すずらんさんの気持ちは痛いほどわかります。折角、発心して決意して頑張ってるのに結果がすぐにでないと決意ばかりとか言う人いますよ、確かにね。◆御書をしっかりと自分で研鑽し、身につけていくと大聖人様はなんと言われているのかがわかります。言いたい人には言わせておきなさいよ。言った人に福運はつかないのですよ。すずらんさんは自分が言われても絶対に相手を怨嫉・十四誹謗をしないようにね、お題目をあげて、あげて、決意したことに向かっていってください。前にこのブログに書いたけど、私も経験したことのある、いろんな事情で連絡がとれず、仕事で忙しい人を把握もせずに地区協議会で、○○さんのお宅は何回行っても、何年、行っても会えないから、箸にも棒にもつかまらない人、と同志のことを言った人や・新しく引っ越して来られた方の前の地区でのことで、把握もせずにこの人には気をつけましょう、と言った(上の幹部)もいました。私はそれはちがう、とおもい、前の地区では何があったのかはしりませんが、折角、うちの地区に[縁]があって、また[使命]があって、引っ越しされてきた大事な同志なのに[箸にも棒にもかからない]というのは怨嫉であり、その同志のこれからの成長などをこちら側の一方的な決めつけで、その人の成仏まで、妨げることになりますよ、と私はみんなの前でいいました。 人にはその人しか出来ない[使命]があります。池田先生はいつも、その人にしか出来ない使命があるよ、とおっしゃってきましたよね、大事な組織とは大切な同志でしょう。続く
座談会では御書の時間が、いつも数分だとすずらんさんが言われてますけど、ひとりずつの一言などで確かに決められた時間内ですので、皆なさんで拝読し、地区部長さんが通解・講義を手早く終えることも大いとおもいます。◆では、どうなのか?ですか? ◆厳(きび)しい言い方ですが、すべては自分の気持ちなんですよ、自由なことなんですが自分で日々・一行でも御書を拝読・通解して研鑽して題目をあげていくことをずっと続けていくとまたものの見方がちがってきますから。◆私はその月の座談会に行く前に大白蓮華の座談会・拝読御書を必ず読んでから参加するようにしました。そして座談会から帰宅してからも、また、時間がないときは何日かしてから座談会で勉強した座談会・拝読御書を読み、御書を開いて、大白蓮華も開いて、いっしょに研鑽しています。座談会で御書の時間が短い、とのことはよくわかりますよ。でも、ご自分で御書を開き拝読・研鑽していく、積み重ねが年月がたっときにどれだけ信心していく上で力やプラス・人や[魔]に粉動されなくなる自分になるのか、わかるようになります。◆すずらんさんの大きな大きな・決意・頼もしいですよ。 年月がかかっても、また、[魔]が強く一時は負けても、また、決意して立ち上がっていけばいいんですよ。人じゃない・自分がどうするか、自分はこうする、自分だったらこうしていくと御本尊様に強くいのって行動していけば必ず祈ったとおりになります。◆私の体験ですが、こういうこともありました、支部幹部さんが、私にあまり、折伏、折伏、というとみんなの前で浮いてしまうから、と言われました。私はすずらんさんと同じく、自分の目標は大きく決意し持ちます。ですから、大きい決意が地区の同志の皆さんに浮くなんて考えたこともなく、人からどう思われようと私には関係ありませんでした。◆私は生まれて数ヵ月で入会しましたが、自分は信心でどうするのか、どうしていくのか、これを忘れません。続く