2009年1月。会社の再編成で大阪桜ノ宮から東京神田へ転勤を告げられた。
前職の旅行代理店や当時の職場での面接•入社•出張等で
「「何回か東京(神田~秋葉原)の狭いゾーン中心に
何回か行ったことはあったものの、東京の事はほとんど知らなかった。

◆2009年2月の関東の地理的イメージ 池袋やつくばの位置がおかしいww 地名に偏りも
2009年2月頃、東京への出張ついで家探し。
東京の先輩にどこがいいですか?と何人かに聞いたら
京浜東北線沿いが良いとか、何線が良いとか、
地理が頭にないのでピンと来ず。
そんな中、本八幡はどう?って言う先輩がいた。
しかも、当時先輩が住んでいたマンションの指定まで。
そもそも「本八幡」?漢字で書かれたら何て読む?いや何県?


市川市?千葉県?東京神田まで近いのか。
もとやわた?ほんはちまん?どっちだけ?
久しぶりの一人暮らし。…と不安を抱えたまま
とんとん拍子に市川市本八幡の駅近のマンションに
住み始めたのが2009年3月。
その後、3ヶ月間は平日、本八幡と週末箕面生活で行ったり来たり。
本格的に本八幡生活が始まり、駅近の便利さ、新宿まで急行29分の始発。
JRも京成も使える。歩いていけるコルトンプラザやららぽーとやディズニーも近い。
便利さに慣れ、多くの週末はRUCCの先輩同期後輩と
都内の色んな所で飲んだり、ドライブ行ったり、山に行ったり
充実した一人暮らし。






冠婚葬祭やらなんやらで、箕面に帰ることも多く、月曜日始発のぞみで
直行で会社に行くこともしばしば。






一方、便利な一人暮らし
また、特急「あずさ」で北アルプスや八ヶ岳にすぐ行けること、
RUCC、会社の仲間、地元の友人が多くいること。
2009年秋にスマホに切り替えてかは、情報を取りやすくなったりもあり
徐々に千葉都民生活にも慣れてくるのであった。





そんな折、2011年3月の大地震。
会社の四階で、未曽有の大揺れ。1995年の阪神大震災を思い起こす。
机の下に隠れ、ただ収まる事を祈った。
会社からの指示もなく、騒然とした中、課長の家、田端まで歩き、泊めてもらう。
夜中も余震が続き、メールで連絡を取り合う。
翌朝、山手線はまだ動かず。日暮里あたりまで歩き、
偶然動いていた錦糸町方面へのバスに乗るが大渋滞で動かず
途中で降りる人続出。自分も本所吾妻橋付近で降りて、
都営浅草線•新宿線を乗り継いでようやく家に。
エレベーターはもちろん、ガスも使えず。本棚は倒れていた。
スーパーの品不足、原発の事故、デマ、終わらない余震などに精神的に疲れる。
月曜日会社行くもまともに機能せず。その後、計画停電など大変な期間だった。





落ち着いた頃、新しめのアパートに引っ越し
ソファー購入などさらに一人暮らしを満喫。






2012年5月には金環日食も見れました
山にものめり込んで、夏休み一週間を北アルプスに注いだり。









地震も落ち着き、気づけば、結婚式の出席も30回近く。












そんな流れの最後の方に自身も、2015年3月に結婚。





本八幡生活も七年目。三つ目の本八幡のアパート。

落ち着いてまもなく、家探し。
子育て出来る街を前提に
北綾瀬、千葉ニュータウン中央、流山おおたかの森、南流山、六町
等TX(つくばエクスプレス)沿いを中心に訪問。
2009年頃、江戸川台の会社の先輩の家に行ったときに初めて乗った
TXで降りた駅の記憶。



新しいこれからの街と言う印象でひさしぶりの訪問。
駅前のSC以外に大きな施設は少ないものの、
綺麗な駅でこれからの発展が楽しみかつ
駅近の分譲マンションも気に入り、購入。
2015年11月におおたかの森へ引っ越し。



ベランダから富士山が見え、発展していく街を見るのが
とても楽しかった。
友達もたくさん来てくれた。
当時はTXも混雑はひどくなく、快適だった。





妻の妊娠がわかった2018年頃から、混雑がひどくなり、
何度か車内で気分が悪くなることも。
会社も上野に移転するとなり、通勤時間も少し延びるとなった頃
娘誕生。予定日の1ヶ月前の突然。
その日は朝はずっと打ち合わせ。トイレ休憩でスマホを見ると
妻からLINE。今から手術となったと。
折り返し電話するも通じず、
病院や義母と連絡をし、徐々に自体が掴め、そのまま
神田駅から東京駅に向かい、一番早いのぞみに飛び乗った。
12:30くらいののぞみだったか。焦りとか色んな感情がうずまき新大阪に向かう。
お昼ご飯を買う予定が無かったくらいだったが、
色々あり疲れて、品川駅を過ぎた辺りでウトウト。
はっと気づくと静岡県内を走行中。スマホを見ると
母から生まれた直後の娘の写真が送られてきていた。
ドラえもんの結婚前夜の話でのしすがちゃんのパパの話を思い出した。




9月末から3人暮らし開始。


そこまで、自分や夫婦中心だった人間関係が
娘中心へと変わっていく。
RUCC、会社、地元、グロービスに加え、
妻を通じてmachimin地域や保育園のパパママ
と普段の構図が変化または拡張していく。
地域での活動への参加等も初めてだった。



そんな折、コロナ。
志村けんの死を境にリアルな恐怖。
緊急事態宣言。店が閉まる。会社も交代勤務。マスク生活。
大阪に帰れない日々。
色んな場所には行けなくなったけれど,娘とふれ合う時間が
持てたのかもしれない。






コロナが落ち着いて、改めて自分の働き方•やりたいこと・暮らしたい場所・視野を広げたいこと等を考え
希望退職の募集にのって、早期退職。
初の有給消化日はWBCで日本が優勝し、大谷がガッツポーズを見せた日だった。
退職金の一部でシンガポールに家族旅行に行くなど半年ゆっくりして仕事を探す。

大阪に戻る事前提の転職活動。紆余曲折あり、
汐留•川崎の会社に転職。基本週一出社なものの、片道90分の川崎は遠い。
特に出社日朝は自腹で特急「ときわ」(柏~品川)通勤。
募集も本来は大阪だったと言うこともあり、大阪転勤を視野に入れての勤務開始。
前述ように、東京への希望があって転勤したわけでもなく
特に転職した後は千葉に拘ることもない。
とても子育てに便利で綺麗な新しい街。
娘の友達家族と毎週のように家族づきあいしていて大好きな街であるけど。
妻との実家同士も近く、今後親の事とか色々考えると地元に戻りたいなと。
娘の小学校入学を目途として大阪に戻ること家族や会社と話をし、
夏に家を見つけ、2025年3月の引っ越しが決定しました。



千葉16年(本八幡6年8か月・おおたかの森9年4か月)。
長かったような、早かったような。
何はともあれ素敵な方々に囲まれ、充実した日々でした。みなさんにスペシャルサンクス。
本当ありがとうございました。お世話になりました。


来月、16年ぶりに地元、大阪に戻って新章スタート

出会いと別れの寂しさと新生活へのワクワク ありがとう千葉 出会えた奇跡
前職の旅行代理店や当時の職場での面接•入社•出張等で
「「何回か東京(神田~秋葉原)の狭いゾーン中心に
何回か行ったことはあったものの、東京の事はほとんど知らなかった。

◆2009年2月の関東の地理的イメージ 池袋やつくばの位置がおかしいww 地名に偏りも
2009年2月頃、東京への出張ついで家探し。
東京の先輩にどこがいいですか?と何人かに聞いたら
京浜東北線沿いが良いとか、何線が良いとか、
地理が頭にないのでピンと来ず。
そんな中、本八幡はどう?って言う先輩がいた。
しかも、当時先輩が住んでいたマンションの指定まで。
そもそも「本八幡」?漢字で書かれたら何て読む?いや何県?


市川市?千葉県?東京神田まで近いのか。
もとやわた?ほんはちまん?どっちだけ?
久しぶりの一人暮らし。…と不安を抱えたまま
とんとん拍子に市川市本八幡の駅近のマンションに
住み始めたのが2009年3月。
その後、3ヶ月間は平日、本八幡と週末箕面生活で行ったり来たり。
本格的に本八幡生活が始まり、駅近の便利さ、新宿まで急行29分の始発。
JRも京成も使える。歩いていけるコルトンプラザやららぽーとやディズニーも近い。
便利さに慣れ、多くの週末はRUCCの先輩同期後輩と
都内の色んな所で飲んだり、ドライブ行ったり、山に行ったり
充実した一人暮らし。






冠婚葬祭やらなんやらで、箕面に帰ることも多く、月曜日始発のぞみで
直行で会社に行くこともしばしば。






一方、便利な一人暮らし
また、特急「あずさ」で北アルプスや八ヶ岳にすぐ行けること、
RUCC、会社の仲間、地元の友人が多くいること。
2009年秋にスマホに切り替えてかは、情報を取りやすくなったりもあり
徐々に千葉都民生活にも慣れてくるのであった。





そんな折、2011年3月の大地震。
会社の四階で、未曽有の大揺れ。1995年の阪神大震災を思い起こす。
机の下に隠れ、ただ収まる事を祈った。
会社からの指示もなく、騒然とした中、課長の家、田端まで歩き、泊めてもらう。
夜中も余震が続き、メールで連絡を取り合う。
翌朝、山手線はまだ動かず。日暮里あたりまで歩き、
偶然動いていた錦糸町方面へのバスに乗るが大渋滞で動かず
途中で降りる人続出。自分も本所吾妻橋付近で降りて、
都営浅草線•新宿線を乗り継いでようやく家に。
エレベーターはもちろん、ガスも使えず。本棚は倒れていた。
スーパーの品不足、原発の事故、デマ、終わらない余震などに精神的に疲れる。
月曜日会社行くもまともに機能せず。その後、計画停電など大変な期間だった。





落ち着いた頃、新しめのアパートに引っ越し
ソファー購入などさらに一人暮らしを満喫。






2012年5月には金環日食も見れました
山にものめり込んで、夏休み一週間を北アルプスに注いだり。









地震も落ち着き、気づけば、結婚式の出席も30回近く。












そんな流れの最後の方に自身も、2015年3月に結婚。





本八幡生活も七年目。三つ目の本八幡のアパート。

落ち着いてまもなく、家探し。
子育て出来る街を前提に
北綾瀬、千葉ニュータウン中央、流山おおたかの森、南流山、六町
等TX(つくばエクスプレス)沿いを中心に訪問。
2009年頃、江戸川台の会社の先輩の家に行ったときに初めて乗った
TXで降りた駅の記憶。



新しいこれからの街と言う印象でひさしぶりの訪問。
駅前のSC以外に大きな施設は少ないものの、
綺麗な駅でこれからの発展が楽しみかつ
駅近の分譲マンションも気に入り、購入。
2015年11月におおたかの森へ引っ越し。



ベランダから富士山が見え、発展していく街を見るのが
とても楽しかった。
友達もたくさん来てくれた。
当時はTXも混雑はひどくなく、快適だった。





妻の妊娠がわかった2018年頃から、混雑がひどくなり、
何度か車内で気分が悪くなることも。
会社も上野に移転するとなり、通勤時間も少し延びるとなった頃
娘誕生。予定日の1ヶ月前の突然。
その日は朝はずっと打ち合わせ。トイレ休憩でスマホを見ると
妻からLINE。今から手術となったと。
折り返し電話するも通じず、
病院や義母と連絡をし、徐々に自体が掴め、そのまま
神田駅から東京駅に向かい、一番早いのぞみに飛び乗った。
12:30くらいののぞみだったか。焦りとか色んな感情がうずまき新大阪に向かう。
お昼ご飯を買う予定が無かったくらいだったが、
色々あり疲れて、品川駅を過ぎた辺りでウトウト。
はっと気づくと静岡県内を走行中。スマホを見ると
母から生まれた直後の娘の写真が送られてきていた。
ドラえもんの結婚前夜の話でのしすがちゃんのパパの話を思い出した。




9月末から3人暮らし開始。


そこまで、自分や夫婦中心だった人間関係が
娘中心へと変わっていく。
RUCC、会社、地元、グロービスに加え、
妻を通じてmachimin地域や保育園のパパママ
と普段の構図が変化または拡張していく。
地域での活動への参加等も初めてだった。



そんな折、コロナ。
志村けんの死を境にリアルな恐怖。
緊急事態宣言。店が閉まる。会社も交代勤務。マスク生活。
大阪に帰れない日々。
色んな場所には行けなくなったけれど,娘とふれ合う時間が
持てたのかもしれない。






コロナが落ち着いて、改めて自分の働き方•やりたいこと・暮らしたい場所・視野を広げたいこと等を考え
希望退職の募集にのって、早期退職。
初の有給消化日はWBCで日本が優勝し、大谷がガッツポーズを見せた日だった。
退職金の一部でシンガポールに家族旅行に行くなど半年ゆっくりして仕事を探す。

大阪に戻る事前提の転職活動。紆余曲折あり、
汐留•川崎の会社に転職。基本週一出社なものの、片道90分の川崎は遠い。
特に出社日朝は自腹で特急「ときわ」(柏~品川)通勤。
募集も本来は大阪だったと言うこともあり、大阪転勤を視野に入れての勤務開始。
前述ように、東京への希望があって転勤したわけでもなく
特に転職した後は千葉に拘ることもない。
とても子育てに便利で綺麗な新しい街。
娘の友達家族と毎週のように家族づきあいしていて大好きな街であるけど。
妻との実家同士も近く、今後親の事とか色々考えると地元に戻りたいなと。
娘の小学校入学を目途として大阪に戻ること家族や会社と話をし、
夏に家を見つけ、2025年3月の引っ越しが決定しました。



千葉16年(本八幡6年8か月・おおたかの森9年4か月)。
長かったような、早かったような。
何はともあれ素敵な方々に囲まれ、充実した日々でした。みなさんにスペシャルサンクス。
本当ありがとうございました。お世話になりました。


来月、16年ぶりに地元、大阪に戻って新章スタート

出会いと別れの寂しさと新生活へのワクワク ありがとう千葉 出会えた奇跡