説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

救い主

2015-09-22 11:35:05 | 聖書の言葉
けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

ピリピ人への手紙 3:20

2015年8月30日 説教要旨

2015-09-19 12:43:26 | 説教要旨
2015年8月30日 説教要旨
使徒の働き15章35~41節

「パウロとバルナバはアンテオケにとどまって、ほかの多くの人々とともに、主のみことばを教え、宣べ伝えた。
幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」ところが、バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。そして激しい反
目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。
パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。そして、シリヤおよびキリキヤを通り、諸教会を力づけた。」
マルコは奉仕の途中で帰ってしまい、パウロからは一緒に連れて行かない方が良いと言われてしまいました。しかし、後にマルコの福音書を書く人になり、パウロからも「役に立つ」と言われる働き人になりました。聖書の多くの器が失敗していますが、悔い改め、従っていった時に大きく用いられていったのを見ます。私たちは失敗をするものですが、信仰の対応をとり、主に従っていきましょう。
また、パウロとバルナバはいわゆるケンカをしてしまいましたが、神のみこころを行うためにぶつかってしまったことについて、神は益にして働きを進めてくださいました。みこころを行うことを中心に求めていきましょう。

祈り

2015-09-19 12:13:47 | 聖書の言葉
すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

エペソ人への手紙 6:18
エルサレム、黄金門

2015年8月23日 説教要旨

2015-09-17 12:39:11 | 説教要旨
2015年8月23日 説教要旨
使徒の働き15章22~33節

当時、割礼を受けないと救われないという律法主義の教えが教会の中に入ってきて、混乱をもたらしていました。教えは重要です。間違った教えには充分注意しなければなりません。私たちの信仰生活の歩みにおいて、みことばの恵みが、生活や人生に、教会に、そのまま現れるかどうかの分かれ道になるからです。パウロやバルナバはそれに対して一歩も引きませんでした。
最終的にエルサレムで教会会議が開かれ、異邦人の方々に不必要な重荷を負わせないと決議され、ユダとシラスが選ばれ、手紙と一緒にアンテオケ教会に派遣されました。彼らが真理を曲げず、みことばの真理を保ったので、全世界に福音は伝わり、私たちの所にも届けられました。私たちも人々の中でみことばに立つ時、真理のために十字架を負うことがありますが、みことばの真理を語り続けていきましょう。
 また、間違った教えを入れてきた人々の特徴は、教会の指示を受けていないのに自分たちで勝手に行っていたということです。つまり教会の秩序に従わず教会を土台とした歩みをしていなかったのです。私たちはいろいろな器と出会うときも、その人が教会を土台として働きをしているか、教会の秩序の中で働きをしているかをチェックする必要があります。なぜなら、神はキリストの身体である教会を通して働きを進めていかれ完成していかれるからです。
 ユダとシラスは預言者でした。新約時代は預言は吟味してから受け取らなければなりませんが、確認できたことばは神からのことばであり、神のことばは成就していきます。ですから預言は重要な働きをになっています。私たちも預言をないがしろにせず、「預言することを熱心に求めなさい」というみことばに従い、預言を語る事、吟味し、確認できたことには従っていくことを熱心に求めていきましょう。