例によって図書館から借りてきた本で「人生をたのしむ言葉」という本を読んだ。
著者は清川妙さん。
1921年生まれということだから、当年87歳ということで相当な高齢だ。
で、書かれていることは、それぞれにもっともなことで、感動しながら読んだが、問題は、日本の古典だ。
この著者は日本の古典を学んで、それでもって市民講座、カルチャーセンターの講師をしているという経歴なるがゆえに、著者にとって古典は飯のタネであろうが、私にとって日本の古典はまさしく外国語でしかない。
古事記、日本書紀、平家物語等々、英語以上に難解だ。
英語は辞書を引けばわかるが、日本の古典に関して言えば、辞書の引き方もわからない。
千年も前の我が同胞の言葉が、何故に外国語以上に難解になってしまったのであろう。
言葉の変遷というのは、我々日本人だけの問題ではなさそうで、西洋でもラテン語などというのは、今は死語になっているらしいが、死語になったものを21世紀になってもなお研究するということは一体どういう風に解釈したらいいのであろう。
古事記、日本書紀、平家物語を21世紀になってもなお掘り下げて研究するということは一体どういう意義があるのであろう。
これから先の将来にわたって生き残る日本人、および日本人以外の人にとって、そういう古いことを研究することは、なにがしかの利便、メリット、合理性があるということなのであろうか。
純粋科学の分野では、日本は基礎研究に非常に冷淡だと言われている。
今年はどういうものか日本人が4人も同時にノーベル賞を受賞するという慶事に巡り合えたが、この人たちの研究も、我々凡人からすると一体何の意義があるのか皆目見当もつかないというのが本音だと思う。
学問というものが、目先の利益追求のみではならないということは、理性、真理としては納得できる。
合理性の追求のみでは、真の学究にはなれないということは、理屈では理解できるが、人と金と物をつぎ込んだ高度な学問が、人間の生存に何ら意義を成さないものであるとするならば、凡人としては全く納得できるものではない。
この本の場合、日常生活の喜怒哀楽を古典と照合して語っているが、普通の人間が日常生活の中で出会う様々な出来事を、古典と照らし合わせることに意味があるのかどうか私には実に不可解である。
日本には、古典の研究者というのは掃いて捨てるほどいると思うが、そういう人達は、古典を研究してその研究成果をどういう形で社会に還元しているのであろう。
大学をはじめとする高等教育の機関というのは、国の金で立派な研究をして、その研究成果は、国民に還元されてしかるべきだと思う。
古典の研究や、考古学、あるいは純粋科学の基礎研究というのは、社会に対する還元が目に見える形でなされていないので、我々にはその学問の存在意義そのものが不可解に見える。
世間一般では、そういう意義を認識しているかもしれないが、私個人としては全く理解しきれない。
というのも、私は個人的に古典にはいささか恨みを持っているわけで、この恨みは決して忘れることができないからである。
小学校から中学校に上がった最初の古文の時間に、いきなり指名されて平家物語の冒頭を読まされた。
小学校の時は自分でもかなり本を読んでいたつもりでいたが、古文というものがこの世にあることはその時初めて知ったわけで、予習のつもりでページを開くことは開いたが、出だしから皆目読めず、壁にぶち当たった。
で、そのまま学校に行ったら運悪く最初にあてられてしまい、平家物語の「祇園精舎の鐘の声・・・・・・・」という出だしの部分が読めなくて、先生から叱責され、1時間立たされた記憶がある。
この屈辱は生涯消えることなく、それ以来、「古典などけっして勉強してやるものか!」と心に言い聞かせた。
だから私は古典に恨みを持ったまま、人生たそがれてしまったわけだ。
しかし、言葉が時代とともに変化するというのは身をもってわかる。
普通の生活をしている中でも、言葉が変化しているということは実感できるが、それが積み重なって千年前の言葉は、その子孫でさえ理解不可能ということになってしまったのであろう。
そこで再び、そういうものを研究している人に批判の矢が向くわけで、この本にもたびたび出てくるが、徒然草で吉田兼好が「これこれしかじかのことを言っている。それは現在のこういう場面のことを言っている」、という話につながるわけで、ただただ引き合いに出す言葉であったとすれば、まことに無意味なことだと思う。
徒然草で吉田兼好が「ああ言っている、こう言っている」といくら言ってみたところで、それには何の価値もないわけで、ただただ物知りぶるだけの効果でしかないではないか。
知識自慢、物知り自慢をしているだけのことで、他には何の意味もなければ意義もなく、これを学問というに至っては私には実に不愉快なことに見える。
中学生になったしょっぱなに、強烈なカルチャーショックと屈辱を受けて、「決して古典など勉強してやるものか」と思ったけれども、いよいよ墓場に片足入れるころになって、「古典には一体何が書いてあるのだろう」という好奇心が少しづつ沸いてきた。
それでもまだ門を叩くところまで行っていない。
俗に「温故知新」という言葉がある。
「古きを訪ねて新しきを知る」ということらしいが、古いことがこれから先の指針になるなどということは、ただの思い込みに過ぎないのではないかと私は考える。
「歴史から学ぶ」という言い方もあるが、この言い方ならば、まだ納得がいく。
ところが、古典から学ぶべきものというのは私には考えられない。
「歴史から学ぶ」というのであれば、「過去の失敗事例を研究せよ」という意味で、それを研究して、これから先、将来にわたって同じ失敗を繰り返さないように、というのであれば十分に納得できるが、古典研究というのは、そこまで明確に定義はしていないと思う。
例えば、源氏物語というのは小説で、今でいえば村上春樹の「ノルウエーの森」や、先に悪口を書いた「下町の迷宮、昭和の幻」(倉阪喜鬼一郎)のような作品を、それから千年たった今日、「ああでもないこうでもない」と、学者や、評論家や、知識人と称する人々が、口角泡を飛ばして議論しているわけで、考えてみればバカみたいな話ではないか。
徒然草というのは、団伊久磨の「パイプのけむり」のようなエッセイを、千年後に「ああ言っていた、こう言っていた」と口角泡を飛ばして議論しているようなもので、真面目に考えたらバカみたいな話ではないか。
人が書いた小説やエッセイを、古いという理由だけで、何故にそう有難がるのであろう。
今の世でも、人の書いた作品に対して「ああでもない、こうでもない」と、自分では書けもしないのに、人の作品に講釈をする、評論家、学者、知識人と称する人がいるが、それと同じではないか。
人間の心の動き、例えば、男女間の感情のもつれ、親子の間の無償の愛情、思いやり、気づかい、嫁しゅうとの心の戦い、そういったものは千年前も今日も何ら変わるものではないはずで、それをわざわざ読みにくい字を一つ一つ追いながら読む意味など全く無いと思う。
ただただ学者の優越感を満足させるだけの行為であって、社会的、あるいは人類の進歩に何ら寄与するものではない。
学者、知識人の「サルのセンズリ」以外の何物でもないが、ただこういうことが学問ということになれば、それで学者、大学教授というのは飯が食えるわけで、ただただ学者に飯を食わせための方便にすぎない。
しかし、現実の問題として、言葉が変わっていくということは実に面白い。
ほんの50年も間が空くと、理解不可能に近くなる。
例えば、あの戦争中の日本語(難解な漢字と、句読点のないカタカナ表記)というのは、昭和15年生まれの私でさえもう判読できない。
戦争中に日本の軍人、特に高級参謀であったような人たちの言語というのは、もう私たち無知なものでは理解不可能だ。
というのも、この時代の知識人、いわゆる学問を積んだ人々の知識の根底には、漢文の素養が刷り込まれていて、それが随所に露呈しているので、その場面に遭遇すると、漢文、漢詩の素養のない我々はお手上げになってしまう。
あの戦争、日米開戦になろうかというとき、日米交渉に関わる日本側の電文がアメリカ側に傍受されていたということが戦後明らかになったが、その中で日本語の電文が非常に誤解されて翻訳されていたという話がある。
無理もない話で、もって回ったような言い回しの表現が随所に出てくる日本側の電文は、日本人でも真意を理解し難いのに、敵性人のアメリカの翻訳者が間違うのも当然のことだと思う。
それは当時の我々の同胞の中でも、外交交渉の案文を起案するような知識人は、漢文の素養を十分に習得しているので、その調子で電文を起案したがため、意味が逆になることも往々にしてあったようだ。
交渉を督励する趣旨が、相手に逆の意味に理解されて、結局は交渉決裂という結果に至ったと言われている。
当時の我々の言葉が、ストレートに意味と行動を結びつけるものであったならば、傍受した電文も素直に翻訳され、素直に受け入れられていたかもしれないが、持ってまわったような回りくどい言い回しで、くどくど述べられていたとすれば、誤解され、反対の意に取られることも充分ありうることだと思う。
言葉が時代とともに変化するのは日本語ばかりではなく、ある意味で地球規模で起きていると思うが、これが積み重なると、自分自身で読み書き出来ないようになるのだから困ったものだ。
日本人の書いたものを日本人が読めないのだから、それが読める人というのは、ある種の特殊能力を持っているようなもので、その能力を持っていることが他者に対する優越感となり、人に講釈をするということになるのだろうか。
著者は清川妙さん。
1921年生まれということだから、当年87歳ということで相当な高齢だ。
で、書かれていることは、それぞれにもっともなことで、感動しながら読んだが、問題は、日本の古典だ。
この著者は日本の古典を学んで、それでもって市民講座、カルチャーセンターの講師をしているという経歴なるがゆえに、著者にとって古典は飯のタネであろうが、私にとって日本の古典はまさしく外国語でしかない。
古事記、日本書紀、平家物語等々、英語以上に難解だ。
英語は辞書を引けばわかるが、日本の古典に関して言えば、辞書の引き方もわからない。
千年も前の我が同胞の言葉が、何故に外国語以上に難解になってしまったのであろう。
言葉の変遷というのは、我々日本人だけの問題ではなさそうで、西洋でもラテン語などというのは、今は死語になっているらしいが、死語になったものを21世紀になってもなお研究するということは一体どういう風に解釈したらいいのであろう。
古事記、日本書紀、平家物語を21世紀になってもなお掘り下げて研究するということは一体どういう意義があるのであろう。
これから先の将来にわたって生き残る日本人、および日本人以外の人にとって、そういう古いことを研究することは、なにがしかの利便、メリット、合理性があるということなのであろうか。
純粋科学の分野では、日本は基礎研究に非常に冷淡だと言われている。
今年はどういうものか日本人が4人も同時にノーベル賞を受賞するという慶事に巡り合えたが、この人たちの研究も、我々凡人からすると一体何の意義があるのか皆目見当もつかないというのが本音だと思う。
学問というものが、目先の利益追求のみではならないということは、理性、真理としては納得できる。
合理性の追求のみでは、真の学究にはなれないということは、理屈では理解できるが、人と金と物をつぎ込んだ高度な学問が、人間の生存に何ら意義を成さないものであるとするならば、凡人としては全く納得できるものではない。
この本の場合、日常生活の喜怒哀楽を古典と照合して語っているが、普通の人間が日常生活の中で出会う様々な出来事を、古典と照らし合わせることに意味があるのかどうか私には実に不可解である。
日本には、古典の研究者というのは掃いて捨てるほどいると思うが、そういう人達は、古典を研究してその研究成果をどういう形で社会に還元しているのであろう。
大学をはじめとする高等教育の機関というのは、国の金で立派な研究をして、その研究成果は、国民に還元されてしかるべきだと思う。
古典の研究や、考古学、あるいは純粋科学の基礎研究というのは、社会に対する還元が目に見える形でなされていないので、我々にはその学問の存在意義そのものが不可解に見える。
世間一般では、そういう意義を認識しているかもしれないが、私個人としては全く理解しきれない。
というのも、私は個人的に古典にはいささか恨みを持っているわけで、この恨みは決して忘れることができないからである。
小学校から中学校に上がった最初の古文の時間に、いきなり指名されて平家物語の冒頭を読まされた。
小学校の時は自分でもかなり本を読んでいたつもりでいたが、古文というものがこの世にあることはその時初めて知ったわけで、予習のつもりでページを開くことは開いたが、出だしから皆目読めず、壁にぶち当たった。
で、そのまま学校に行ったら運悪く最初にあてられてしまい、平家物語の「祇園精舎の鐘の声・・・・・・・」という出だしの部分が読めなくて、先生から叱責され、1時間立たされた記憶がある。
この屈辱は生涯消えることなく、それ以来、「古典などけっして勉強してやるものか!」と心に言い聞かせた。
だから私は古典に恨みを持ったまま、人生たそがれてしまったわけだ。
しかし、言葉が時代とともに変化するというのは身をもってわかる。
普通の生活をしている中でも、言葉が変化しているということは実感できるが、それが積み重なって千年前の言葉は、その子孫でさえ理解不可能ということになってしまったのであろう。
そこで再び、そういうものを研究している人に批判の矢が向くわけで、この本にもたびたび出てくるが、徒然草で吉田兼好が「これこれしかじかのことを言っている。それは現在のこういう場面のことを言っている」、という話につながるわけで、ただただ引き合いに出す言葉であったとすれば、まことに無意味なことだと思う。
徒然草で吉田兼好が「ああ言っている、こう言っている」といくら言ってみたところで、それには何の価値もないわけで、ただただ物知りぶるだけの効果でしかないではないか。
知識自慢、物知り自慢をしているだけのことで、他には何の意味もなければ意義もなく、これを学問というに至っては私には実に不愉快なことに見える。
中学生になったしょっぱなに、強烈なカルチャーショックと屈辱を受けて、「決して古典など勉強してやるものか」と思ったけれども、いよいよ墓場に片足入れるころになって、「古典には一体何が書いてあるのだろう」という好奇心が少しづつ沸いてきた。
それでもまだ門を叩くところまで行っていない。
俗に「温故知新」という言葉がある。
「古きを訪ねて新しきを知る」ということらしいが、古いことがこれから先の指針になるなどということは、ただの思い込みに過ぎないのではないかと私は考える。
「歴史から学ぶ」という言い方もあるが、この言い方ならば、まだ納得がいく。
ところが、古典から学ぶべきものというのは私には考えられない。
「歴史から学ぶ」というのであれば、「過去の失敗事例を研究せよ」という意味で、それを研究して、これから先、将来にわたって同じ失敗を繰り返さないように、というのであれば十分に納得できるが、古典研究というのは、そこまで明確に定義はしていないと思う。
例えば、源氏物語というのは小説で、今でいえば村上春樹の「ノルウエーの森」や、先に悪口を書いた「下町の迷宮、昭和の幻」(倉阪喜鬼一郎)のような作品を、それから千年たった今日、「ああでもないこうでもない」と、学者や、評論家や、知識人と称する人々が、口角泡を飛ばして議論しているわけで、考えてみればバカみたいな話ではないか。
徒然草というのは、団伊久磨の「パイプのけむり」のようなエッセイを、千年後に「ああ言っていた、こう言っていた」と口角泡を飛ばして議論しているようなもので、真面目に考えたらバカみたいな話ではないか。
人が書いた小説やエッセイを、古いという理由だけで、何故にそう有難がるのであろう。
今の世でも、人の書いた作品に対して「ああでもない、こうでもない」と、自分では書けもしないのに、人の作品に講釈をする、評論家、学者、知識人と称する人がいるが、それと同じではないか。
人間の心の動き、例えば、男女間の感情のもつれ、親子の間の無償の愛情、思いやり、気づかい、嫁しゅうとの心の戦い、そういったものは千年前も今日も何ら変わるものではないはずで、それをわざわざ読みにくい字を一つ一つ追いながら読む意味など全く無いと思う。
ただただ学者の優越感を満足させるだけの行為であって、社会的、あるいは人類の進歩に何ら寄与するものではない。
学者、知識人の「サルのセンズリ」以外の何物でもないが、ただこういうことが学問ということになれば、それで学者、大学教授というのは飯が食えるわけで、ただただ学者に飯を食わせための方便にすぎない。
しかし、現実の問題として、言葉が変わっていくということは実に面白い。
ほんの50年も間が空くと、理解不可能に近くなる。
例えば、あの戦争中の日本語(難解な漢字と、句読点のないカタカナ表記)というのは、昭和15年生まれの私でさえもう判読できない。
戦争中に日本の軍人、特に高級参謀であったような人たちの言語というのは、もう私たち無知なものでは理解不可能だ。
というのも、この時代の知識人、いわゆる学問を積んだ人々の知識の根底には、漢文の素養が刷り込まれていて、それが随所に露呈しているので、その場面に遭遇すると、漢文、漢詩の素養のない我々はお手上げになってしまう。
あの戦争、日米開戦になろうかというとき、日米交渉に関わる日本側の電文がアメリカ側に傍受されていたということが戦後明らかになったが、その中で日本語の電文が非常に誤解されて翻訳されていたという話がある。
無理もない話で、もって回ったような言い回しの表現が随所に出てくる日本側の電文は、日本人でも真意を理解し難いのに、敵性人のアメリカの翻訳者が間違うのも当然のことだと思う。
それは当時の我々の同胞の中でも、外交交渉の案文を起案するような知識人は、漢文の素養を十分に習得しているので、その調子で電文を起案したがため、意味が逆になることも往々にしてあったようだ。
交渉を督励する趣旨が、相手に逆の意味に理解されて、結局は交渉決裂という結果に至ったと言われている。
当時の我々の言葉が、ストレートに意味と行動を結びつけるものであったならば、傍受した電文も素直に翻訳され、素直に受け入れられていたかもしれないが、持ってまわったような回りくどい言い回しで、くどくど述べられていたとすれば、誤解され、反対の意に取られることも充分ありうることだと思う。
言葉が時代とともに変化するのは日本語ばかりではなく、ある意味で地球規模で起きていると思うが、これが積み重なると、自分自身で読み書き出来ないようになるのだから困ったものだ。
日本人の書いたものを日本人が読めないのだから、それが読める人というのは、ある種の特殊能力を持っているようなもので、その能力を持っていることが他者に対する優越感となり、人に講釈をするということになるのだろうか。