で、ゴンちゃん、フルフルとご飯。
おごってもらったうえ、フルフルん家に。
やさしい家主様は、尾道ラーメンを振舞ってくださった。実においしかった。
翌日、まったく同じメンバーで、「ハルピン」なる中華料理屋に。
唐辛子入りのラーメンがこれまたうまし。
POG指名馬であるオンファイアの未勝利脱出に心弾ませながら、
母校の霞小学校に足を運んだ。
5年間通った学び舎である。
こんなに狭かったんだなあと少ししみじみした。
私が過ごした昭和四十年代後半の福山は、
日本鋼管の企業城下町だった。
光化学スモッグ警報が度々出され、
この川では奇形魚(ハゼ)がよく釣れた。
お馬鹿な私たちは、そんな公害バリバリの川が大好き。
「行ったらダメ」との先生にお言葉を一顧だにせず、泳いだり、釣りしたり。
間違いなく、「黄金時代」であった。
多分、高度成長を無邪気に喜ぶ、最後の時代だったんだろうなあ。
「今度、ちびを連れてこよう」なーんて思っちゃったりする、
プチ・センチメンタルジャーニーだった。