程久保川の辺で

程久保川のほとりに住んで30数年、ここが私達家族の終の栖家となりました。

3代の猫たちの想い出 その2

2014-06-07 17:54:19 | 随想

 2代目 ミーコ

 初代ミーコがいなくなた翌年の平成4年9月、用事で出かけたお宅の前でうろうろしていた白猫を見かけた。気になったのでまた戻って様子を見に行った。立っていたご近所の人に「お宅の猫ですか」と聞くと近所の飼い猫ではなく、昨日からいると言う。

抱いて連れて帰った。真っ白なペルシャ系の猫。馬の鬣にも似たふさふさした立派なしっぽを持つ猫だった。迷い猫かと思い電柱に張り紙したが、飼い主現れず我が家2代目の猫になって、名前もミーコとした。

このミーコは夜は洋間のソフアーが寝床。朝の餌を食べ終わってから外に出してやると、一時ひとまわりして家に戻り、退職して家にいた夫の隣のソフアーで寝るのが常だった。

毛が長いので、秋になると草の実をびっしりつけてきて毎回とるのが大変だった。或る時ご近所の散歩中の犬の前に突然飛び出して立ち塞がったら、、それ以来その犬はミーコを見ると後ずさりするようになったと犬の飼い主に言われ、「猫が犬を威嚇すなんてそんな馬鹿な」と思ったが本当だった。

 ある日前足が丸太の棒のように腫れて、夫の車で私が抱いて3週間病院へ通った。その時オス猫なので、遠くへ行かないように去勢してもらった。

それなのに平成9年1月、夕方外へ出たがるので、暗くなるまでまだ1時間あるからいいだろうと思って出してやったら、戻らなかった。雑種とはいえ、ペルシャ猫。洗い立ての真っ白な毛並みに真っ赤な首輪。連れて行かれたのだろうか。随分遠くまで張り紙したが、とうとう見つからなかった。

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3代の猫たちの想い出

2014-06-07 10:20:10 | 随想

初代ミーコ

 初代ミーコが初めて我が家に登場したのは、平成元年初夏のころだった。

ダストボックスの前でおなかを空かして鳴いている猫を憐れんで、息子が鯵の干物の食べ滓を与えたのが始まり。

子猫ではなかったので、捨てられたのか、家出して迷ったのか。どこにでもいる茶色のトラ・オス猫だった。

それから毎晩食事時になると、窓に飛びついて餌をねだりに来るようになったので、仕方なく家の外で餌をやるようになった。

 冬が来たので濡れ縁の下に段ボールに襤褸切れを敷いて寝床にしてやった。猫を飼ったことがなかった我が家だから、家の中に入れたくなかったのだ。

翌春数日ぶりに戻ってきた猫を見ると、高熱と脱水状態で息絶え絶えのありさまだった。このまま庭先で死なれたら寝覚めが悪いと、段ボールに入れて犬猫病院へ連れて行った。

病院は、見るからに野良同様の猫なので、「このまま置き去りされないか」、と警戒したのではないだろうか。「毎日電話してください」と言われ、入院中職場から毎日電話した。

4~5日入院後迎えにいってら、私をみて、地獄に仏とばかりの様子にニャーと鳴いたので、その時まで”名無しのごんべー”だった猫をミーコと名づけた。

「当分外に出さないように」と言われたので、部屋には入れないように戸を閉めて、風呂場の入り口付近に猫のトイレと寝床を設けた。

だがその後家族全員猫の蚤に取りつかれて蚤駆除のため猫を洗うはめになった。猫シャンプーは人間のシャンプーより高かった。洗うのは、大声で泣きわめき暴れまわるミーコの首根っこをしっかり押さえ大変だった。

よく喧嘩してきて耳の辺りに生傷が絶えなかった。強い猫は真正面から喧嘩を挑むので生傷は頭部付近、弱い猫は逃げざまに後ろからやられるので、傷はお尻あたりとか。、薬をつけてやろうとしても触らせずいつの間にか治っていた。ミーコの写真を職場の男の子に見せたら「豚猫」と言われたほど大きくてたくましかった。

夕暮れ時になると、私の家からを50メートル手前の用水路の橋の上で待っていた。私の姿を見ると先に走りながら、振り返っては私の姿を確認していた。

 我が家に居ついて2年後の秋、出かけたきり戻ってこなかった。メス猫を追いかけているうちに戻り道が分からなくなったのだろうか。「去勢したら遠くは行かなくなる」と後で人から聞いたが、自由奔放に生きるのと、どちらが幸せだったのだろうか。

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