NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

2006年02月03日(金)思索

2006-02-03 | 休み
 都市社会学者の多くは郊外を蔑視している。少なくともあまり良いものとは評価していないように感じられる。三浦展さんなどはその典型と言っていい。そしてそういった人々は郊外は文化が無いと言う。ここで言う文化とはおそらく歴史のことだろう。
 ただそういった彼らの主張に最近、違和感を覚える。私が以前中学から高校まで住んでいた地方都市は本当に典型的な郊外だった。国道沿いには様々な業態のチェーン店が青や赤、黄色の原色を掲げ商売を営む。またその何軒かは24時間営業で、人通りの無い田舎の国道を照らし続けていた。
 そういった意味では確かに醜い。都市として醜い。原色の看板はどの都市も均一化させる。確かに無個性でつまらない。三浦さんが賞賛する吉祥寺のような趣は無い。(少なくとも国道や大型の道路沿いには)だがそれは景観に限った話なのではないか。

 今現在僕は大都市のインナーエリアに暮らしている。だがここには郊外都市のような利便は無い。まず書店が無い。在ったとしても大変に規模の小さい書店であり、売り上げをメジャー雑誌のマンガや成人向け書籍に大きく依存する書店でしかない。CDショップも無い。レンタルビデオ店も無い。在ったとしても、メジャー系の作品のみ。品揃えは非常に悪い。図書館は自転車で5分ほどのところに立地しているが、郊外のそれと比べるとお世辞にも充実しているとは言いがたい。映画館は一館も無い。電車で30分は揺られなければ無いのだ。そのほかは推して知るべし。
 

 郊外は確かに多くの問題をはらんでいる。しかしこういった文化に限ってみると画一的な郊外は画一的に文化を供給してくれる。郊外であるが故に必然として店舗は大きくなり、扱う商品数も多くなり、細分化し、様々な需要にこたえうる。中心地では物理的に不可能なことも郊外においては可能になりうる。

 郊外にちょこちょこと10年近く暮らし、今インナーエリアに暮らす僕は郊外のありがたみを実感している。