程久保川の辺で

程久保川のほとりに住んで30数年、ここが私達家族の終の栖家となりました。

韓国を旅行して

2006-12-26 23:39:52 | 旅行
すでによく知られているように、朝鮮と日本の相互関係は、太古の頃から今に至るまではなはだ密接であった。朝鮮半島から日本列島には、じつにさまざまなものが波状的に伝来し、大勢の人が渡来した。それにともなって先進的な技術やシステムばかりでなく、人心をつかむ宗教や文芸なども修得された。ーー(略)ーー日本文化の形成と発展に大きな影響を与えたのであった。その意味では、朝鮮は日本にとってもっとも近い距離にあるだけでなく、歴史的にもっとも近い関係にあるのである。

だが、”もっとも近く””緊密な関係”という場合、表だった親密な交流関係の裏に、暗い影が落とされているのも確かであって、そこから目をそらさないわけにはいかない。暗い影の一、二をあげれば、16世紀末の豊臣秀吉による朝鮮侵略であり、今世紀前半の朝鮮総督府の植民地支配である。なかでも総督府の植民地支配が加えた耐え難い苦しい体験は、人々の心身にいやしがたい傷を残した。

上記は[地域からの世界史1朝鮮]朝日新聞社 の序文を引用しました。
今回韓国を旅して、韓国の現状と歴史をほんの少し垣間見たに過ぎませんが、いろいろ考えるきつかけとなったからです。

韓国も経済発展によりソウルや釜山の大都市に人口が集中し、農村は日本と変わらない田園風景でした。
一番近い国でありながら、日本人のほとんどがきちんと知らない国朝鮮を、もっと知りたいと、いま思っています。
コメント

華城 東北弩台

2006-12-26 22:19:50 | 旅行
弩台とは弩(いしゆみ)砲を放つ防御施設で、華城には二箇所の弩台が設置されいて、東北弩台はその一つです。城壁の上に煉瓦を積み重ねて作られています。

華城を一巡する華城列車が運行されていますが、時間の制約で乗車できませんでした。残念でした。
コメント

水原 華城 蒼龍門

2006-12-26 21:41:48 | 旅行
水原(スウオン)華城は、李朝22代正祖王が都を現在のソウルから移転しょうとして築いたが、王の死によって遷都は実現しませんでした。東洋でははじめてヨーロッパの建築技術を取り入れた城郭都市として世界文化遺産に指定されています。都の正門として建てられた八達門などをはじめ四つの関門を繋ぐ城壁は全長5,8キロあるそうで、私はその門の一つの蒼龍門を見ただけでした。
コメント

高幡不動五重塔

2006-12-19 13:33:33 | 花おりおり
高幡不動の五重塔の遠景を撮りました。原画の紅葉が暗かったので
、エレメントで補正したら五重塔が霞んでしまいました。
でも「京都へ行ったのよ」と言ってだませるほどの美しい風景です。
コメント

高幡不動尊の紅葉

2006-12-12 14:15:43 | 花おりおり
パソコン教室のお仲間と先週高幡不動尊の紅葉を撮りに行きました。
住んでいる近くにこんなに紅葉のきれいなところがあるとは、いままで気がつきませんでした。
高幡不動は、千葉県の成田・東京江東区の深川不動とともに、関東三大不動の一つと言われています。お正月は車のお払いを受けるため、国道に延々と順番待ちの車の行列ができる人気です。
境内の裏山の桜・紫陽花の時期も人出で賑わうところです。
コメント

景福宮 衛兵交代

2006-12-09 22:48:57 | 旅行
再現されている李朝時代の衛兵交代式を見学しました。
コメント

景福宮

2006-12-05 20:58:58 | 旅行
景福宮は、李朝の祖・李成桂が都を今のソウルに定めた1394年に建てたもので、豊臣秀吉の朝鮮侵略時に焼失するまでの約200年間、李朝の正宮だったところです。李朝末期の1862年にやっとその一部が再建され、正宮となったものの、日韓併合後朝鮮総督府を建てるために、宮殿内の多くの建物が撤去されたり、移築されたりしました。最近朝鮮総督府の建物(大理石を使った豪華なもの)は撤去され、ふたたびかつてあった宮殿が復元されることになっています。
コメント