いまトルコではトルコ共和国建設の歴史を描いた長編歴史小説「トルコ狂乱」が100万部を越えるベストセラーとなっているそうです。
トルコの前身、オスマン帝国は、第1次大戦のときドイツに同盟して破れてヨーロッパ列強から不平等条約を押し付けられました。これに反発したオスマン帝国の将軍ムスタファ・ケマルを中心とする愛国者たちがアンカラに新政府を樹立しました。
領土拡大をめざす隣国ギリシャがイギリスの力を借りて、トルコに攻めこんで来ると、ムスタファ・ケマルは、「祖国解放」を合言葉に軍を指揮し、共和国の独立を勝ち取ります。
『トルコ狂乱』は、この建国に至るまでの歴史を、およそ800ページにわたって克明に描いた作品です
日本では三一書房から数年前に出版されましたが、いまは絶版なので、図書館で借りて読みました。
軍隊の装備はぼろぼろ、兵力も劣勢なトルコ軍が、近代的な装備も兵力も優勢なギリシャ軍に対して、どうして勝利できたのか。
ムスタファ・ケマルの並はずれた指導力もさることながら、祖国独立解放戦争に立ちあがった民衆の動きに感動です。知識人の女性も農村地帯の女性も大きな力を発揮しています。
領土拡大を狙ったギリシャと、ギリシャを応援することでトルコ周辺海域の制海権を得ようとしたイギリス、インド独立運動への波及を恐れたロイド・ジョージ首相の思惑、なるほどなと思いました。
トルコ共和国建国後、建国の父、アタチュルク(ムスタファ・ケマルのおくり名)は、ヨーロッパを手本にした国づくりを目指し、トルコの近代化には、フランスのような徹底した政教分離が必要だと考え、「世俗主義」を憲法に明記し、以来「絶対的な原則」となりました。
「世俗主義」というのは、宗教を公の場から徹底的に排除する考え方です。イスラムの国で政教分離を掲げたのは大変なことだったでしょうね。
宗教と国家を完全に分離する「世俗主義」を大原則としてきたトルコ。その「世俗主義」が、いま、大きな曲がり角に来ています。
今年2月、イスラム色の強い与党「公正発展党」が、大学での女性のスカーフ着用を認める憲法改正に踏み切りました。
これに対し、検察当局は、「世俗主義」に反するとして、公正発展党の解党を求める訴えを憲法裁判所に起こし、国を二分する大議論となったのです。
トルコの国民は、イスラムの信仰の厚い人々も含め、愛国心が大変強いので、この「独立解放戦争」には、それぞれの立場でそれぞれに思い入れがあります。
人口約7,500万人のトルコで100万部のベストセラーになったのは、「独立解放戦争の意義は何だったのか」トルコ共和国の原点を振り返ってみたいというトルコ国民の心情に答える内容だったからではないでしょうか。
10月29日は、トルコ共和国建国記念日でした。イスタンブールの街中トルコ国旗がはためいていました。
「トルコ狂乱」は熱烈な愛国心をもつトルコ人ガイドさんから紹介して頂いたものす。
なお、このブログ作成にさいして、下記の記事を引用させていただきました。
NHK解説員ブログ
”2008年08月06日 (水)
アジアを読む「『トルコ狂乱』 大ヒットの背景”
建国記念日を祝う花火
ボスボラス海峡に打ち上がった花火 ホテルの窓から撮影
「トルコ狂乱」最終章
ムスタフア・ケマルが教師の集会で行った演説
「紳士・淑女の皆さま!我々がここまでくる道のりは生易しいものではありませんでした。今後、わが国の教師や詩人作家といった人々は我々が直面した大禍乱を二度と繰り返さぬよう、我々がなぜあのような暗黒時代に陥ることになったのか、血と涙を流しつつどうやってそこから抜け出したのか。最も正しく、最も美しい形で書き残してくれることでしょう。このことを通じ、戦没者のことを尊崇の念をもって偲びましょう。祖国開放のために力を尽くした官民、老若男女、都鄙を問わずすべての人々に感謝を捧げたいと思います。でも私はこれだけは強調しておかずにはいられません。世界中のどの国の女性たちも『祖国を救うためにトルコ人女性以上の働きをした』ということはできないでしょう。」
[しかしこのことは自覚しなくてはなりません。我々が現在たどり着いた到着点は、真の民族解放ではないのです。祖国解放とは、トルコが文明開化し、近代化し、学問と科学と人道主義に対して敬意を払い、独立の価値と栄光を知り俗信をさっぱり洗い流し、自由闊達なる理性と悟性とを備える社会になった時、初めて到達できたといえるものです。
教師の皆さん!我らが軍隊のもたらした勝利は、教育を担う戦士たちが勝つための基盤を築いたに過ぎません。真の勝利は無知を打倒したときにあなた方が手にするものであり、あなた方が守り抜くものです。
我々は子供達と未来をあなた方の手に託します。なぜならあなた方の理性と良心をこそ信じているからです。」
トルコの前身、オスマン帝国は、第1次大戦のときドイツに同盟して破れてヨーロッパ列強から不平等条約を押し付けられました。これに反発したオスマン帝国の将軍ムスタファ・ケマルを中心とする愛国者たちがアンカラに新政府を樹立しました。
領土拡大をめざす隣国ギリシャがイギリスの力を借りて、トルコに攻めこんで来ると、ムスタファ・ケマルは、「祖国解放」を合言葉に軍を指揮し、共和国の独立を勝ち取ります。
『トルコ狂乱』は、この建国に至るまでの歴史を、およそ800ページにわたって克明に描いた作品です
日本では三一書房から数年前に出版されましたが、いまは絶版なので、図書館で借りて読みました。
軍隊の装備はぼろぼろ、兵力も劣勢なトルコ軍が、近代的な装備も兵力も優勢なギリシャ軍に対して、どうして勝利できたのか。
ムスタファ・ケマルの並はずれた指導力もさることながら、祖国独立解放戦争に立ちあがった民衆の動きに感動です。知識人の女性も農村地帯の女性も大きな力を発揮しています。
領土拡大を狙ったギリシャと、ギリシャを応援することでトルコ周辺海域の制海権を得ようとしたイギリス、インド独立運動への波及を恐れたロイド・ジョージ首相の思惑、なるほどなと思いました。
トルコ共和国建国後、建国の父、アタチュルク(ムスタファ・ケマルのおくり名)は、ヨーロッパを手本にした国づくりを目指し、トルコの近代化には、フランスのような徹底した政教分離が必要だと考え、「世俗主義」を憲法に明記し、以来「絶対的な原則」となりました。
「世俗主義」というのは、宗教を公の場から徹底的に排除する考え方です。イスラムの国で政教分離を掲げたのは大変なことだったでしょうね。
宗教と国家を完全に分離する「世俗主義」を大原則としてきたトルコ。その「世俗主義」が、いま、大きな曲がり角に来ています。
今年2月、イスラム色の強い与党「公正発展党」が、大学での女性のスカーフ着用を認める憲法改正に踏み切りました。
これに対し、検察当局は、「世俗主義」に反するとして、公正発展党の解党を求める訴えを憲法裁判所に起こし、国を二分する大議論となったのです。
トルコの国民は、イスラムの信仰の厚い人々も含め、愛国心が大変強いので、この「独立解放戦争」には、それぞれの立場でそれぞれに思い入れがあります。
人口約7,500万人のトルコで100万部のベストセラーになったのは、「独立解放戦争の意義は何だったのか」トルコ共和国の原点を振り返ってみたいというトルコ国民の心情に答える内容だったからではないでしょうか。
10月29日は、トルコ共和国建国記念日でした。イスタンブールの街中トルコ国旗がはためいていました。
「トルコ狂乱」は熱烈な愛国心をもつトルコ人ガイドさんから紹介して頂いたものす。
なお、このブログ作成にさいして、下記の記事を引用させていただきました。
NHK解説員ブログ
”2008年08月06日 (水)
アジアを読む「『トルコ狂乱』 大ヒットの背景”
建国記念日を祝う花火
ボスボラス海峡に打ち上がった花火 ホテルの窓から撮影
「トルコ狂乱」最終章
ムスタフア・ケマルが教師の集会で行った演説
「紳士・淑女の皆さま!我々がここまでくる道のりは生易しいものではありませんでした。今後、わが国の教師や詩人作家といった人々は我々が直面した大禍乱を二度と繰り返さぬよう、我々がなぜあのような暗黒時代に陥ることになったのか、血と涙を流しつつどうやってそこから抜け出したのか。最も正しく、最も美しい形で書き残してくれることでしょう。このことを通じ、戦没者のことを尊崇の念をもって偲びましょう。祖国開放のために力を尽くした官民、老若男女、都鄙を問わずすべての人々に感謝を捧げたいと思います。でも私はこれだけは強調しておかずにはいられません。世界中のどの国の女性たちも『祖国を救うためにトルコ人女性以上の働きをした』ということはできないでしょう。」
[しかしこのことは自覚しなくてはなりません。我々が現在たどり着いた到着点は、真の民族解放ではないのです。祖国解放とは、トルコが文明開化し、近代化し、学問と科学と人道主義に対して敬意を払い、独立の価値と栄光を知り俗信をさっぱり洗い流し、自由闊達なる理性と悟性とを備える社会になった時、初めて到達できたといえるものです。
教師の皆さん!我らが軍隊のもたらした勝利は、教育を担う戦士たちが勝つための基盤を築いたに過ぎません。真の勝利は無知を打倒したときにあなた方が手にするものであり、あなた方が守り抜くものです。
我々は子供達と未来をあなた方の手に託します。なぜならあなた方の理性と良心をこそ信じているからです。」