ジジイのたわごと

ジジイが適当に思いついたことを書いてみます

昭和20年6月19日

2013-06-20 06:44:44 | 日記
昭和20年6月19日深夜、私が10歳のときだ。
「ヒュル~ヒュル」という音がして、「ドカーン」という音と共に木造2階建ての家が地震の時のように、大きく揺れ、窓ガラスを通じて室内が真っ赤な色に染まった。焼夷弾が私の家の隣に落ちたのであった。

「焼夷弾(しょういだん)といって、地上に落ちると鉄製の筒の中に火がついてる油状の物が飛び散り地上の物を焼きつくす構造になってた。」
 
 私のに寝てた弟が「にいちゃん!!」と云って私にしがみついてきた。日常とは違う異常なことが起きたのは分かったが、何が起きたのか、さっぱり分からなかった。同じ部屋に寝ていた父と妹も目を覚ました。母は故郷の福津市へ行ってて、不在だった。

 父は妹を抱き上げ、私に「お前は、弟の手をつないで、オレの後に付いてこい」そう云うなり、家を飛び出した。裸足である。家を出ると、直ぐ目に飛び込んできたのは、那珂川の対岸(現在の柳橋、渡辺通り方面)の燃え盛る火であった。このような状況を「火の海」というのであろう。
 ふと空を見上げると、火花が四方八方に飛び散るのが見えた。そのまま地上目がけて落ちてくるのだった。

 そして空中目がけて2本のライトが米軍機を探してた。やがてライトが一機の米軍機を写し出し、遠くから「ドーン」という音がして、米軍機を打ち落とそうとしてた。ところが、打った弾は、ライトに照らし出された米軍機の下のライトの中で破裂するだけで、米軍機に届かないのである。そのうち米軍機は、悠々とライトを抜け出し西の空へ飛び去って行った。
 この事は、私の同級生の中に目撃したのがいる。

 火の海の西側でなく、真っ暗な東の方へ走り出したら、弟が「にいちゃん、寒いよ」と云いだした。弟は何も身に着けてなく、素っ裸だった。私とて、パンツだけだった。私も多少寒いと思ってたが、どうにもならない。間もなくすると、防空壕があって、入口で「中に入りなさい」と云われて防空壕へ入ったら、既に沢山の人が中にいて、体温で空気が暖かいのを感じた。寒いと云ってた弟も落ち着いたようだった。

 たしか新聞記事では、「米軍機が日本へ来ても、打ち落とす」となってたのに、どうして打ち落とせないのか疑問を感じたものだった。