戦争やテロ、地球温暖化などの環境破壊、貧困問題や食糧危機などの世界中の人々の頭を悩ませるような問題が、政治や科学の力で解決すれば、大事業といわれると思います。
しかし考えていただきたいのは、これらの問題が残らず解決したとしても、問題の本質である「死」にはかすりもしていないということです。科学がどれだけ発達しても、死ぬのは止められません。世界中の時計を止めたとしていも、全人類が死に向かって進んでいることだけは止めようがありません。
そこでほとんどの人は、死を見ないよう考えないようにするか、あるいは思い切り「死」を美化したり、茶化したりして、死なんて「大したことない」と信じ込もうとしています。
しかし、それは一つのごまかしなので、いよいよとなると通用しません。ですからそんな虚勢を張ったり、気休めを言うのではなく、死という問題に真正面から向き合って、解決してはどうでしょうか。できないことは言っても仕方がないですが、仏教を聞けば、必ず解決いたします。
上記の諸問題の解決を、世間で大事業というのなら、その根本が解決するのですから、人生の大事業です。
そしてそれが、絶対の幸福になったということであり、仏教が明らかにしている「なぜ生きる」の答えなのです。
しかし考えていただきたいのは、これらの問題が残らず解決したとしても、問題の本質である「死」にはかすりもしていないということです。科学がどれだけ発達しても、死ぬのは止められません。世界中の時計を止めたとしていも、全人類が死に向かって進んでいることだけは止めようがありません。
そこでほとんどの人は、死を見ないよう考えないようにするか、あるいは思い切り「死」を美化したり、茶化したりして、死なんて「大したことない」と信じ込もうとしています。
しかし、それは一つのごまかしなので、いよいよとなると通用しません。ですからそんな虚勢を張ったり、気休めを言うのではなく、死という問題に真正面から向き合って、解決してはどうでしょうか。できないことは言っても仕方がないですが、仏教を聞けば、必ず解決いたします。
上記の諸問題の解決を、世間で大事業というのなら、その根本が解決するのですから、人生の大事業です。
そしてそれが、絶対の幸福になったということであり、仏教が明らかにしている「なぜ生きる」の答えなのです。