郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

「ガラスのビンに入れられたよう」・・・映画「ゲッペレスと私」の感想に寄せて

2018年07月20日 | 日記
 「『ガラスのビン』に入れらていたよう」だったというのは、今の日本の国民の置かれた現状とそのまま重なりますね。


 約20年前、最初の選挙に出た時、20代、30代の若者たちが「繭の中」あるいは「カプセル」に包まれたまま外に出てこようとしない人たちに見えて、歯がゆい思いをしていたのを思い出します。

駅でチラシを渡していた時、当時50代、60代の通勤客は割合よく受け取っていただいたのに対し、20~30代の若者たちはまったく受け取らずに無表情のまま、目の前を通り過ぎていくのを見て、自分の世界に閉じこもり外界との接触を拒否する人たちという印象を強く持ちました。

「何を言っても通じない」、まあ、絶望的という感じを持ちました。
こういう人たちがどうして生み出されたのか?という問いがそのときから私の中では芽生えて問題意識となって今に至っています。


そのころから、私は周囲の人たちに「今の有権者(あるいはそのころは若者)はなんかおかしいんじゃないの?」という質問をしていましたが、だいたいは「そんなことを言ってはいけない」「有権者のことを悪く言ってはいけない」という反応でそれ以上は話が進みませんでした。

私は「この問題をもっと真剣に考えた方がいい、この国の進路を左右することになりかねない」と思っていましたが、そういう人にはなかなか会えませんでしたね。


でもさすがに5~6年前から活動家の間で、今の政治・社会の現状について考える時、「有権者もいけない」ということばが聞かれるようになり、ようやく同じ問題意識を持つ人たちに逢えたなと思ったものです。


「自分の頭で考えることをしなかった。上から言われるままに行動し、生活してきた」という反省はそのまま今の日本国民にも当てはまりますね。

前にも書いたと思いますが、私の高校時代の同窓生の劇作家の永井愛さんはずっと前に何かの劇作品の解説で「今の人は権力を、善悪の判断はさておき(あるいは棚に上げて)とりあえず支持する」という事を言ってました。

確か「バス停に利用者のためのベンチを置くことを思いつき、そのことを行政に提案し実現させようと奮闘する主人公と、その行動が周囲にもたらす波紋を描いた」生活劇だったと思います。

この彼女の言葉がずっと頭に残り、何かあるとこのコメントが頭によみがえりますが、今の支持率の回復ぶりを見ると「ぴったりの現象だな」と思ってしまいます。


問題は何で「善悪の判断はさておきとりあえず権力を支持」するんでしょうね?
これが大問題です。

このことをずっと前から私は考えたいと思っており、「郷土教育」でも共有できればと思っていましたが、それはなかなかできませんでした。
大きな問題ですから、簡単にはいかないでしょうし、無理なところはあったんでしょう。

-S.Y-

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