◆私の常識・非常識・ほんとに辛いときに聞いてほしい、ときって人間にはあるとおもいます。そのときにですよ、相手の話しのこしを折ることをするような、あなただけじゃないんだからは、私は話しを聞いてて相手に1度も言ったことはありません。対話のときもそうしています。電話も携帯ですが、24時間つながってるのは緊急で、夜中に死にたくなる人もいるのです。◆私はいのちの電話の応募にすすめられたことがありました。でも、時間がなくお断りしましたが。私の友人もいろんな方がいて、途中で寝てしまうかもしれないけど、夜中でも携帯にかけてきていいよ、と言ってましたので、夜中に悩みがあり、電話がかかって聞いていたことがあります。つぎの日は仕事がありましたが、何人も悩みがもつ友人からかかってきてました。夜中の2時頃には私は眠って朝方まで、携帯をにぎったまま寝てたと、いつも家族が教えてくれてあました。友人はお金では買うことはできません。続く
私は初対面の私にこんなにご自分のことを話していいんですか?と聞きました。そしたらそのご婦人はいいんですよ、話しても私の気持ちはあなたにはわからないでしょう、というので、私も同じような境遇で育ってきたことを話すと、私の顔を見てうそでしょう、と言ったのでほんとです、と言いました。同じ経験した者同士じゃないと絶対に辛さはわかりません。私は人がご自分のことを話され、聞くときは絶対にこの言葉はいわない、と徹底してきたことがあります。◆それは、あなただけが辛い思いをしているんじゃない、もっと、辛い苦しいおもいをしている人はたくさんいる、という言葉です。◆だって、話してる人はそんなことわかっているんです、自分だけじゃないってことは百も承知・それなのにご本人は辛くて話してるのにその話してるこしを折ることになるからです。◆同苦することって大切です。 ◆たった一言の言葉で人間は生きるか、死ぬか、ということもあるのです。私はそのご婦人と携帯番号を交換し、こんどまた、あってお茶することになったのです。
◆御書には四恩抄に四つの恩が書かれています。私の両親のことは願兼於業で私の使命なので、恨みなどいまはありませんが、一般の大聖人様の仏法を知らない方々にはましてやいきなり原因が、こうで、ああでと言ってもわかるはずもありません。私はそのご婦人と公園のペンチに座って、いろんなその方が語る人生の経緯を聞きました。波乱万丈な生き方のご婦人でした。私は涙が止まらなくなってしまいましたが最後まで聞きました。目の回りの縫った皮膚のひきつれ、へこんで歪んでいる顔が・・・どれほどの苦労や心労をしてきたのかな、と。人間を信じられない、このご婦人からの言葉など。いろいろ聞いて、私は絶句しました。◆この方も幼いころから、親戚などに転々と預けられ、転々と移動しながら、一人で生きてきたこと。そのほか、いろんな人生だったことを私に話したのです。続く
下記に書きましたが、私が稲毛駅から自転車で美浜区に帰宅途中・自転車と自転車でぶつかったご婦人との出会いがありました。◆私がいくら脊髄疾患になったといえども、体はそれなりに鍛えていますので(いまは、ヘビー級ですが) 車とぶつかったとしても、完全に車がへこむのがすごいとおもいます(苦笑) その自転車と私の自転車がぶつかって、そのご婦人は6メートルぐらい・飛んで、公園の植え込みの中に運よく落ちました。スピードはあちらからあげてあて、こっちにぶつかったのですが、お陰さまで私のほうはすこしだけずれただけですみました。すぐに駆け出して公園の植え込みから、ご婦人を助け出し、ケガがないか聞いてみたのですが、かすり傷しかありませんでした。そのとき私はその人の顔が変形していたのでびっくりし、まさかいまの衝撃で?とかおもってしまったんですが、聞いてみると、幼いときから親に虐待されつづけて、変形するほど殴られた、と話してくれました。◆私はよく、きれいごとで昔、親から虐待されてきても、親なんだからさあ、とかいう、人がいるけど、恨むとかではなくて、そういう人は親からの虐待されないできた人がいうことで、虐待されつづけた者にとっては、何十年たっても、トラウマになっているんですよ、確かに◆御書にも、四恩抄に父母の恩が出ています。だが、そう簡単にきれいごとをいう人を私は信用しません。続く
◆◆池田先生・奥様。私は創価学会員として、生まれて七ヶ月のときに入会しました。途中、私が小学生4年のときに母が信心に反対し、虐待されつづけても、信心をつづけてきました。どんなときでも、私は負けなかった。一人っ子で、いつも家では一人暮らしだったけど、父は病院が家みたいなものでしたが、私にはいつも会合にでると学会家族がいました。絆はすごく強かったです。小学生4年生からもう、毎日、毎日、お題目をあげる私を二つ目の仕事から帰宅した母が殴る蹴る・飛ばされる髪の毛をハサミで切られる、そんな毎日でも、私には希望がありました。池田先生からの指導を少年部担当だった女子部の人が会合で会うと教えてくれていたのです。いまの私があるのはあの私の原点は少年部のときの信心なのです。この続きは黄金の3年間にまた書いていこうとおもいます。 いまね、もっとも苦しんでいるご婦人と会うことになっているんです。その人も親になにもしてないのに虐待され、これでもかこれでもか、これでもか、これでもか、とわけもなくなぐられ顔が変形しているのです。この方とは私が稲毛駅から自転車で美浜区に帰宅途中に自転車どうしでぶつかった人で、お互いに吹っ飛ばされるのには小さい頃からなれていて、全然知らない人なんですが、お怪我はないでしょうか?とお互いにあやまって、公園で話したことがきっかけで、知人になり、携帯の電話番号を交換するまでなり、いま、仏法の因果の話しを聞きたいとのことで、下旬に会うのです。続く