静かな劇場 

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方便を悪しということは有るまじき

2012-09-25 21:05:15 | Weblog
私たちを真実に導き入れるには、絶対に必要不可欠な
のが、仏教の方便といわれるものです。

「釈迦・弥陀は慈悲の父母
 種々に善巧方便し
 われらが無上の信心を
 発起せしめたまいけり」(高僧和讃)

釈迦・弥陀は、慈悲深い父母である。
私たちに無上の信心(真実信心)を発起させるために、
どんなに種々のご苦労(善巧方便)なされたことか。

親鸞聖人は感泣されています。
私たちは弥陀・釈迦の種々の善巧方便がなければ、
絶対に無碍の一道(真実)へは出られないのです。

「蓮如上人仰せられ候、『方便を悪しということは有る
間敷なり。方便を以て真実を顕わす廃立の義、よくよく
知るべし。弥陀・釈迦・善知識の善巧方便によりて、真
実の信をば獲ることなる』由、仰せられ候と云々」
                  (御一代記聞書)
蓮如上人が仰せになった。
「方便など要らないなどとは、言語道断、言うべきこと
ではない。恐ろしい大法謗である。方便からしか真実に
入れぬと説かれた、親鸞聖人の教えが全く分かっていな
いのだ。弥陀・釈迦・善知識の善巧方便によってこそ、
私たちは弥陀の救いに値う(真実の信心を獲る)ことが
できるのである」

蓮如上人もまた、弥陀、釈尊、善知識方の種々のご方便
がなければ、私たちは絶対に真実の信心を獲て無碍の一
道に出ることはできないと仰っています。


いかに方便が大切か、上記のことからも明らかでしょう。
では、弥陀・釈迦・善知識の善巧方便とは何か。

弥陀は、方便の19願で、十方衆生に修善を勧められ、
釈迦は、『観無量寿経』にその19願を開説なされている。

親鸞聖人はそれを

「臨終現前の願(19願)より
 釈迦は諸善をことごとく
 観経一部にあらわして
 定散諸機をすすめけり」(浄土和讃)

 弥陀が19の願を建てられた意を、釈迦は『観無量寿経』
 一巻に詳述し、すべての善を定散二善で説き明かし、
 十方衆生に勧められている

と教えられている。

「如来の教法を我も信じ人にも教え聞かしむるばかりなり」
で貫かれた親鸞聖人が、釈迦弥陀のご教導と違うことを教え
られる道理がないではないか。

事実、親鸞聖人は、

「諸善万行ことごとく
 至心発願せるゆえに
 往生浄土の方便の
 善とならぬはなかりけり」(浄土和讃)

 19願の諸善万行のお勧めは、弥陀が我々を救う(18願)
 ためのお計らい(方便)だから、往生浄土の方便の善とな
 らぬ善はないのである

と教えられ、弥陀・釈迦・祖師のご教導は一貫している。

もちろん、我々のやる善で救われるとは、どなたも仰っていな
いが、善のすすめを嫌い、排斥するような仏教がどこにあろう。

「方便不要。ただです、そのままです、無条件です」
「善など勧めては永遠に助かりません。
 一体、いつ助かるつもりですか!」
などと、何とかの一つ覚えで言っている自称・仏法者がいる
ようだが、世の中にはいろんな「救い」があるものだな、と
嘆かわしく思うだけである。

仏の深遠な方便の真意が、そうそう容易く分かるものではある
まい。

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