山なのに総アップはなかなかだったのでは
お昼ご飯や休みもろくに取らず6時間ほど歩いたので距離もなかなか
何よりも前半のサバイバルが印象的 道を見失ったり、というか道が寸断されてたり
誰もいない山の頂上に行けたり
普通の人が鋸山に行っても味わえない魅力を存分に味わって最高に楽しかった

17:57 お風呂上がりにビールと海鮮丼 美味しすぎる まぁ昼も食べてないし・・
山降りてから、送迎車を呼び1.5km北の「かなや」へ
海辺の湯の露天風呂で突風に吹かれながら沈む夕日眺めながら汗を流し
ゴックンとウニにいくらにマグロにホタテに・・
帰りもフェリー乗り場まで送ってもらい、最終の久里浜行きへ
強風で大荒れの海で船もあり得ない揺れ どっかの船みたいに転覆しないかなっと思ったけど
その揺れがかえって心地よく爆睡・・ そしてそっから2時間かけて帰路につきました
金谷港19:30→(東京湾フェリー)→20:10久里浜港
京急久里浜20:34→(京急/浅草線 快特)→21:47東日本橋/馬喰横山21:52→(都営新宿線)→22:17本八幡
今週末はいよいよ帰省
休んだせいもあり、仕事がハードですが、なんとか有休作って
実家への帰省を楽しみたいと思います
会う約束してる方々よろしくお願いします☆ほんと楽しみです。
あっ、そうそう金曜日は赤津&ぼろ主催の鍋パ行ってきました
ぼろ邸で人生初の初のカレー鍋(キムチ入り) 美味
どっちかといえばソーセージパーティーやったような
ほんと美味しかった 赤津・ぼろお誘いありがとう☆
ムッシュ・ガンディー・のえもまた!!
♪MUSIC
・Winterland/大橋トリオ
・約束。。 feat.HOME MADE 家族/九州男
・じょいふる/いきものがかり
◆オクルヒト
先週 火曜・水曜は急遽田舎に帰省
京都でのぞみを降り、奈良線へ 4時間半かけてついた法隆寺の街は雨の中
家族葬のセレモニー 演出の仕方が結婚式と変わらない
ただ、主役が一人なのと喋られない事
おじいちゃんの顔はほんとただ寝ているだけのようだった
夜遅く、半通夜の形でいったん帰路へ
3ヶ月ぶりに運転した車で雨の高速道路に実家まで
聞いた話ではおじいちゃが倒れた日は
ちょうどその日は従兄弟の23回忌の翌日
従兄弟がおじいちゃんを迎えに来たのだろうか 23年ぶりに天国で再会しているのだろう
ただ、後1週間で88歳 米寿だったのになぁ・・
そんな事を考えながら、1時間ほどで実家へ シルバーウィーク以来1.5ヶ月ぶりの帰宅
高知時代も含めてこんなに長く家を空けたのは久しぶりかな
翌朝、また奈良へ
家族葬だが、天皇陛下から勲章をもらった立派なおじいちゃんだけに
少ない参列者の中には衆議院議員や町長も参加してた
仕事には厳しいが、ほんと家族には優しかったおじちゃんの顔はほんと優しく安らかで 最後の見納め
蓋をし、出棺時、お棺の重たさを感じ涙が溢れた
火葬場で最後の最後のお別れの時、消えゆくお棺に
おばあちゃんが泣きながらおじいちゃんと叫んでいたのが耳に残っている
数時間後の納骨 おじちゃんはすっかり骨だけになっていた
あの最後まで優しそうだった表情は ずっしり重たかった棺の中の肉体はどこへ・・
それがずっと頭を巡り回っていた
葬式の最後に坊さんが葬式をやる意味を唱えた 葬式なんてって思ったけど
葬式のおかげで自分の心も軽くなったし
宗教と心のつながりというのも考えさせられた
理屈だけが全てでない
科学だけでは心の結末は語れないのでは?
葬式後、FM802の中島ヒロトを聴きながら、親に新大阪に送ってもらい
お姉ちゃんと晩ご飯代わりに新大阪駅構内でうどんを一緒に食べておごってもらい
改札で見送ってもらい19:17ののぞみで帰路についた
その数日後、親友から一つのメール
・・悲しいこと続いてしんどいやろう。
去った人にできる最大は、いつまでもその人を忘れないでいることやと思うよ
小学校の時の恩師と自分にとって大変身近な祖父が続けて他界した先週。
ほんとに悲しい現実で、いまだ整理がつかないところもあるけど
こんな温かいメッセージをくれる大切な友人がいるこの温かさも現実。
亡くなった恩師やおじいちゃんに直に温かさを届けることは出来ないけど
忘れないで居ること それが一番大事。
また、亡くなった人から生前にいただいたその温もりをすべての家族・友達・知人へ・・
それが今の自分にできること
温もりの循環(輪廻)は消えることはない・・
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