程久保川の辺で

程久保川のほとりに住んで30数年、ここが私達家族の終の栖家となりました。

トルコのベストセラ ー「トルコ狂乱」

2011-01-21 22:12:19 | 旅行
いまトルコではトルコ共和国建設の歴史を描いた長編歴史小説「トルコ狂乱」が100万部を越えるベストセラーとなっているそうです。




トルコの前身、オスマン帝国は、第1次大戦のときドイツに同盟して破れてヨーロッパ列強から不平等条約を押し付けられました。これに反発したオスマン帝国の将軍ムスタファ・ケマルを中心とする愛国者たちがアンカラに新政府を樹立しました。
領土拡大をめざす隣国ギリシャがイギリスの力を借りて、トルコに攻めこんで来ると、ムスタファ・ケマルは、「祖国解放」を合言葉に軍を指揮し、共和国の独立を勝ち取ります。
『トルコ狂乱』は、この建国に至るまでの歴史を、およそ800ページにわたって克明に描いた作品です
日本では三一書房から数年前に出版されましたが、いまは絶版なので、図書館で借りて読みました。

軍隊の装備はぼろぼろ、兵力も劣勢なトルコ軍が、近代的な装備も兵力も優勢なギリシャ軍に対して、どうして勝利できたのか。
ムスタファ・ケマルの並はずれた指導力もさることながら、祖国独立解放戦争に立ちあがった民衆の動きに感動です。知識人の女性も農村地帯の女性も大きな力を発揮しています。
領土拡大を狙ったギリシャと、ギリシャを応援することでトルコ周辺海域の制海権を得ようとしたイギリス、インド独立運動への波及を恐れたロイド・ジョージ首相の思惑、なるほどなと思いました。

トルコ共和国建国後、建国の父、アタチュルク(ムスタファ・ケマルのおくり名)は、ヨーロッパを手本にした国づくりを目指し、トルコの近代化には、フランスのような徹底した政教分離が必要だと考え、「世俗主義」を憲法に明記し、以来「絶対的な原則」となりました。
「世俗主義」というのは、宗教を公の場から徹底的に排除する考え方です。イスラムの国で政教分離を掲げたのは大変なことだったでしょうね。
宗教と国家を完全に分離する「世俗主義」を大原則としてきたトルコ。その「世俗主義」が、いま、大きな曲がり角に来ています。
今年2月、イスラム色の強い与党「公正発展党」が、大学での女性のスカーフ着用を認める憲法改正に踏み切りました。
これに対し、検察当局は、「世俗主義」に反するとして、公正発展党の解党を求める訴えを憲法裁判所に起こし、国を二分する大議論となったのです。

トルコの国民は、イスラムの信仰の厚い人々も含め、愛国心が大変強いので、この「独立解放戦争」には、それぞれの立場でそれぞれに思い入れがあります。

人口約7,500万人のトルコで100万部のベストセラーになったのは、「独立解放戦争の意義は何だったのか」トルコ共和国の原点を振り返ってみたいというトルコ国民の心情に答える内容だったからではないでしょうか。

10月29日は、トルコ共和国建国記念日でした。イスタンブールの街中トルコ国旗がはためいていました。
「トルコ狂乱」は熱烈な愛国心をもつトルコ人ガイドさんから紹介して頂いたものす。

 なお、このブログ作成にさいして、下記の記事を引用させていただきました。

NHK解説員ブログ
   ”2008年08月06日 (水)
    アジアを読む「『トルコ狂乱』 大ヒットの背景”

建国記念日を祝う花火
ボスボラス海峡に打ち上がった花火 ホテルの窓から撮影



「トルコ狂乱」最終章 
ムスタフア・ケマルが教師の集会で行った演説

「紳士・淑女の皆さま!我々がここまでくる道のりは生易しいものではありませんでした。今後、わが国の教師や詩人作家といった人々は我々が直面した大禍乱を二度と繰り返さぬよう、我々がなぜあのような暗黒時代に陥ることになったのか、血と涙を流しつつどうやってそこから抜け出したのか。最も正しく、最も美しい形で書き残してくれることでしょう。このことを通じ、戦没者のことを尊崇の念をもって偲びましょう。祖国開放のために力を尽くした官民、老若男女、都鄙を問わずすべての人々に感謝を捧げたいと思います。でも私はこれだけは強調しておかずにはいられません。世界中のどの国の女性たちも『祖国を救うためにトルコ人女性以上の働きをした』ということはできないでしょう。」

[しかしこのことは自覚しなくてはなりません。我々が現在たどり着いた到着点は、真の民族解放ではないのです。祖国解放とは、トルコが文明開化し、近代化し、学問と科学と人道主義に対して敬意を払い、独立の価値と栄光を知り俗信をさっぱり洗い流し、自由闊達なる理性と悟性とを備える社会になった時、初めて到達できたといえるものです。
教師の皆さん!我らが軍隊のもたらした勝利は、教育を担う戦士たちが勝つための基盤を築いたに過ぎません。真の勝利は無知を打倒したときにあなた方が手にするものであり、あなた方が守り抜くものです。
我々は子供達と未来をあなた方の手に託します。なぜならあなた方の理性と良心をこそ信じているからです。」



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トルコ紀行 番外編

2011-01-17 16:00:26 | 旅行
お土産を紹介します。

ラク 
ワインと同じ葡萄を原料にしたお酒。葡萄を蒸留し、アニスで香りをつけた40~45度のお酒。無色透明ですが、水で割ると真っ白になります。くせの強いトルコ独特のお酒です。

ロクム
シュガーにまぶされている求肥のような菓子。
中に入っているものは様々で、トルコ人が好むのは、もの凄く甘いそうですが、私が買ったロクムはナッツ入、甘さもほどほど美味しかったです。



ナザール・ボンジュー
邪悪なことから守ってくれるお守り。悪いものすべてが目の威力によって打ち砕かれ、青いガラスによって撥ね返され、身の安全を守ってくれると信じれています。

カシュのお土産屋で買った瀬戸物の犬
チューリップはトルコが原産地で、トルコからヨーロッパに渡ったそうです。ブールーモスクのタイルをはじめ、皿や水差しなどの陶器の模様に使われています。愛らしい子犬の身体にもさまざまな花が描かれています。

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トルコ紀行 17 イエニモスク

2011-01-10 16:18:30 | 旅行
イエニモスク
 ガラタ橋近くの広場からほど近いイエニモスク.イエニエモスクとは”新しい寺院”という意味だそうですが、それでも300年以上は経ています。町の雑踏と隣り合わせのモスクです。






 宵闇迫る船からみたイエニエモスク

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トルコ紀行 16 隊商宿 エジプシャン・バザール

2011-01-10 15:03:54 | 旅行
隊商宿
 ガラタ橋近くの広場の一郭に残る隊商宿。オスマン帝国時代に作られた建物が今でも取引の場として使われている。

 隊商宿入り口



 ここがはるばる砂漠を越えてきた隊商の宿かと思うと、ロマンを感じました。





エジプシャン・バザール
 香辛料を専門に扱う店が軒を連ねているので、スパイスバザールと呼ばれています。有名なグランドバザールより、庶民的な市場として人気があります。ヨーロッパの各国の料理人が、スパイスを買い付けにきているいるそうです。







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トルコ紀行15 ボスボラス海峡クールーズ

2011-01-10 10:53:47 | 旅行
トルコ紀行最後のハイライト・ボスボラス海峡クルーズ。
江利チエミの歌で名前だけ知っているウスキュダルから乗船しました。
アジア側のウスキュダルから対岸ヨーロッパ側へ大林建設が海底トンネルを建設中でした。2年後の開通を目指していますすが、古代遺跡が出てくるので、そのたびに工事中断とか。

ウスキュダル船着場



アジア側の対岸には、アラブの王様や、世界の億万著長者の高級別荘が並んでいます。









第2ボスボラす橋
橋をくぐってクルーズはヨーロッパ側にユーターン。この橋も日本の企業が建設した。



橋の袂の要塞 ルメリ・ヒサール



ドルマバフチェ宮殿、パリのオペラ座を担当したフランス人の内装によるので、ベルサイユ宮殿を思わせるといわれている



夕暮れ迫る金角湾



クルーズ終着 ガラタ橋









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トルコ紀行14 イスタンブール2

2011-01-09 20:30:13 | 旅行
イスタンブール泊まり最後の1日は、オスマン・トルコ歴代スルタン(王)の宮殿 トプカプ宮殿を見学しました。
広大な敷地の宮殿と、目がくらむ豪華な宝物に圧倒されました。

ペラパレスホテル

 イスタンブールは1889年に開通したオリエント急行の終着駅。ヨーロッパからの上流階級のお客のホテルとして開業したペラパレスホテル。ヘミングウエイや女優サラ・ベナウールなど著名人が宿泊したホテルですが、アガサクリステイの「オリエント急行殺人事件」は、このホテルで執筆されました。
調度品や内装は当時のまま、トルコ人ガイドさんの計らいでテイタイムを満喫しました。








  
 オードリーヘップバーン主演「シャレード」のエレベーターと同じ古色蒼然としているエレベーターに感激。



リュステム・パシャジャ・モスク
 このモスクは商店や卸問屋に囲まれている、入り口が分かり難いところにありました。
 ここは花柄と幾何学もようのタイルが有名です。











カーリエ博物館
 アヤソフィアと同じくギリシャ正教の聖堂がモスクに変わったところです。モスクになったとき塗りこめられていたキリストや聖母マリアのモザイク画を復元して、公開されています。







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トルコ紀行14イスタンブール 1

2011-01-04 15:54:34 | 旅行
カッパドキアから少し離れたネブシエヒル空港から、イスタンブールのアタチュルク国際空港へ。
今日は10月29日、トルコ共和国独立宣言の日。町のいたることに国旗がはためいていました。金曜日とあって空港からアンカラ市内への道路は渋滞していました。

ブルーモスク
 正式名は”スルタン・アフメット・ジャミイ。
 尖塔が6本あるのが特徴です。



 モスクからは1日に何回か定期的にコーランが放送されます。
 放送設備のない昔は6本ある尖塔にそれぞれ上って、声を合わせて遠くまで聞こえるようコーランを唱えたそうです。



 内陣



地下宮殿

ビザンテイン時代、敵に攻められたときの水を確保するため、いくつも貯水池が作られた。いま一般に公開されているのはここだけ。縦141m 横73m 高さは8Mの巨大な空間です。
336本の大理石の柱は、方々の遺跡から持ってきたものだそうです。



アヤソフィア

アヤソフィアは、東ローマ帝国時代にキリスト教会として、オスマントルコ時代はモスクとして使われたビザンツ建築の傑作です。



 内陣をとりまく回廊には、キリストのの国の荘厳さあらわす金色のモザイク画に埋め尽くされているのですが、足の弱い私はリタイヤしたので、残念です。 









お清めのため蛇口







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