ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「誰か『戦前』を知らないか」

2007-11-30 09:44:11 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「誰か『戦前』を知らないか」という本を読んだ。
著者は大正4年生まれの山本夏彦氏だ。
彼は室内装飾の本を出しているようで、その中で若い記者との問答集という形で綴られているが、これが滅法面白い。
著者の年令からすれば、孫の世代の若者と問答しているわけで、内容的には外国人に説明しているような按配だ。
同じ日本人同士でありながら、古い世代と新しい世代が語り合うと、まるで外国人に説明するような問答になるという点が実に面白いが、本当は面白がっている場合ではないと思う。
同じ民族の中でわずか60年の間に価値観がまったく相反してしまっているわけで、これは笑い事ではないのではなかろうか。
本当かどうか知らないが、60年前に日本とアメリカが戦争したことさえ知らないものがいると聞いたときは本当に驚きであったが、この本はそれに近い驚きの連続である。
価値観の相違は日本語の衰退に起因するといわれているが、確かに言葉の乱れが価値観の変異に大きく影響していることは確かであろう。
しかし、言葉の乱れというのも私に言わしめれば大人の責任だと思う。
若者は常に新しいものを創造している。
若者言葉も、若者が若者の間で粋がって特権をエンジョイしているうちはまだ可愛いが、それを大人が言葉の乱れとして認識しつつ、大人自身がそれを使うようになるから全体として日本中の言葉が乱れてくるのではないかと思う。
若者言葉というのはあらゆる国に、あるいはあらゆる民族に大なり小なり存在していると思う。
それを大人が、その都度その都度若者に注意し続ける、そういう言葉使いをたしなめる、そういう言葉使いを是正する努力をせず、自分のほうからそういう若者言葉に擦り寄って、大人自身がそういう言葉を使うから全体として乱れる方向に向かうのではないかと思う。
それにメデイアが輪を掛けるわけで、中でもテレビというのは映像が同時に流れているので、一番影響力が大きい。
テレビ業界というのも、若者だけで成り立っているわけではなかろうに、当然そこには業界として組織が存在するはずである。
経営トップから現場で番組をつくる人々まで、大勢の人がテレビ番組の制作にかかわっているはずで、その組織の中には当然のこと年配者、あるいは熟年といわれる世代の人もいるはずなのに、それがすべて若者文化のほうに迎合するということは、大人の堕落以外の何物でもない。
人類の誕生以来、年寄りが若者の進取的前進を嘆くことは普遍的なことであり、それを全否定するということは文化の衰退以外の何者でもないと思う。
若者の進取性と大人の保守性が拮抗して、徐々に徐々に古いものが脱皮していくことが文化の進歩だと思う。
ところが戦後の我々には、この古いものと新しいものの拮抗が存在せずに、新しければ何でも良しとする風潮が今日の状況を呈したとみなさなければならない。
大人が新しいものにすぐに飛びつき、迎合するということは、大人自身の自覚がないということだと思う。
それも戦後、勝つ勝つと思っていた戦争に敗北したというトラウマが大きく影響していることは言うまでもない。
前にも述べた「明治人大正人」の中で、あの戦争に生き残った大人は、あの戦争の敗北ということで、今までの価値観を全否定されてしまって、生きる自信を喪失していたということは言えるであろう。
あの戦争に負けるまでは、国家のため、同胞のため、年老いた父母のため、うら若い兄弟姉妹のため、と思って国の命ずるままに奉仕してきたが、その結果が敗戦では、自分が今までしてきたことは一体なんであったか、という懐疑の気持ちが拭い去れないことは言うまでもない。
そういう努力の結果が敗戦であるとするならば、今後如何に生きるべきかと自問したとき、自分自身のために生きなければ、国も、国家も、社会も、同胞も、近隣の人も、同輩も信用ならない、という気持ちになるのも必然的なことであったに違いない。
ここで問題となるのが、我々の民族の同調性というべきか、付和雷同的な収斂の法則が大きくものを言うわけで、ある意味では群れの心理である。
戦前の我々が挙国一致で国家に協力したのも、戦後はそのベクトルが反対向きになったとはいえ、やはり群れとして反体制やあるいは若者に迎合する風潮も明らかに群れの心理である。
言葉を変えれば群集心理である。
「あいつがやれば俺もやる」という、付和雷同性である。
この群れに逆らうとそれこそイジメに会うわけで、それは戦前も戦後も見事に継承されているではないか。
戦前、戦中でも、一部の日本人の中には日本の敗戦止むなしと思っていた人がいて、アメリカと戦をしても勝ち目はない、と喝破していた人がいたが、それを封殺したのは我々の群れとしての、その他大勢の同胞、つまり一種の群集心理でそういう声を封殺してしまったわけである。
戦後の左翼は、自分たちの仲間、つまり同胞の国民が、群集心理に追従してこういう結果を招いたので、仲間、同胞を頭から非難するわけにいかず、それを国家が推進したように詭弁を弄しているが、実質は我々同胞が同胞に踊らされていたわけである。
その踊りの音頭とりは、いつの世でもその時代のオピニオンリーダーといわれる人々であって、今の日本ではメデイアがその音頭とりに成り代わっている。
メデイアの中には、当然、学識経験豊富な名実ともに有識者と称される人々がいるはずなのに、どうして今日のメデイアがこれほどまでに自堕落になったのであろう。
民放テレビはコマーシャルで成り立っているといわれているが、コマーシャルならば当然それにはクライアント、いわゆる広告主、広告を出す、広告を注文する側があるはずである。
テレビ局に広告を依頼する側というのは、テレビ局側からすれば大事なお客のはずで、そういう立場なればこそ、テレビ番組にももっと大人としての了見を反映させ、良質な番組を作るべく強い発言がなされてもいいのではなかろうか。
テレビ局のトップにも、番組を作る現場にも、それにコマーシャルを依頼するクライアントにも、それぞれの組織にはそれぞれに大人、精神的に成熟した大人、倫理をわきまえた大人がいるはずなのに、にもかかわらず今日のテレビ放送というのはあまりにも見るに耐えないのは一体どういうことなのであろう。
そのことは、こういう階層に本当の大人、大人としての品格を備えた大人、が存在していないということだ。
そんなくだらない番組ならば見なければいいという言い分も成り立つが、人が見ない番組ならば何故作るのか、という問題に誰も関心を示さない。
人が見ない番組を作り、流すということは、紛れもなく大きな資源の浪費であることに誰も気がついていない。
これを単刀直入に言ってしまえば、国民は、いわゆる大衆は、つまり無知蒙昧の群集は、こういう番組を欲しているということである。
こういう番組がつまらない、ナンセンスだと思っているのはほんの一部の人間のみで、テレビ局のトップ、あらゆるメデイアのトップは、自分さえ儲かればいいということで、番組の良し悪しなど眼中にないということだ。
その結果として、同胞同士の間でも60年というスパンの中で、世代間の思考にあたかも異国の人と見まごうばかりの疎外感が出てきたのである。
この本の著者は言う。
「戦線・戦中真っ暗闇史観」。
これは戦後の民主教育が若い世代に植え付けたわが祖国の歴史観であるが、これとても明らかに大人の仕業で、明治人、大正人の戦争生き残り世代の責任だと思う。
終戦直後の中学生や高校生が、こういう歴史観を普遍化したわけではなく、大人が戦争に負けたとたん、それまでの時代を全否定した結果である。
大体、戦後の風潮によれば、日本の善良な臣民は、いやいやながらに戦争に借り出されて、いやいやながらにそれに従わざるを得なかった、という認識であるが、冗談ではない、軍隊に入って始めて米の飯にありつけたものや、革靴をはいたものまでいたわけだから、軍隊が極楽という人たちもいた。
軍隊に入れば死と隣り合わせの生活を強いられたことには違いないが、軍隊に入らず娑婆にいたとしても食うや食わずの生活を強いられていた人もいたわけで、そういう人々の心を収斂したものが帝国主義的領土拡張につながっていたものと考えなければならない。
しかし、それは結果的に失敗して、結果として戦争に敗北ということになったので、その意味で政策の失敗、作戦の失敗にたいする責任追及は後に残されたもの、あるいは生き残ったものの大きな責任ではある。
でも、これをどこまでも執拗に推し進めていくと、それはブーメランのように自分の身内に舞い戻ってきてしまう。
明治、大正、昭和の初期という時代は、優秀なものはほぼ全員といっていいほど軍隊・軍部の関係者であったわけで、戦争という政策の失敗、作戦の失敗を突き詰めていくと、それは回りまわって自分の身内に舞い戻ってきてしまう。
戦争に勝った連合軍は、そういう背景が微塵もないものだから、自分たちの思うとおりに彼らが責任者と思い込んだ人間に対してどこまでも冷酷に扱えたのである。
まさに1945年昭和20年という年は日本を精神的にも分断したことに間違いはない。