程久保川の辺で

程久保川のほとりに住んで30数年、ここが私達家族の終の栖家となりました。

3代の猫たちの想い出 その3

2014-06-08 10:00:00 | 随想

 ももこ

 毎朝起きるとミーコが寝ていたはずのソフアーに目がいく。ミーコがいなくなって夫の心にぽっかり空白ができた。

ちょうどその頃息子の友人宅で子猫が生まれ、貰う話になった。「乳離れしてから」というので待っていたのに、いっこうに音沙汰がない。しびれをきらし催促すると、10匹も猫がいるのに、その子猫が成長とともに可愛くて手放せないと言う。その代わりに貰ったのがももこだった。

 ももこも迷子の猫。友人の知人が保護して、その家に預けられていた。ももこは猫の大集団に恐れをなして、餌も充分に食べられない様子。渡りに舟とばかりに、我が家(平成9年5月)にやってきた。

アメリカンショートヘアーという触れ込みだったが、獣医さんの診断は日本猫雑種 すでに去勢済 推定年齢3歳だった。

元の飼い主さんに大事に育てられいたらしく、躾もされていておとなしい猫だった。一番有り難かったのは床柱などに爪をたてないこと。1・2階併せて34坪の家が、すべてももこの行動範囲になった。

ももこも夫のそばにぺったりいる猫だった。ももこがきて1年後夫が急死した。お葬式が済んだ後ももこの姿がみえないので探すと、夫の祭壇の前にいた。祭壇の座布団の綿がほかほかして居心地がよかったのかも知れないが、私にはももこが夫を偲んでいるように見えて涙がとまらなかった。

先輩の猫は堅い魚の骨などなんでも食べたが、ももこは上下左右4本ある前歯の1組が欠けていたため、餌は丸のみのだった。マグロの刺身が大好物。さんまや鯵の焼き魚は身の柔らかい一番美味しいところを食べさせた。餌は小袋に入った高級なシザー、前の猫たちより破格の待遇である。

またいなくなったら大変と扉の開け閉めにはとても気をつけた。それでも何回かは脱走され探し回った。。

亡くなったのは平成23年12月。6月に予防注射に行ったとき、先生から高齢なので検査するとどこいか悪いところがあるかもしれないと言われたが検査はしなかった。12月のはじめ2階でうずくまっているももこ発見、すぐ入院。毎日様子をみに行ったが、3日後に先生から今晩は家に連れて帰ることを勧められた。先生は死を予期していたのかもしれない。その晩嫁の手厚い介護をうけ、息子夫婦に看取られて夜明け前に息を引き取った。冷たいケージで亡くなるより良かったと今も思う。

夫が亡くなって13年間、どんなにももこに癒されたことか。夫の死後きた嫁にももこはとても可愛がってもらって幸せだった。

息子夫婦はももこへの思いがいまだ尽きないため、新しい猫を飼う気にはならないでいる。

ももこ有難う。

 

  扉の上に乗せられて。猫のくせに高度恐怖症

 

 手厚い介護

 

コメント (1)
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