今日法要で北烏山にある菩提寺に行き、本堂の下にある最近できた動物廟を見てきました。真新しい棚に愛犬や愛猫の遺骨が安置されていました。位牌があるもの、写真が飾られているものなど、飼い主の愛がひしひしと感じられました。近頃は愛犬・愛猫の埋葬も可という墓地があるそうです。我が家のモモコも推定年齢14~5歳と高齢です。いずれお世話になることでしょう。
昨日16日は6歳で逝った長女の命日でした。ネットで送られてきた孫娘の面影がなんとなく似ていました。
40年前のこと、リンパ肉腫でした。小児がんの知識など全く無かったので、そんな恐ろしい病気にかかっているとは露しらず、小学1年生の夏、高熱が続いて2週間で亡くなりました。「宿題は夏休みが終わるまでにやればいいよ。」と私は言ったのに、7月中にすべてやり上げてしまって………。
その子の服は捨てられず長い間しまいこんでいましたが、孫娘が着れるようになったので、着てもらえてうれしいです。
40年前のこと、リンパ肉腫でした。小児がんの知識など全く無かったので、そんな恐ろしい病気にかかっているとは露しらず、小学1年生の夏、高熱が続いて2週間で亡くなりました。「宿題は夏休みが終わるまでにやればいいよ。」と私は言ったのに、7月中にすべてやり上げてしまって………。
その子の服は捨てられず長い間しまいこんでいましたが、孫娘が着れるようになったので、着てもらえてうれしいです。
近所の農家から畑を借りて野菜を作っていますが、少し注意を怠ると病気がでたり、肥料が足りなかったりで、苦労しています。
戦争が終わったあと、母は焼け跡を耕して野菜を作っていました。もちろん土地の所有者には無断耕作です。我が家ばかりでなく周りみんなそうでした。いま考えると、野菜作り素人の街の住人が、どの人も野菜を上手に作っていたのか、不思議ですが、家を焼きつくした炎が地面を消毒し、肥料はトイレの人糞が良かったかのかもしれません。
屋根には南瓜を這わせ、道端にはふだん草(灰汁は強いが、強健なため栽培しやすい)を植えて、食糧不足を凌いだ時代でした。
戦争が終わったあと、母は焼け跡を耕して野菜を作っていました。もちろん土地の所有者には無断耕作です。我が家ばかりでなく周りみんなそうでした。いま考えると、野菜作り素人の街の住人が、どの人も野菜を上手に作っていたのか、不思議ですが、家を焼きつくした炎が地面を消毒し、肥料はトイレの人糞が良かったかのかもしれません。
屋根には南瓜を這わせ、道端にはふだん草(灰汁は強いが、強健なため栽培しやすい)を植えて、食糧不足を凌いだ時代でした。
子どものころ遠足のおやつは、缶入のサクマ式ドロップでした。生協のチラシに載っていたので、懐かしくなって購入しました。届いた缶を見ると、缶はなんと戦前の復刻版でした。横文字が右から左です。左から読むと、”式マクサ”です。
今夏、野坂昭如作「火垂るの墓」が映画化され、上映中だそうですが、私は20数年前のアニメを見ました。戦争で両親を失った小学生の兄が幼い妹の遺骨を、大事に持っていたサクマ式ドロップの缶にいれているシーンに、涙しました。
過日、「NHKスペシャル 解かれた封印」という番組をたまたま見ました。長崎被爆記録のための米軍従属カメラマンが、アメリカ軍に内緒で被災地の惨状を撮影した写真を43年後に公開し、原爆の惨状をアメリカ国内に伝えたドキュメントです。そのなかの1枚、背中に死んだ赤ちゃんを背負って、火葬の順番を待つ少年の無表情を忘れることができません。。
今夏、野坂昭如作「火垂るの墓」が映画化され、上映中だそうですが、私は20数年前のアニメを見ました。戦争で両親を失った小学生の兄が幼い妹の遺骨を、大事に持っていたサクマ式ドロップの缶にいれているシーンに、涙しました。
過日、「NHKスペシャル 解かれた封印」という番組をたまたま見ました。長崎被爆記録のための米軍従属カメラマンが、アメリカ軍に内緒で被災地の惨状を撮影した写真を43年後に公開し、原爆の惨状をアメリカ国内に伝えたドキュメントです。そのなかの1枚、背中に死んだ赤ちゃんを背負って、火葬の順番を待つ少年の無表情を忘れることができません。。
63年前の8月15日も、今日のような真夏の太陽がぎらぎら照りつけている、ものすごく暑い日でした。正午に重大な放送があるのでみな聴くようにとのお達しで、大人も子供もラジオの前に集まりました。君が代の音楽に続いて聞こえて来たのが、初めて聞く天皇の声でした。壊れかかったラジオなので、抑揚のない発音に加えて雑音がまじって聞こえ難く、言葉も難しいので,15歳の少女には、なんのことやら、さっぱり分かりませんでした。放送が終わった後、一人の大人が、「戦争に負けた」と言いました。みんな黙りこくって、しーんとしていて、蝉の声がやたら喧しかったことが思い出されます。
近代の戦争は、いったん戦争が起きると、戦闘要員よりも巻き添えになる民間人の犠牲者の多大なのが、特徴だそうです。私たちも空襲につぐ空襲で、周りは死者だらけ、母など爆弾の破裂音が近づいてきているのに、「どこで死ぬのも同じ」と布団から出ようとしませんでした。「危ない」と近所の男の人に引きずり出された直後、爆弾の破片が瓦屋根を貫き、母が寝ていた部屋にに落下して、母は命拾いしま
した。
イラクなどの戦争でも、戦争に巻き添えになっている民衆の姿をみると、心が痛みます。
近代の戦争は、いったん戦争が起きると、戦闘要員よりも巻き添えになる民間人の犠牲者の多大なのが、特徴だそうです。私たちも空襲につぐ空襲で、周りは死者だらけ、母など爆弾の破裂音が近づいてきているのに、「どこで死ぬのも同じ」と布団から出ようとしませんでした。「危ない」と近所の男の人に引きずり出された直後、爆弾の破片が瓦屋根を貫き、母が寝ていた部屋にに落下して、母は命拾いしま
した。
イラクなどの戦争でも、戦争に巻き添えになっている民衆の姿をみると、心が痛みます。