例によって図書館から借りてきた本で「日本の証言」という本を読んだ。
フジテレビの「新・平成日本のよふけスペシャル」という番組に瀬島龍三氏をゲストとして招いて、それを本に起こしたものだ。
私は瀬島龍三氏の名前は以前から知っていたが、否定的なイメージが心の隅にくすぶっていた。
どういう刷り込みでそうなったか知らないが、終戦の直前に満州に行って、そのままシベリアに抑留された参謀本部員という部分に、ソ連へ内通していたのではないかという疑念が先入観として確立されてしまっていたからに違いない。
我々がメデイアから刷り込まれていた終戦直前の関東軍は、在留邦人を放り出して、自分達だけで先に逃げ帰ったというものである。
大勢の軍人の中にはこういう人もかなりいたとは推察する。
そういう中で彼をはじめとする一部の人間だけが過酷な試練を背負わされた、ということはそのまま素直に受け入れ難かった。
世渡り上手な元参謀が、みすみす自らドジを踏むようなことはあり得ないとさえ思っていた。
しかしこの本で、本人の口からその経緯を語られると、そういう先入観が全て虚像であったということに納得せざるを得ない。
ただ彼の言葉の中で気になることは、天皇に関する部分で、輔弼と輔翼という言葉であった。
天皇の国務、つまり一般の政治・統治に関する部分と、軍隊の統帥に関する行為を使い分けている部分であるが、字義の解釈には何ら咎めるべきものはないが、問題は明治憲法の中でこれが分かれていたこと自体が戦争を敗北に導いた最大原因だと私自身は考えている。
これは明らかに明治憲法の欠陥であったわけで、その部分に日本の旧軍人の高級官僚が誰一人気が付かなかった点に日本の敗因があったと思う。
もっと簡単にいえば、昭和初期の世界各国の軍備ないしは戦争の本質に対して、明治憲法は時代遅れになっていたわけで、そのことに日本の軍人が誰一人気が付いていなかったということだ。
天皇の権限が政治と軍事に分離されていて、それが別々に機能するということは、20世紀初頭の国家総力戦という戦争の手法に対して完全に不合理で、世の中が新しい戦法になったならば、それに対応した統治でなければならなった筈だ。
彼自身も、このことについては、つまり明治憲法が世界の実情に合わなくなっていた、という見解には至っていない。
明治憲法の欠陥は彼の責任ではないが、明治憲法と当時の世界各国が志向していた国家総力戦という20世紀の戦争概念がマッチしていないことに全く気が付かなかったということは、天下の秀才が自らの知に溺れている図である。
ただ参謀本部に詰めていた人間として、政府及び出先の現場が一生県命に彼等の本分を全うしようとしたことは素直に認めている。
そして歴史の中枢にいたものとして、彼の発言は大きな重みがあったことも事実である。
彼自身が語る戦争の経緯は、そのまま昭和史に直結しているが、私に言わしめれば、元参謀本部に詰めていた人間であるならば、自ら受けたシベリアでの抑留生活についてはもっともっと敢然と立ち向かわなければならなったと思う。
シベリアで命を落とした同胞の慰霊祭もさることながら、それはそれでまことに結構なことであるが、死んだ人の魂の救済よりも、あの試練を生き抜いた人の屈辱の払しょくすることも真剣に考えるべきだと思う。
それと同時に、戦後の日本であの戦争中の同胞の行為を糾弾する知識人とか教養人の恥知らずな行為、自らの同胞を貶めるような発言に対しても、正面から堂々と反論してしかるべきだと思う。
旧ソビエット連邦や中華人民共和国は、はたまた北朝鮮の不道徳、道義を無視した振る舞い、国際法規を無視する不誠実な対応、こういうものを機会あるごとに糾弾してしかるべきだと思う。
戦争というものは、国と国のエゴイズムの衝突なわけで、それを武力で解決しようとする行為であるが、地球上の人が自己保存に汲々とする限り、それは根絶し得ない。
それと同じで、地球上の人々が国という枠組み、国家という集団として自己保存をはかる限り、それは完全なる弱肉強食、優勝劣敗の自然法則から逃れられない。
弱いものと強いものは自然発生的に出来上がってしまう。
結果として、強い国と弱い国が出来上がってしまうわけで、国と国の生存競争には人間としての倫理、あるいは道徳、あるいは善意というものは通用しない。
20世紀初頭の世界は、こういう流れが渦巻いていたわけで、その中で日本も精一杯自己保存を願って行動した結果として世界から袋叩きにあったわけである。
この構図は小中学校のイジメの構造と全く同じなわけで、弱い者が強いものにいくら道義を解き、倫理を説き、救済を願い出ても、強いものは自分の自己保存を優先させるあまり耳をかさないわけである。
第2次世界大戦後の旧ソビエット連邦の日本に対する振る舞いというのは、完全に子供のイジメに対応するものである。
旧ソ連が国際法規をいくら無視しようとも、それを諌める機関はノーマルに機能しないわけで、完全に強いもの勝ちで、強いものの勝手仕放題ということが罷り通っている。
第2次世界大戦後の世界秩序は、こういう赤裸々な生存競争を話し合いの場で解決しようという理想を立ち上げたが、腕力の強いガキ大将を弱い者がコントロールすることは不可能だ、ということを如実に語っている。
しかし、せっかく地球規模でそういう話し合いの場が作られている以上、我々イジメられっ子としては、事あるごとに餓鬼大将の横暴を、理不尽な振る舞いを、世界に向けて発信し続けなければならない。
効果のある無しにかかわらず、言い続けなければならないと思う。
幸いにして戦後の復興に成功した我々には、経済力と技術という大きな武器を持ったわけで、他国との交渉については、それを最大限に利用して国益をはからねばならないが、それを実効たらしめるには戦略的な思考が入用になるが、どうもそういう認識が薄い。
我々は世界に対して人間の善意が通じると思い込んでおり、そのこと自体地球上に住む人間の本質に無頓着だということの証である。
瀬島龍三がこの本の中で語っていることはすべて正論であるが、いくら正論を並べたてても世の中はすぐには変わらない。
しかし彼が語れば、市井の市民が叫ぶよりは数倍も効果はあるはずだ。
第2次世界大戦の終結に関して旧ソビエット連邦の我が同胞に対した仕打ちはあまりにもひどいものだ。
ソビエット連邦というのはスターリンの時代、1千万のソ連同胞を粛清したというのだから、60万人程度の日本人の問題など、問題の内に入らないかもしれないが、我々はむごい仕打ちを受けたということ忘れないためにも、効果のあるなしにかかわらず未来永劫、そのことを声高に叫び続けなければならない、と私個人は考える。
当然、北方4島の問題も同じことであって、機会あるたびに効果のあるなしに関わりなく、機会あるごとに叫び続けなければならないと思う。
その機会というのは、日ロ両国間だけではなく、国連の場でも発言の機会があればその都度、積極的にそれの理不尽な行為を糾弾すべく言い続けなければならない。
我々は戦後の憲法で戦争放棄を世界に向けて公言してしまった以上、我々が国益を守るときに使える手法は、経済力と技術を後ろ盾とした言論でしかないわけで、口から泡を飛ばして議論するしか相手に妥協を強いることが出来ない。
その意味でソ連、今はロシアであるが、シベリア抑留と、北方4島の話を枕詞のように言い続けるべきだと思う。
この本を読んで見て、伊藤忠という商社はさすがに大阪商人だと実に感心した。
伊藤忠商事も最初は繊維会社であったわけで、その繊維会社がこれほどまでに成長したのは、やはり瀬島龍三を抱え込むような大きな度量があったからに他ならない。
若き日々は参謀本部で用兵に携わり、シベリア抑留中はそれはそれなりに捕虜の同胞をまとめあげてきた手腕を持った瀬島という人物を身内の中に引き込んだ度胸は見上げたものだと思う。
こういうことも経営者の英断の一言に尽きるであろうが、人を見る目に全くの狂いがないということでもある。
参謀本部の要員であったというだけで、ある意味では並み以上の人間である、という証明にはなるだろうが、それを会社に引き込んで先の見通しの占い師に仕立てるなどという発想は、経営的にも実に的を得た作戦だと思う。
この本を通して彼、瀬島龍三のものの考え方の一端を垣間見たわけだが、彼の語り口にはどこかしら元用兵に携わって同胞を死線に迷わせた、という贖罪の気持ちが伺える。
彼は昭和史の中枢にいたわけで、様々な事件を内側から見ていたに違いない。
その見たことを全部語っているようには見えない。
例えば、戦後日本ではシベリア抑留は関東軍が了解のもとで行われたという風評が出回っていた。
私もその風評を信じていた一人であるが、彼が真実を知っているとすれば、その風評を払しょくしなければならない筈だ。
彼の言い分によると、それは既に何度も機会あるごとに言い続けているがなかなか理解されないとこぼしている。
この彼の言い分は正直な話だと思うが、私に言わしめると、彼はこの本の中で人の悪口を言っていない。
人の悪口を言わないということは、我々の認識では良い事であるが、日本が戦争に負けたということは、誰かが何処かで判断ミス、失敗、間違った手法をとった、職務を怠った、本分を忘れた行為をした、というもろもろ原因が重なりあっていると想像する。
その当事者は、すべて陸軍士官学校の彼自身の先輩であり、同窓生であり、後輩であるわけで、歴史を振り返れば必ず失敗の要因がそういう人たちに及ぶ筈で、彼はその意味でそういう人たちを庇っている。
歴史の流れの中枢にいた当事者として、彼を取り巻く人々の行為を分析していけば、結果としてそういう人の失敗を暴く事に行き尽きてしまう。
誰それが、何々をしたからこうなった、しなかったからこうなった、という問題に行きついてしまうに違いない。
だから彼とすればそうそう安易に真実を語れないのであろう。
彼の昭和天皇や東條英樹に対する評価は私の目から見ても妥当な線であるが、開戦の詔勅を遅らせた外務省の不手際や、辻政信などの独断専横の行為に対して、立場を超越した生身の人間として激烈な怒りを持っても当然だと思うが、そういうものが文面から出ていない。
それと戦後の日本の知識人の言い分に対しても怒りが表れていないのが不思議でならない。
戦後の日本の知識人が特攻攻撃で散華していった若者を、犬死というほど侮辱した言動に対して、もっともっと声を荒げて抗議すべきではないかと思う。
こういう彼の控え目な振る舞いの奥には、きっと彼自身が同胞を戦地に送り出したという贖罪の気持ちがあったに違い。
「ビルマの竪琴」の水島上等兵のように、戦が終わった限りにおいては、昔のことは一切合財、口を閉じて未来思考で生きようという決意なのかもしれない。
昔のことを語りだせば言わずとも悪口になってしまうわけで、世間に対しては必要最小限のことに留めておくという心つもりであろう。
フジテレビの「新・平成日本のよふけスペシャル」という番組に瀬島龍三氏をゲストとして招いて、それを本に起こしたものだ。
私は瀬島龍三氏の名前は以前から知っていたが、否定的なイメージが心の隅にくすぶっていた。
どういう刷り込みでそうなったか知らないが、終戦の直前に満州に行って、そのままシベリアに抑留された参謀本部員という部分に、ソ連へ内通していたのではないかという疑念が先入観として確立されてしまっていたからに違いない。
我々がメデイアから刷り込まれていた終戦直前の関東軍は、在留邦人を放り出して、自分達だけで先に逃げ帰ったというものである。
大勢の軍人の中にはこういう人もかなりいたとは推察する。
そういう中で彼をはじめとする一部の人間だけが過酷な試練を背負わされた、ということはそのまま素直に受け入れ難かった。
世渡り上手な元参謀が、みすみす自らドジを踏むようなことはあり得ないとさえ思っていた。
しかしこの本で、本人の口からその経緯を語られると、そういう先入観が全て虚像であったということに納得せざるを得ない。
ただ彼の言葉の中で気になることは、天皇に関する部分で、輔弼と輔翼という言葉であった。
天皇の国務、つまり一般の政治・統治に関する部分と、軍隊の統帥に関する行為を使い分けている部分であるが、字義の解釈には何ら咎めるべきものはないが、問題は明治憲法の中でこれが分かれていたこと自体が戦争を敗北に導いた最大原因だと私自身は考えている。
これは明らかに明治憲法の欠陥であったわけで、その部分に日本の旧軍人の高級官僚が誰一人気が付かなかった点に日本の敗因があったと思う。
もっと簡単にいえば、昭和初期の世界各国の軍備ないしは戦争の本質に対して、明治憲法は時代遅れになっていたわけで、そのことに日本の軍人が誰一人気が付いていなかったということだ。
天皇の権限が政治と軍事に分離されていて、それが別々に機能するということは、20世紀初頭の国家総力戦という戦争の手法に対して完全に不合理で、世の中が新しい戦法になったならば、それに対応した統治でなければならなった筈だ。
彼自身も、このことについては、つまり明治憲法が世界の実情に合わなくなっていた、という見解には至っていない。
明治憲法の欠陥は彼の責任ではないが、明治憲法と当時の世界各国が志向していた国家総力戦という20世紀の戦争概念がマッチしていないことに全く気が付かなかったということは、天下の秀才が自らの知に溺れている図である。
ただ参謀本部に詰めていた人間として、政府及び出先の現場が一生県命に彼等の本分を全うしようとしたことは素直に認めている。
そして歴史の中枢にいたものとして、彼の発言は大きな重みがあったことも事実である。
彼自身が語る戦争の経緯は、そのまま昭和史に直結しているが、私に言わしめれば、元参謀本部に詰めていた人間であるならば、自ら受けたシベリアでの抑留生活についてはもっともっと敢然と立ち向かわなければならなったと思う。
シベリアで命を落とした同胞の慰霊祭もさることながら、それはそれでまことに結構なことであるが、死んだ人の魂の救済よりも、あの試練を生き抜いた人の屈辱の払しょくすることも真剣に考えるべきだと思う。
それと同時に、戦後の日本であの戦争中の同胞の行為を糾弾する知識人とか教養人の恥知らずな行為、自らの同胞を貶めるような発言に対しても、正面から堂々と反論してしかるべきだと思う。
旧ソビエット連邦や中華人民共和国は、はたまた北朝鮮の不道徳、道義を無視した振る舞い、国際法規を無視する不誠実な対応、こういうものを機会あるごとに糾弾してしかるべきだと思う。
戦争というものは、国と国のエゴイズムの衝突なわけで、それを武力で解決しようとする行為であるが、地球上の人が自己保存に汲々とする限り、それは根絶し得ない。
それと同じで、地球上の人々が国という枠組み、国家という集団として自己保存をはかる限り、それは完全なる弱肉強食、優勝劣敗の自然法則から逃れられない。
弱いものと強いものは自然発生的に出来上がってしまう。
結果として、強い国と弱い国が出来上がってしまうわけで、国と国の生存競争には人間としての倫理、あるいは道徳、あるいは善意というものは通用しない。
20世紀初頭の世界は、こういう流れが渦巻いていたわけで、その中で日本も精一杯自己保存を願って行動した結果として世界から袋叩きにあったわけである。
この構図は小中学校のイジメの構造と全く同じなわけで、弱い者が強いものにいくら道義を解き、倫理を説き、救済を願い出ても、強いものは自分の自己保存を優先させるあまり耳をかさないわけである。
第2次世界大戦後の旧ソビエット連邦の日本に対する振る舞いというのは、完全に子供のイジメに対応するものである。
旧ソ連が国際法規をいくら無視しようとも、それを諌める機関はノーマルに機能しないわけで、完全に強いもの勝ちで、強いものの勝手仕放題ということが罷り通っている。
第2次世界大戦後の世界秩序は、こういう赤裸々な生存競争を話し合いの場で解決しようという理想を立ち上げたが、腕力の強いガキ大将を弱い者がコントロールすることは不可能だ、ということを如実に語っている。
しかし、せっかく地球規模でそういう話し合いの場が作られている以上、我々イジメられっ子としては、事あるごとに餓鬼大将の横暴を、理不尽な振る舞いを、世界に向けて発信し続けなければならない。
効果のある無しにかかわらず、言い続けなければならないと思う。
幸いにして戦後の復興に成功した我々には、経済力と技術という大きな武器を持ったわけで、他国との交渉については、それを最大限に利用して国益をはからねばならないが、それを実効たらしめるには戦略的な思考が入用になるが、どうもそういう認識が薄い。
我々は世界に対して人間の善意が通じると思い込んでおり、そのこと自体地球上に住む人間の本質に無頓着だということの証である。
瀬島龍三がこの本の中で語っていることはすべて正論であるが、いくら正論を並べたてても世の中はすぐには変わらない。
しかし彼が語れば、市井の市民が叫ぶよりは数倍も効果はあるはずだ。
第2次世界大戦の終結に関して旧ソビエット連邦の我が同胞に対した仕打ちはあまりにもひどいものだ。
ソビエット連邦というのはスターリンの時代、1千万のソ連同胞を粛清したというのだから、60万人程度の日本人の問題など、問題の内に入らないかもしれないが、我々はむごい仕打ちを受けたということ忘れないためにも、効果のあるなしにかかわらず未来永劫、そのことを声高に叫び続けなければならない、と私個人は考える。
当然、北方4島の問題も同じことであって、機会あるたびに効果のあるなしに関わりなく、機会あるごとに叫び続けなければならないと思う。
その機会というのは、日ロ両国間だけではなく、国連の場でも発言の機会があればその都度、積極的にそれの理不尽な行為を糾弾すべく言い続けなければならない。
我々は戦後の憲法で戦争放棄を世界に向けて公言してしまった以上、我々が国益を守るときに使える手法は、経済力と技術を後ろ盾とした言論でしかないわけで、口から泡を飛ばして議論するしか相手に妥協を強いることが出来ない。
その意味でソ連、今はロシアであるが、シベリア抑留と、北方4島の話を枕詞のように言い続けるべきだと思う。
この本を読んで見て、伊藤忠という商社はさすがに大阪商人だと実に感心した。
伊藤忠商事も最初は繊維会社であったわけで、その繊維会社がこれほどまでに成長したのは、やはり瀬島龍三を抱え込むような大きな度量があったからに他ならない。
若き日々は参謀本部で用兵に携わり、シベリア抑留中はそれはそれなりに捕虜の同胞をまとめあげてきた手腕を持った瀬島という人物を身内の中に引き込んだ度胸は見上げたものだと思う。
こういうことも経営者の英断の一言に尽きるであろうが、人を見る目に全くの狂いがないということでもある。
参謀本部の要員であったというだけで、ある意味では並み以上の人間である、という証明にはなるだろうが、それを会社に引き込んで先の見通しの占い師に仕立てるなどという発想は、経営的にも実に的を得た作戦だと思う。
この本を通して彼、瀬島龍三のものの考え方の一端を垣間見たわけだが、彼の語り口にはどこかしら元用兵に携わって同胞を死線に迷わせた、という贖罪の気持ちが伺える。
彼は昭和史の中枢にいたわけで、様々な事件を内側から見ていたに違いない。
その見たことを全部語っているようには見えない。
例えば、戦後日本ではシベリア抑留は関東軍が了解のもとで行われたという風評が出回っていた。
私もその風評を信じていた一人であるが、彼が真実を知っているとすれば、その風評を払しょくしなければならない筈だ。
彼の言い分によると、それは既に何度も機会あるごとに言い続けているがなかなか理解されないとこぼしている。
この彼の言い分は正直な話だと思うが、私に言わしめると、彼はこの本の中で人の悪口を言っていない。
人の悪口を言わないということは、我々の認識では良い事であるが、日本が戦争に負けたということは、誰かが何処かで判断ミス、失敗、間違った手法をとった、職務を怠った、本分を忘れた行為をした、というもろもろ原因が重なりあっていると想像する。
その当事者は、すべて陸軍士官学校の彼自身の先輩であり、同窓生であり、後輩であるわけで、歴史を振り返れば必ず失敗の要因がそういう人たちに及ぶ筈で、彼はその意味でそういう人たちを庇っている。
歴史の流れの中枢にいた当事者として、彼を取り巻く人々の行為を分析していけば、結果としてそういう人の失敗を暴く事に行き尽きてしまう。
誰それが、何々をしたからこうなった、しなかったからこうなった、という問題に行きついてしまうに違いない。
だから彼とすればそうそう安易に真実を語れないのであろう。
彼の昭和天皇や東條英樹に対する評価は私の目から見ても妥当な線であるが、開戦の詔勅を遅らせた外務省の不手際や、辻政信などの独断専横の行為に対して、立場を超越した生身の人間として激烈な怒りを持っても当然だと思うが、そういうものが文面から出ていない。
それと戦後の日本の知識人の言い分に対しても怒りが表れていないのが不思議でならない。
戦後の日本の知識人が特攻攻撃で散華していった若者を、犬死というほど侮辱した言動に対して、もっともっと声を荒げて抗議すべきではないかと思う。
こういう彼の控え目な振る舞いの奥には、きっと彼自身が同胞を戦地に送り出したという贖罪の気持ちがあったに違い。
「ビルマの竪琴」の水島上等兵のように、戦が終わった限りにおいては、昔のことは一切合財、口を閉じて未来思考で生きようという決意なのかもしれない。
昔のことを語りだせば言わずとも悪口になってしまうわけで、世間に対しては必要最小限のことに留めておくという心つもりであろう。
そうですか?
なるほど、はい、わかりました。