9月3日
日没が早くなっています。
1日に1分、つまり1ヶ月に30分早くなっているのだそうです。
この夕焼けは、18時15分に撮りました。
ここつくばみらいでは、3日前から稲刈りが始まりました。
日中はまだ酷暑ですが、夕方になると、コオロギ等秋の虫が鳴いてます。
夕方の散歩は気持ちいいです。
-K.K- . . . 本文を読む
資料館を出たあとは、夜の広島に出ました。
なるべく、地元の人が集まる場所を探していきました。
結局、「広島焼き」を食べるべく、地元のチェーン店に入りました。
食事を楽しみながらも、私の心には、原爆ドームと資料館での体験が残っていました。
その入ったお店のあった場所も、あの日の爆発で、一度全くの壊滅状態になっていたのを復興させた場所であること。 . . . 本文を読む
「資料館」の最後は「原爆『リトルボーイ』」についてです。
もういろいろな場所で、原爆のしくみについては言われているので、ここでは「ウランどうしをぶつけて核分裂反応を起こした爆発を起こす爆弾」ということにしておきます。
私が関心をもったのは、実際に爆弾の中で、核分裂反応した「ウランの量」についての展示でした。
実際に積まれたウランの100分の1程度(重さにして8 . . . 本文を読む
つづいて「資料館」についてです。
7月に、児童と一緒に、某国立博物館に行ったのですが、英語表記のあまりの少なさに、「これでは、観光地にもならない。」
と思いました。
(そんなところも「人不足」なのでしょうか?)
今回、行ってみて、たぶんアメリカ合衆国(以下「合衆国」)の人が多かったように思えます。
館内のほぼ全てが「英語で併記」されているの . . . 本文を読む
どうして、半世紀以上も生きてきて、今更、広島平和記念資料館(以下「資料館」)に行ったのかについてです。
千葉学校労働者合同組合にて活動していると、「天皇の戦争責任」ということで様々な場面に出くわします。
その一つが「空襲」あり、「原爆」でもあります。
それらの責任問題になると、必ず「仕方なかった。」「どうしようもなかった。」という意見に出くわします。
私の身 . . . 本文を読む
広島平和記念資料館についてです。
「博物館」ですから、展示内容がその都度変わるのは、世の流れかと思われます。
いわゆる「ジオラマ(再現人形)」はもうありませんでした。
それはともかく、私としては、「N家の崩壊」が印象的でした。
戦争が招いた病苦に苦しみ、さらに、差別や福祉の不備による苦しみ・・・。
N氏が亡くなった3年後に私は生まれました。
それから半世紀以上経って、「 . . . 本文を読む
実は「原爆ドーム」については、某TV番組の「世界遺産」で見ていました。
一つ一つの瓦礫にいたるまでの管理、老朽化を防ぐための補修など。
それらを間近で見ることができました。
やはり、現物を現地で見ることの大切さを再認識しました。
ところで、今回原爆ドームや広島平和記念資料館をはじめ、広島市内のいたるところに英語・中国語・ハングルの並記が目立ち . . . 本文を読む