「大塚公園で子どもたちの生活指導をしたいと思って、というのは、その夏、東京で赤痢がはやり、子供たちがいっぱい赤痢になったからです。
子どもたちは絵本にヒマワリが咲いているのを見ると、「これ絵だけだろ」っていうんです。
本物のヒマワリを見たことがないのよね・・・。
そこで、ヒマワリのたねを五つぶ、その公園の隅の箱にまいて、かわりばんこにをかくことにしました。
はじめの子は、待 . . . 本文を読む
郷土教育ブログ初登場のIです。郷土の会員で教科書運動に関わっています。パブコメって書くの、憂鬱ですよね。今回、私の区でも教育ビジョンに対するパブコメ募集がありました。やっと書き終わりました。それを連絡係の私が教科書の会の皆さんにお知らせしたものです。以下に紹介します。皆さまへ 連絡係のIです。今、やっと「おおた教育ビジョン素案のパブコメ」を区教委にメールで送りました。今日の区教委傍聴の後 . . . 本文を読む
雨と共に風が強くなって来た中、バスは平戸本島から更に次の島へ向かいました。
フェリーには乗る予定がないので、おおよその見当はつきました。
平戸市は、今でこそ九州本土の北松浦半島の一部を含む市域となりましたが、元々は平戸島が主な地域でした。
現在は市役所本庁がある平戸島を中心に、北西の生月島、北の度島、更に北にある的山大島の4つの主な島から形成されています。
このうち、橋で繋がっているのは平戸島 . . . 本文を読む
船橋市の南部は東京湾に面している
その昔は漁で栄えた地域でもある
厄を払い漁の安全と大漁を願う儀式として
始まった『ばか面おどり』
市内の小学校3年生向けの社会科副読本には
「郷土のうつりかわり」を学習すべく
『ばか面おどり』の記述があるらしい
学校から帰宅した彼がおかしな顔をして暗闇からやって来た
一瞬ビクッとした私は思わず声を上げた
まさかばか面をかぶって来るとは思わなかったからだ
. . . 本文を読む
1)虫、食べられたのか?! 殻からでたかどこかへ行ったのか⁈
2018年11月28日、草の茎に虫の殻あるいは繭を庭で発見した。
その後その繭はどうなったのかと2019年3月19日に見てみた。
風にさらわれてどこかに消えてしまったかなと思ってみてみると、まだ、繭があった。
しかし、その繭は穴が開いていた。
元々の虫がでていったのか、ほかの何ものかが食い破って侵入し、中野虫を食べてしまったのか . . . 本文を読む
金子文子の存在感が強烈。
権力の手先、取り調べの判事、監獄の官吏たちを怖れず、自由奔放に自分であり続け、思い通りに行動する文子を韓国の女優、チェ・ヒソが演じ、まばゆいほど魅惑的、圧倒された。
関東大震災の2日後、1923年9月3日朴烈と金子文子は検挙され、大逆事件で起訴される。
しかし朴烈と金子文子たちの「大逆事件」、皇太子爆弾投擲計画は、菅野すが子たちの計画よりもっと煙のような夢物語 . . . 本文を読む
フランス在住の孫娘は6才3ヶ月
日本で言えば保育(幼稚)園の年長さんだ
フランスでは既に小学校へ入学して早くも半年が経過
フランス語の読み書きと加減の計算が主な学習
特にフランス語の学習には力が入っているようだ
何より驚かされたのは1年生から筆記体で書かせること
情報によると幼稚園の年長クラスから始まる地域もあるとか
何でそんなに早くから語学を重視するのか…
様々な理由があるようだが . . . 本文を読む
年度末が近いせいか 小学校の全校朝会へ招待された
当初の連絡では 全9人が挨拶すると時間がかかるから
「自己紹介のみでお願いします」と言われていた
ところが当日 集まったのは私を含め5人のみだった
「予定変更して皆さん子どもたちに一言ずつお願いします」
校長から体育館の所定の椅子へ座った際に言われた
ところが 前座だったはずの校長の訓話が実に長い…
子どもたちも飽きている感じが見てとれる
. . . 本文を読む
最近、韓国では「従軍慰安婦」を題材にした劇映画が5本作られ、その中の1本。
2015年にTVドラマで放映され、その後映画化された作品だそうだ。
よく練り上げられた構成で、カメラのアングルも迫力があり、70年後の今に引き寄せ、画面に食い入ってしまった2時間、見応えがあった。
2015年の今、一人の老婆が、役所であなたの父親は朝鮮の独立に寄与した名誉市民として表彰されることになったから . . . 本文を読む
2日目はあいにくの雨模様、それでもミステリーツアーはとある所を目指して進みます。
ホテルを出てまもなく到着した所は「展海峰」という小高い展望所。
雨雲に覆われながらも、海に浮かぶ多くの島々が見えました。
これぞ、リアス式海岸に連なる「九十九島」です!
晴れた日とは違った美しい眺めでした。
因みに同時に訪れていた観光バスは、私たちのバスを除いてほぼ全てが中国からのツアー客を乗せていました。
. . . 本文を読む
明治末から大正そして昭和の初めにかけて、小石川は貧しい人たちのたくさん住む町でした。徳永直は、その著「太陽のない街」で、そんな町のようすを次のように書いています。
「・・・殿下は、興味深そうに聴いていられたが、フト校長へ言葉をかけられた。
ー向こうの山と、此方の山との間に、谷がある訳だが・・・見たいものじゃ。
-ハッ。
と言ったが、老校長は恐縮してしまった。白髪の、ろ頂部まで禿げ上が . . . 本文を読む