郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

私の少年時代ー21(勉強を意識し始めた中学生の頃)

2021年08月28日 | 日記
中学の3年間は 、私にとって大人に近づく大きな3年間であった。入学からしばらくは、小学校時代とさして変わらない日々を過ごしていた。ところが、中学という所は「勉強」を否が応にも意識させる。それまで家に帰ってまで机に向かうことはなかった。というより、私専用の机というものがなかったのだが、父が昔から使っていた欅製の重厚な机を与えられた。2枚の平板で作られていた天板には隙間ができていた。聞くところによると . . . 本文を読む
コメント

私の少年時代ー20(食と弁当➁)

2021年08月25日 | 日記
いつの頃からだろうか、お昼の弁当の時間になると温められたミルクが飲めるようになった。これが、例の脱脂粉乳というやつだ。私は自宅に乳牛が一頭飼育されていたため、毎日牛乳を沸かして飲まされていたので特に驚きもしなかった。後々、この脱脂粉乳をめぐってなんやかやと言われることもあったが、私は、家で飲む牛乳より淡白で飲みやすかった記憶がある。変な話だが、私は「家で飲むのは牛乳、学校で飲むのはミルク」と分けて . . . 本文を読む
コメント

竹久夢二絵本展―6

2021年08月22日 | 日記
大正4年の「子供之友」に載っていました。 サクラの木を囲んで楽しそうに遊ぶ子どもたちが描かれています・・・。     -M.N- . . . 本文を読む
コメント

竹久夢二絵本展―5

2021年08月20日 | 日記
大正4年の「子供之友」に載っていました。 野原で遊ぶ子どもたちが描かれていますが、男の子の兵隊姿が可愛いですね・・・。     -M.N- . . . 本文を読む
コメント

竹久夢二絵本展―4

2021年08月18日 | 日記
  「子供之友・2-2」に掲載されていました。 ツバキに花が美しく、園芸好きの私の大好きな絵です。   -M.N- . . . 本文を読む
コメント

鎌倉百景−36

2021年08月16日 | 日記
   田楽辻子のキバナコスモス     -M.N- . . . 本文を読む
コメント

竹久夢二絵本展―3

2021年08月14日 | 日記
  「子供之友」の大正4年2月号に載っていました。 雪国の子どもたちの正月風景が描かれています・・・。     -M.N- . . . 本文を読む
コメント

悪口のすすめ

2021年08月13日 | 日記
学校に限らず、世の中で   「他人の悪口を言ってはいけない。」   ということの是非については、今更述べる必要もないだろう。       しかし、いつの世でもなくならないのが   「他人の悪口」。   ましてや、「言ってはいけない。」と、言えば言うほど、ひどくなる。   今回のSNS上におけ . . . 本文を読む
コメント

「学校」という場所が、どうなっていくのか見届けるのが、私の仕事

2021年08月10日 | 日記
1学期末に、PTA会員向けの広報誌が職場で配布されました。   一応、私をはじ教職員のインタビュー記事が載っていたので、読んでみました。   すると、私以外、ほぼ全ての職員が「教員を志望した理由」について、「ポジティブ」な内容しか書いていないのです。   それを読んで、私は   「ああ、そうか、今も昔も『学校』に対してポジティブな印象を持って . . . 本文を読む
コメント

パラリンピック観戦を強制するのはいかがなものか?

2021年08月07日 | 日記
  8/5、千葉県庁においてパラリンピックの河合純一日本選手団長が、「学校連携観戦」に関する要望書を熊谷千葉県知事に手渡し、「無観客になった場合でも、学校主導の児童・生徒による競技場での観戦は実施するよう」に求めたということです。 熊谷知事、「コロナの収束が見通せない状況が続くが、当事者の声として要望を重く受け止めて今後の大会組織委員会との協議にあたっていきたい」と答えたそうだが . . . 本文を読む
コメント

私の少年時代ー19(食と弁当①)

2021年08月06日 | 日記
小中学校の頃、私の住む町では未だ完全給食が実施されていなかった。半ドンの土曜日を除いて5日間は毎日弁当持参で通学した。弁当箱は上級学年になるにつれ大きくはなったが、アルマイト製であることに変わりはなかった。小学校へ入学したての頃、私は楕円形の薄く小さな弁当箱で蓋には野球少年の絵が描いてあったのを覚えている。作ってくれたのは母親である。今では「愛妻弁当」等という微笑ましいものもあるが、当時も親の愛情 . . . 本文を読む
コメント

私の少年時代ー18(東京オリンピック聖火リレー)

2021年08月02日 | 日記
1964年、昭和39年、東京オリンピックが開催された。この年は忘れることのない強烈な印象が残っている。ちなみに、年号を自覚的に西暦で唱えるようになったのはこのオリンピック以降だ。中学の3年になると、しきりに世の中がざわついているのを感じた。テレビやラジオからは三波春夫が歌う「東京五輪音頭」が頻繁に流れていた。♪あの日ローマでながめた月が 今日は都の空照らす・・・♪しかし、4年前のローマオリンピック . . . 本文を読む
コメント