私はあまりにも、入院してたときに同じ病室の○○さんが、駅前で会ったときに自転車に乗れる私を見て驚いていたのを覚えています。だって病院を抜け出してからは自宅でのトイレにいくのにも、何十倍も自分で努力しました。腰から下が極度の痺れで感覚もマヒしているんですが、自宅の絨毯の上をほふく前進で、腕でだけで進み何度も何度もその繰り返しでした。御本尊様の前にいくのもほふく前進。私は絶対に歩くんだと、絶対に自転車に乗るんだからと、広宣流布のために折伏にもっともっと、この足で歩いていくんだから、ね、御本尊様と、そのときは座れないから、横になって、こうして勤行・唱題ができる感謝・一遍お題目をあげたあと、御本尊様、ありがとう、ありがとうございます、って唱題の繰り返しをして、それから2ヶ月してから、左足の痺れがよくなってきて、完全にオムツがとれて、杖を両手に1本ずつもち、ムリを承知で外に出て、歩く練習を開始したのです。一歩ニ歩で杖を2本ついてても、倒れ、その繰り返しの日々をおくり、それから自転車に掴まり、自転車を押して一歩ずつ歩くと4歩で自転車ごと倒れました。近所の人や道を歩いてた知らない人が、何十回と倒れた自転車と私を起こしてくれたことは本当に感謝で一杯でした。倒れたために身体は特にうでは、あざと傷だらけになりましたが、根性でずっと続けて、とうとう自転車がかろうじて乗れて6メ-トルぐらい乗れて倒れたんですが、それがうれしかったですね。◆まだ、よく歩けないときだったんですが、御本尊様と約束したとおりに折伏にはタクシーにのり、沢山の友人、格闘技中間などなどと会って対話し、楽しい話しもして絶対に前向きで、絶望感はみじんも寄せ付けないように日々過ごして現在に到ります。続く
はじめて話しますが、3年前は私よりもずっと軽症・とはいっても病院に入院するぐらいなので重症なんですけど、その方が私と同じ病室に救急車で運ばれてきました。私のほうが超、重症だったんですが、同じ病室のその方が偶然・去年、私の住んでいる駅前で会ったのです。私は自転車を押して駅前を歩いているときに前から、車椅子に乗ったその方が、車椅子を押しているご家族も、私を見るなり、あ~~~花百蓮さんだ~~~。え~~~、どうして自転車乗ってるの~~~、自転車に乗れるの~~~と、大きな声で言って、私とばったり会ったのです。私は車椅子に乗ったその方○○さん、お元気でしたか、と立ち止まり、私が病院で痛め止めの大きい注射と、痛め止めのクスリばかりの1日クスリづけがいやで、医師に1日だけ外泊許可をもらい、それ以後・病院にいかなくしたことはこの○○さんも知っていて、病室のみなさんが私のことを心配してたことも教えてくれました。私よりもこの方○○さんは重症ではなかったのに歩けなくなって車椅子の生活になってしまったと、私に話してくれたときは私は悲しい気持ちを精一杯おさえ、○○さんに励ましの言葉を送りました。続く
3年前2回目の脊髄損傷で入院し大変でした。秋には東京の母が事故で大手術をすることになり入院でしたので、私が退院してからのリハビリ中にブログにも書きましたが、私は杖を2本使い自分のリハビリを中止し、千葉市から東京の病院まで行き、実家に泊まり込み母が飼っている猫にエサをあげてから、電車とバスに乗り継ぎ選択したものや買い物をして病院にいき母に付き添いしてから、母がしてた仕事を6ヵ所のうち3ヶ所を私が杖をついて仕事をし、終わってから猫にエサをあげ家の掃除、支払い、洗濯をし、ひまわりの会合と座談会と○○○○○の月2回の会合は千葉市に帰り私の自宅での会合なので千葉市に帰宅し終わったらまた、東京の実家に戻り毎日、母の病院にいき、母の仕事をして、実家でも聖教新聞をとり、本幹同中は葛飾・水○平和会館に参加しました。◆そのときは私は完全に腰から下が神経がまひして、オムツをしたのですよ、それを辛いと思うか、それとも必ず努力し、絶対に良くしてみせるか、のどちらかなので、私は御本尊様を疑わずに必ず良くなってみせる、と題目をあげながら御本尊様に誓いました。続く
一昨日は○○○キックボクシングのジムに顔を出してきました。久々にリングの上での練習を見させて頂きましたが、若い人が頑張っておられ上達も凄いものでした。己に勝つ・孤独な闘いでもあります。私の身体はもともと運動向きではなく、格闘技をした理由はずっと前にブログに書いた理由があってしてきましたが、これがなんと創価学会で日蓮大聖人様の一念三千法門を教えて頂き信心の実践をしているときも、自分との闘いがずっと続いていくのが同じなのですよね。3年前の私の2回目の脊髄疾患で重症で、病院に入院したことはまだ、ここには書かなかったけど、自分との闘いと信心の功徳でいま、一生涯車椅子だと絶望だった私が、病院を外泊許可をもらい、そのまま病院に帰らずに自宅で、自分でリハビリして、努力を何十倍しようと、続く