程久保川の辺で

程久保川のほとりに住んで30数年、ここが私達家族の終の栖家となりました。

宗廟

2006-11-30 20:55:05 | 旅行
宗廟は、李朝歴代の王と王妃が祭られているところで、門から見える建物が霊廟の政殿です。毎年5月の第一日曜日には王家の末裔である全州李氏の一族が集まって、宗廟祭が行われるそうです。王朝絵巻のような式典は、1995年に世界文化遺産に指定されました。
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楽善斎(故 李方子さまの住居)

2006-11-26 15:23:55 | 旅行
宮殿のほかの棟から離れた東の一角の建っている楽善斎は、1846年に王妃が王の喪に服するために,建てられました。韓国最後の皇太子妃として日本の皇族「梨本宮家」から嫁がれた李方子さまが、戦後住まわれたところです。つい先日この方の生涯が、テレビドラマで放映されましたね。国策のため、数奇な生涯を送られた方ですが、戦後、韓国の福祉や教育に貢献された方として尊敬されています。
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昌徳宮秘苑2

2006-11-26 15:04:07 | 旅行
秘苑の池の風景を別の角度から撮りました。高いところの建物は演慶堂と思います。両班(ヤンパン)風の屋敷で、王はときどきこの屋敷に寝泊りして、庶民の暮らしを体験したとか。
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昌徳宮 秘苑 1

2006-11-26 14:34:03 | 旅行
昌徳宮の裏山にある、広大な庭園です。うっそうとした自然の木立のなかに、楼閣・池際の亭があります。王が息抜きに来た庭園だそうです。普通池は丸か楕円が普通ですが、ここは正方形です。儒教の思想からきたものと、ガイドさんは説明していたようですが、解説を良く聴いていなかったので、もし知っている方がいたら教えて下さい。
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仁政殿

2006-11-26 14:19:08 | 旅行
昌徳宮最大の建物は、仁政殿でした。建物の前は広場でしたので、大きな儀式に使われたのでしょうか。
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仁政門

2006-11-26 00:48:53 | 旅行
昌徳宮には、仁政門を入って仁政殿、その右奥に王が日常的な執務の場所の宣政殿、さらにその奥に王や王妃の寝殿などの熙政殿・大造殿がありました。
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昌徳宮粛章門

2006-11-26 00:24:55 | 旅行
正門から王宮へ入ると次々に門があります。粛章門もそのうちの一つです。
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昌徳宮(チャンドククン)

2006-11-25 23:28:44 | 旅行
昌徳宮は1405年、第三代太宗王が離宮として建てたものです。、秀吉の朝鮮侵略時にここも焼失しましたが、1661年に再建され、19世紀に景福宮が再建されるまで、ここが国政を行う宮殿でした。チャングムのロケは、ここで行われました。1997年に世界遺産に指定されています。
写真の敦化門は昌徳宮の正門です。
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三清閣石塀の紅葉

2006-11-24 20:06:21 | 旅行
今度のツアーは、韓国きっての紅葉の名所内蔵山も、旅のメインの一つでした。ところが、今年の夏は旱魃のため紅葉しないうち、葉がちりちりに枯れて落ちてしまい、そのうえいつまでも暖かいので、内蔵山の紅葉は期待はずれでした。
ツアーで花見と紅葉の見物は、なかなか難しいですね。

なにげない三清閣の石塀の蔦の紅葉、きれいだなと思ってシャッターを切りました。いかがでしょうか。
チョゴリを着た若い女の人が、とてもきれいな人だったので、頼んで写真撮らせてもらいましたが、ブログでお見せできないのは残念です。
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三清閣

2006-11-23 10:06:07 | 旅行
韓国の大統領府の青瓦台は、市内の中心からすこし離れた小高い丘にありました。徐行したバスから、門の奥の官邸を覗きました。青瓦台の名のとおり、屋根の勾配と鮮やかな青の瓦の色がとても優雅でした。私服の警官がところどころに立っていて、官邸がある側の歩道は通行禁止です。車も通行できるのは昼間だけです。

三清閣は、官邸に連なる丘にあります。ここは、1970年代から80年代に韓国の政治家達の交渉や晩餐会に使われたところで、その後のバブルの頃、日本人の妓生パーテイの悪名で知られたところでした。今は高級結婚式場になりました。その一角で、韓国茶を飲みました。なつめ茶・山いちご茶・松葉茶・漢方茶のなから私は漢方茶を頂きました。思ったより薬臭くなく、やさしいお茶でした。
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 全州 韓屋保存地区

2006-11-22 11:09:49 | 旅行
全州市はかつての街並み保存に力を入れていて、泊まったリベラホテルの付近は、韓屋保存地域でした。私は早朝ホテルを出て、人気のない路地裏を散策しました。チョゴリを着た女の人が出てくるような幻想を感じました。

前日の日暮れ時、市内をみおろす丘にあるオクモデへ行きました。ここは李朝の祖である李成桂将軍が、高麗打倒の祝宴を開き、王になることを宣言した場所だそうです。楼に上がり、夕闇に閉ざされていく韓屋に見とれました。
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全州 豊南門

2006-11-21 20:46:36 | 旅行
全州は李朝発祥の地です。
豊南門はかつて東西南北にあった門の一つですが、豊臣秀吉の朝鮮侵略で城も門も
すべて焼失してしまい、李朝後期の1767年にこの門だけが再建されました。門は、衣類や食料品を売る市場などの街にとりかこまれています。門の高さは15・5mもあるそうで、バスで一周して門を眺めました。
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海印寺梵鐘

2006-11-21 10:26:30 | 旅行
韓国には、仏教が盛んだった高麗時代までに建てられたお寺が全国にあります。李朝は儒教を国の政治制度と道徳思想の規範としたため、仏教は衰退しますが、もともと名刹といわれる寺は、山深いところにあったため、破壊を免れて残りました。
そのなかでも、今回訪れた、通度寺(トンドサ) 仏国寺(プルグサ)・海印寺(ヘインサ)は韓国三大名刹と言われています。
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海印寺屋根

2006-11-20 19:37:10 | 旅行
足元を気にしながら、苦労して上った石段ですが、帰りは、緩やかな坂道があることに気づきました。お寺の屋根の曲線、美しいですね。
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八万大蔵経(パルマンテ チャンギョ)

2006-11-20 19:13:46 | 旅行
高麗時代の1236年から1251年に作られた仏教経典で、8万1256枚の版木に5272万9000あまりの文字が刻まれています。これは蒙古の侵略から国を守るための国家事業でした。最初は江華島の伝灯寺(チョンドワンサ)にあったものを、戦禍から安全なカヤ山の海印寺に移されました。
蔵経板庫の建物は、1398年に建てられたものですが、庫内の通風を良くするため、前面と後面の窓の大きさを変えるなど工夫されて、建築学にとっても価値のある建物だそうです。
写真の本堂は歴代の住職の位牌が安置されているお堂です。
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