程久保川の辺で

程久保川のほとりに住んで30数年、ここが私達家族の終の栖家となりました。

庭の主役 楓

2013-04-30 18:50:34 | 花おりおり

 1965年に入居が決まったものの、母がそんな田舎へ越すのは嫌だと言ったため、やむを得ず中央高速道路建設中の道路公団に勤務している人に6年間貸した。家は4畳半2部屋と6畳の計3部屋。大学生を頭に子ども4人とご夫婦計6人。狭いので奥さんは押し入れに寝ていたそうだ。

その方が大国魂神社で買ってきて植えたのがこの楓。庭の真ん中に陣取っていて、芽吹きのときはひときわ存在感を示している。

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稚児百合

2013-04-26 22:05:44 | 花おりおり

 昔、職場の仲間と高尾にあるサクラ保存林を見に行きました。

サクラ保存林は、日本各地の桜の遺伝子を保存するために昭和41年に開設されました。約8haの山のなかに江戸時代から伝わる栽培品種や国の天然記念物に指定されている桜など、約1,700本が植えられています。珍しいと思ったのは「御衣黄」という黄色い八重桜でした。

その時、実験林で買ってきたのがこの稚児百合です。

どのようにして増えたのか、少し離れた樹の根元にも咲いていました。

 

 

 

 

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今年の牡丹

2013-04-20 16:58:20 | 花おりおり

 何時もなら4月下旬に咲く牡丹が、今年は早々と開花した。

この牡丹は、30数年前に友人と深大寺植物園へ行ったとき、買ってきたもの。木は大きくならないが、毎年豪華な花を見せてくれる。

 牡丹が咲くと、「この花いいね。」と見とれていた姑を思い出す。

脳溢血で意識がない義母を見た看護師さんが「この方本当に80歳ですか」と驚いたほど、豊かな黒髪と色白の顔をもつ若々しい人だった。

結婚するとき夫が履いていた紺サージのズボンは義母が縫ったものというので「洋裁習ったのですか」と聞いたら「本を見て作った」と答えた。チャレンジ精神が旺盛で、50歳過ぎて生命保険の外交員となり、80歳近くまで働いていた。若い青年が多い会社の保険契約は「小母さんはおふくろのようだ」と慕われて、義母でないと契約がとれないため、なかなか辞めさせてもらえなかった。誰にでも好かれる、誰とも話ができる、物怖じしない性格は、そっくり亡き夫に引き継がれていたと思う。

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セイダカアワダチ草

2013-04-17 07:50:06 | 花おりおり

 一昨日紫金草が見かけられなくなったと書いたが、昨日程久保川の中州に咲いているのを発見した。

そういえば、かつては恐ろしいほどの勢いで空き地や川原に群生していたセイダカアワダチ草もほとんど見かけなくなった。

 セイダカアワダチ草は園芸植物として北米から輸入された。戦後アメリカ軍の物資に付着してきた種によりまたたくまに日本全国に群生した。高さは1 - 2.5m、良く肥えた土地では3.5 - 4.5m程度にもなる。在来種の植物を駆逐してしまうため、厄介な雑草として嫌われていた。、ネットで見るとモグラ・野ネズミが駆除されてので、糞などの栄養物が無くなったせいとあったが本当だろうか。

自然界ににも栄枯盛衰があるのだろうか。

 

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紫金草

2013-04-15 19:20:35 | 花おりおり

 この花は中国からきた花で、不戦の花だと聞かされたのは何時のころだったろうか。

 日本軍により南京の民衆が大量虐殺された紫金山のふもとに咲いていたこの花の種を、薬学者の山口氏が密かに持ち帰りました。戦争で命を奪われた人々への鎮魂と平和を願ってこの花を「紫金草」と名付け、茨城県の自宅の庭で種を増やし、家族や協力者とともに、この花を日本中に拡げて行きました。1985年の筑波科学万国博覧会では100万袋の紫金草の種が配布されたそうです。

 春になると、線路のふちなどあちこちで咲いていたのに、この頃はあまり見かけなくなっていました。今日通った空き地で偶然に見かけたので、携帯で写真を撮りました。

 

 

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爪切りを作る

2013-04-09 14:44:06 | 随想

 

 

 高幡不動の境内に咲いていた、しだれ梅の写真が入っている爪切りができました。

外出用のバックに入れておいたら、何か切るときに便利そうです。

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高幡不動 梅のポストカード

2013-04-02 13:16:15 | 花おりおり

 今年は例年より寒さが厳しくて、梅の開花が遅かった。

高幡不動境内の梅を見に行った日は、上々の良い天気、腕は悪いがそれなりの写真が撮れた。

今は遠く離れたS おばあちゃんに、出来上がったこのポストカードを送った。

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