1991年秋 「劇団ふるさとキャラバン」の日米合作ミュージカル [labor of lave] アメリカ公演 応援ツアーに参加して、ニューオリンズよりさらに奥地のルイジアナ州アカデイア郡の郡都であるクロウリー市へ行った。ここはアメリカ南部屈指の米収穫と精米の主要産地。地平線まで広大な水田が広がっている。[labor of lave]は日本の農家とアメリカの大農場の稲作をテーマー にしたミュージカルで、アメリカの取材地がクロウリーだった。日米合作の上演はシアトル サンフランシスコでも大盛況。
ツアーの一行はニューオリンズで一泊し本場のジャズを観賞し、最終公演の地クロウリーへ向けて出発。ミシシッピー川支流の川の中に林立するいまは廃墟の油田櫓を見に行ったら、船頭に日本人観光客は初めてと言われた。大農場主の白亜の大豪邸を見学。内装も家具調度もしっかり保存され、優雅な暮らしぶりが想像できたが、奴隷として苦しんだ人々の悲しみもあったことだろう。
クロウリーでは市長はじめ市あげての大歓迎。そこで『ケイジャン音楽」を初めて聴いた。「ケイジャン音楽」とはルイジアナ州に43万人居住しているというフランス系移民の軽快なダンス音楽。楽器はアコーデオンとバイオリン、歌詞はフランス語だそうだ。日本人にはあまり馴染みがない音楽なのでは。
ツアーバスの運転手もフランス人らしい顔つきの人だった。この人たちはかつては北米に移住していたフランス人だが、イギリス国王への忠誠を拒否したので追放され、18世紀当時スペイン領だったルイジアナ州へ集団で移住した。言語もケイジャン語が残っている。
ツアー最後の夜ホテル近くのダンスホールで、ツアー参加者がケイジャン音楽の伴奏でダンスを踊った。ダンスなど縁のない夫が、劇団の女優さんに引っ張りだされておぼつかない格好で踊っていた姿を、眠れないままアイポットの「ケイジャン音楽」を聴いて懐かしく思い出した。