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E・コッカーと戯れる浪費派リーマンのゆるい生活

向き合い、折り合う…の巻

2017-11-08 16:21:38 | 日記・エッセイ・コラム
まあ、世の中いろいろあるわけだ。

思わぬ僥倖もあれば、納得いかないことも。

理不尽に震えたり、安堵に包まれたり…。



(写真と文は関係ありません)


そんな事象にどう向き合うか。飲み込まれず、どう乗り越えるか。

まったく簡単ではない。


53年も生きてくると、いろいろなことがあった。

果たして乗り越えてきたのか、やり過ごしてきたのか。さてさて。



(写真と文は関係ありません)


私自身はそう深く考えない方なのであるが、生真面目に問題に相対する人はいる。

そんな人たちは決まっていいヤツばかりなんだけど、そこは年寄りなりにアドバイスしたくもある。

起こったことを、あえて正視しないって感じとでもいうか。

「思考停止は諸悪の根源」というのが私の人生観だが、突き詰めたっていいことがないって話はまたいくらでもある。

その辺りは融通無碍にいくのがよろしいのだろう。



(写真と文は関係ありません)


ただ、俺の場合もそうなんだけど、なかなか難しいよね。

ついついガツンといきたくなる。

しかしながら、世の中、適者生存だ。

生きるために、自分の精神衛生のために「身をかわす」というのも、これまた立派なテクニックだと思う。



(写真と文は関係ありません)


しなやかに、それでも自分を失わずに粘り強くってところか。

そんな時、最後まで味方になったり支えてくれたりする奴がいれば、ずいぶんと楽だ。

たいていそれは家族なんだろうけど、それ以外にだっているだろうし、そういう働きができればいいような気もする。



(写真と文は関係あります)


少し話は変わってくるが、定年後の身の処し方を考えたりする。

苦しんでいる人にアドバイスするとか、少しでも助けになるとか、そんな方向をぼんやりと思う。

相談員とかって感じかな。


それは例えば、いのちの電話方面であってもいいし、犯罪被害者支援の方向であっても。

まあ、体系的な理論や資格も何もない身が「あってもいい」なんていうのは生意気な話である。

ただ、これまで現場でムダにむやみに培ってきた知恵とか経験を生かし、多少でも世の中に役立ちたい気はするな。



(写真と文は関係ありません)


世に知られない偉人ってたくさんいる。

俺の知る限り、この方なんてそう。



古江の学校に通った男子なら誰もが知るロサドさんだ。

http://www.hiroshimagakuin.ed.jp/tayori/tayori_201702161/


ものすごくざっくりというと、校務員さんか。

椅子やらハンガーやらいろんなものを自作なさり、生徒たちはそれを愛用。

校庭や裏山の手入れに汗を流す姿が目に焼き付いている。

バリカンをかけてもらう奴らもいたな。


彼がどこからいつ来日されたのかもよく知らない。

ただ、大いなる信仰と限りない善意に支えられた行為なのだろう。

俺たちが通ってたあの頃、ロサドさんの目には何が見えていたのかなあ。



(写真と文は関係ありません)

なぞと思う今日この頃だ。


てらいのない真っ直ぐさというのは価値があるし、いい年を重ねると眩しくもある。

ここまでの写真のいくつかは、パソコンの中から偶然見つけたもの。

自分を向上させようとする「熱」を感じたので、ムダに使ってみました。うんうん。