静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

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あらゆるものは心を離れて存在しない

2009-12-08 20:39:20 | Weblog
紺碧の空、果てしなき大地、洋々たる大河は、自分の心を離れて存在する。あるいは肉体と心は別々の存在であると思っています。

私たちは常識的に、心の外に事物が存在し、私たちの心は、それを鏡が写し取るようにとらえている。だから、見えたままの世界が、自分の心の外に本当に「ある」のだと素朴に信じています。

しかし、それは本当のことでしょうか。

私たちが「世界」と呼んでいるものについて、少し検証してみることにしましょう。
私たち日本人と、アメリカ人、インド人とでは、大きく文化が異なります。だからそれぞれの国へ行くと、まるで別世界に来たような感じを持ちます。

でも、別世界とはいえ、その体験した「世界」を構成する要素を分析してみますと、つまるところ視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚の情報、つまり色や形、音、匂い、味、熱さ、固さなどの感触、こういう5種類の要素から成り立っている点では変わりません。その5種以外の要素が、自分の世界に登場してくることはありません。

ここは人や国が違っても共通することなので、ここから、
「世界というのは、まあこんな感じのもの」という確信が生まれてきます。

でも、他の生き物は、私たちのこの〃感じ〃を共有しているものでしょうか?
他の生き物について、少し考えてみましょう。

たとえばミミズ。彼らも私たちと同じ地球に生きているはずですが、ミミズには目がありません。ということは、彼らの生きている世界に、色や形はそもそも存在していないはずです。
また耳も無い。だから彼らの生きている世界に音は存在しません。そのほか、匂いも、味も、感触も、人間とは大きく異なる、あるいは存在しないはずですから、同じ地球に暮らしているとはいえ、全然異なる世界を生きていることになります。ミミズには、人間の生きる世界など、想像すらできないことでしょう。

しかし、だからといってミミズの「世界」認識は不完全で、人間こそが「世界」を完全に認識していると言えるでしょうか?

人間は、たまたま眼・耳・鼻・舌・皮膚という5種の感覚器官を持っていたから、こういう世界、つまり5種の要素(情報)で構成された世界を生きているわけで、もし、6つめの感覚器官を持って生まれてくる人があれば、その人の生きる「世界」は6種の要素で成り立っているはずです。となると、その人の体験している「世界」は、5つの感覚器官しか持っていない正常な?私たちにはうかがい知ることもできないはずです。

ではいくつの感覚器官を持った生き物が〃完全な〃世界認識を得るのでしょう?

それは、その生き物の持つ感覚器官に応じて、生きる世界もいくらでも変わるので、どれが完全な世界とは言えません。

ここから分かることは、最初に書いたような、心の外に事物が存在し、私たちの心は、それを鏡が写し取るように認識しているという素朴な信念は、迷妄だということです。

事実は、私に応じて、世界も変わるというということです。

しかし、見えたとおりの、「紺碧の空、果てしなき大地、洋々たる大河」は存在しないのだとしても、心の外に世界が「ある」という確信だけは揺らがないと思います。

ところが、仏教では、その〃確信〃さえも、迷妄と破っているのです。

それは、
「一切の諸法は、皆我心を離れず」
<あるゆるものは心を離れては存在しない>という教えからも明らかです。(つづく)
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