よみびとしらず。

あいどんのう。

手〜5月3日

2017-05-06 10:35:09 | 散文(ぶん)
最近、手がちょくちょく家出をする。手が家出をすればワタシにはそれが使えなくなるので、たまったもんじゃない。至極不便である。

ある日もういいかげんにしてもらいたいと、なぜ家出をするのか家出をしてどこへ行っているのか、手に問いただした。すると「千手観音様のお手伝いをしています。どうしても行かねばならぬのです」と心苦しそうに手は述べた。そんな千本も手のあるやつのところならばその一本や二本、多少欠いても構わないではないか。ワタシには二本しかない手なんだからそうちょくちょく家出をされるのは大変困る。たまったもんじゃないとワタシが主張すると、手は怒りに怒って大喧嘩に発展した。ワタシの手なだけあって、気性が荒い。そして文字通り、手がつけられなくなった。

ワタシの手なのに、ワタシの身体にくっつかない。壁ぎわにおかれた黄色い座布団の上でふて寝をしている手にそっと近づき、自分の身体をななめにしてワタシの肩をやさしく手の付け根におしあてても、なんの感慨もおこらない。以前であればたとえ手が幾日も家出をしていたとしても、ワタシの身体と帰ってきた手が近づけば磁石のS極とN極のようにくっつかずにはいられなかったのに。いまはS極とS極とまではいかなくとも、S極とかぼちゃ、N極とバナナくらい反応がない。ワタシがかぼちゃになったのか、手がバナナになったのか、それはよく分からないがひとまずこのままではもう、どうしようもない。

手の家出を許容すべきなのであろうか。しかしワタシは千本観音の手伝いなんぞに興味はない。そしてあちらは千本もあるのに対してワタシのは二本である。それをどうしてワタシのほうが我慢して欠かねばならぬのかとやはり納得がいかない。ふて寝をしているうちに本気で夢の世界へいざなわれたのか、手は鼾をかきながら座布団の上で幸せそうに眠っている。それを恨めしそうににらんでいると、残ったもう一本の手が「もういいじゃない。これまでだって、片手でだってやっていけないことは無かったでしょう。あんな手のことなんか忘れて、これからは二人で仲良くやっていきましょうよ」としなをつくりだした。大いにうっとうしい。なんだってワタシの手はこんなのばかりなのだ。ワタシは家のなかで地団駄をふんだ。そのはるか上空では、千手観音が999本の手とともにおだやかなまなざしで人間を絶えず、見守っている。

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