静かな劇場 

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毒饅頭を食べてさっさと消えるがいい

2012-10-11 10:43:35 | Weblog




これは本願寺で行われた、親鸞聖人650回大遠忌(上)
と700回大遠忌(下)の写真です。
今から100年前、50年前には、これだけ聞法者に
熱気があったということです。

100年前の「650回忌」に全国から参拝した人は
100万人を数えたといいます。

しかし、昨年、本願寺で行われた「750回忌」は、
その半分以下の40万人(公称)。それも観光を兼ねた
団体参拝でした。

人数だけでなく、門徒の質も大きく変わりました。
50年前、100年前は、写真を見ても分かるとおり、
皆、正座して聞いていますし、『正信偈』の勤行も
きちんと行われておりました。

750回忌はそうではありませんでした。イスに座り、
正座する人はなく、『正信偈』の代わりに「御和讃」
だけの勤行となりました。それは、一般の門徒で、
『正信偈』の勤行を毎日実行する人がほとんどいなく
なったことと関係しているようです。

100年前、交通機関が未発達で、日本の人口が
5千万程度だった時代の100万人と比べ、参拝人数
だけでも深刻な激減です。
質の劣化も含めて、グラフ化できたとするならば、
恐るべき急降下を示すでしょう。

それでも40万人も参拝するということは〃腐っても鯛〃
の風情ではありますが、100年前から今日までの
下降線グラフを、50年後の800回忌へ延長していった
先に見えるものは何でしょうか。
〃崩壊の兆し〃などというレベルではなく、まごうこと
なき滅亡、消滅です。

なぜ、こんなことになってしまったのか?

その答えは、明らかです。
「親鸞聖人の本当のみ教えを伝えていない」
これに尽きます。

蓮如上人がそうであったように、親鸞聖人のお言葉を示し、
その意味を分かりやすく、一生懸命、伝えていれば、
こんなことになるはずもないのです。

事実、

件の坊主が、一生懸命、非難中傷している浄土真宗親鸞会
は、親鸞聖人のお言葉を示し、その意味を徹底する親鸞学徒
の本道を、ひたすら進んでまいりました。
50年前には24畳の会館しかありませんでしたが、
今は2000畳の講堂が、正座して真剣に聞く人たちで
あふれています。『正信偈』の勤行を朝晩欠かさないのは
当然のことです。

さらに全国各地に、仏法を聞きたいという人たちの真剣な
思いによって、会館が続々と建立されています。

先日、二千畳の講堂で親鸞聖人の報恩講が勤められました。
日本のちょうど反対側のブラジルからも、90歳のおばあ
さんが参詣しておられました。日本とブラジルでは昼夜が
ちょうど逆転するため、20代の若者でも時差に慣れるの
は大変です。ましてや90歳の方にとって、それは肉体的
にも精神的にも、どんなに過酷なことだったかと思います。

ただ、ご本人は「どうしても聞きたい」一心で来られたの
であり、大変喜んで帰られました。無上仏のご念力に動か
されての聞法の旅だったのです。

こうした真摯な聞法者に対し、100年前の本願寺の人々
なら、「よく参られました」と讃え、辛苦をねぎらい、
手を取り合って聖人の御徳を讃え、ともに御恩に報いよう
とする気風は十分あったと思います。

でも今はどうなのでしょう?
〃真宗学にお詳しい〃坊主やら同行らが、冷笑もしくは
愚笑して言うのです。

「そんなに真剣に求めなくてもいいのに」
「そうやって自分から阿弥陀様をつかもうとする心が、
かえって阿弥陀様を遠ざけているのだ」

他力が無力になりかわり、「善のすすめ」を嫌って、
真剣に聞くことも、求めることも、続けて聞くことさえも
力強く勧めない。勧められない。

それどころか、そんなことを勧めるから「助からないのだ」
と毒づき座り込む。
口さえ開けば、
「ただです、そのままです。無条件です。何もしなくて
いいんです。ただ今、救われてください」

一見、他力に見せかけた、無力の〃毒饅頭〃である。
こんなのが他力であり、親鸞聖人の教えであるなら、
かつての隆盛はありえないだろう。
説けば説くほど、本願寺の崩落は歯止めがかからなくなり、
滅亡は加速化するだろう。

朝晩、勤行を欠かさないような門徒を、100万人も育てる
ことは並大抵のことではないのに、
先達から受け継いだかけがえのない御門徒たちの厚い信仰
を、100年かけて本願寺は焼け野原にしてしまった。

築くのは大変だが、壊すのは簡単なのである。
ここまで壊れたなら、一旦、ご破算にしてやり直したほうが
いいかとさえ思う。

そう、だから
私たちに「頭、大丈夫?」とか言っていた坊主たちの語る
〃他力信心〃を、本願寺の僧侶はよく聞いて、よく学ぶこと
である。そしてその毒にあてられて、全身麻痺すればいいと
思う。
そして早々に退場してくれたほうが、浄土真宗の再興のため
にはいいのかもしれない。
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