波乱の海をぶじ目的地へ

現世は激しく変動しています。何があるか判りませんが、どうあろうと、そんな日々を貧しい言葉でなりと綴っていけたらと思います

冬野

2018-11-14 17:55:19 | メルヘン


冬の野で
昔の猫に
出会ったよ
懐かしいので
訊いてみる
お前はオレを
見たことあるか
ナイネ
とつれない返事だ
そうか 見たことないか
オレは言って
猫と別れて歩き出した

オレの顔があまりにも
残念そうだったのだろう
猫はオレを気の毒に
思ったのか
ザラザラと枯葉のついた
蔦を揺すった
オレを振り向かせるために
何か言ったか
とオレは訊いた
ベツニ
と猫は素っ気無く言った
ソウカ
とオレは歩き出した
するとまた枯葉のついた蔓草が鳴った
今度はバサバサと鳴った
何か言ったか
とオレは振り返った
昔のアンタはヒゲなんか生やしていなかったな
と今想い出したのさ
たしかに 生やしていなかった
これは無精ひげと言ってな
ものぐさをしているしるしさ
フンと猫は言って、食べ物探しに
取り掛かった。





中庭の女

2018-11-14 14:21:02 | 超短編



 十一月末、半月幹雄は温泉旅館に来て、休養を取っていた。大学三年生。もうすぐ冬の休暇に入るが、東北の実家に帰省するつもりはなかった。帰省して家族と交わるのは、気が重かった。それより、アルバイトで稼いだ僅かな金で、寂しい温泉旅館にひたっていたかった。
 夕暮れになっても、カーテンをひかなかった。視野を遮って、一室に閉じこもるつもりもなかった。
 早くも雪が降っていた。チラチラと、いかにも寂しそうに雪が降っていた。室内が完全に暗くなっても、半月幹雄は電気をつけなかった。暗い部屋の中から、僅かな外灯のあかりに照らされて降る雪を見ていたかったのである。
 縁側の障子を開けて、ひとりの女が中庭に出てきた。幹雄の部屋は、母屋とL字型に接続する棟の二階にある。したがって、中庭に立つ人の横顔を見ることになる。女は髪を後ろに上げてまとめている。やや古風な髪型だが、身ごなしは若い。昨日到着した幹雄が、何度か見かけている女性である。勝手知った足運びから、この宿の娘と見ていた
 今、中庭に出てきたその娘が、雰囲気ががらりと変わって酩酊しているのである。これはどうみたらいいのだろう。酔い覚ましに、雪のちらつく外に出てきたとしか思えない。
 幹雄はこれ以上接近して、女が顔を上げたりはしないかと不安だった。窓に目を貼り付けて女を観察したい気持ちは捨てがたいが、窓から一歩後退して彼女を見守ることにした。これだけ離れれば、中に人がいるとは気づかないだろう。
 女は深く開いた胸元を閉じようとはしなかった。むしろそこに風を入れたほうが、体を冷やすのに役立つとでも考えているらしい。
「あーあ、やになちゃうよ。あんな男を花婿として迎えるなんて。私は絶対嫌だね。その前にここを逃げ出すよ。何が村会議員歴八年さ。今度当選したら十二年だってよ」
 女は感情に揺さぶられるのか、身振りが大きくなってきた。それに合わせて視野が広がるのか、この二階にまで、目が及んできそうだった。幹雄はそんな不安にかられて、さらに半歩窓から後退した。
「……菊五郎なんて名前があるのをいいことに、菊五郎、菊五郎、花の菊五郎が、選挙演説に上がりました。今回当選させていただいたら、この若さで、議員歴十二年は最長になるん・だってさ。私の胸に顔を突っ込んで、ああこの肉風呂はたまんねえ、だってさ。私は温泉に浸かって、湯で洗い流したけど、まだとれない。こうして外の風と雪にさらして、あいつの匂いを取り去ろうとしているんだけど、まだ消えない。雪よ降れ、降れ」
 女はそんなことまで、セリフのように喋った。
 なるほど、それで胸を深く開いて出てきたわけか……」
 幹雄は女の言葉に煽られて、窓から身を引くのではなく、女に歩み寄る方向へ動くのを止められなくなっていた。女も今や聞えよがしに叫んでいるのだし、覗いたほうが嬉しいにちがいない。また女自ら宣伝しているのだから、好色の罪にも当たらないだろう。
 この旅館に投宿している客は少ないが、この近辺のもので、湯に浸り、保養目的で来ている者もいるようだった。そんな村人目当てに、女が叫んでいるのなら、菊五郎をやり込める効果はてきめんだ。
 幹雄は女の大胆な言葉に助けられて、半歩前に進んだ。すぐ前の窓に、鼻の頭がつきそうだった。
 この時、この棟の母屋に近い二階の窓が開いて、何か言う老人の声がした。女がその方に顔を向ける。
「チラチラ雪が降ってるよ。お嬢さん。風邪ひかないか心配だよ。菊五郎は、ワシも好かねえ。はっきり宣言してくれて、ワシも嬉しいよ。花婿なら、いくらだっている。ワシにも三人息子がいて、一番若いのは今東京の大学に行ってる」
 老人がそう言った時、女の視線がすばやく移動して、幹雄の窓に向かってきた。幹雄は慌てて引っ込もうとしたが、女の目の動きのほうが速かった。視線が合ってしまったのだ。幹雄は遅ればせながら身を引いて、女の一切の言動に知らないふりをしようとした。
 幹雄が女を逃れて何気なく視線が泳いだ先に、不吉な動物の影を見た。一見して華奢な体つきではない。たとえば痩せた狐ではない。犬とすれば大きな犬だ。しかしイメージがただの犬ではない。とすると、山犬だ。オオカミだ。幹雄の印象は次々とんで、オオカミに止まった。オオカミの先へは動かなかった。
 オオカミだ。オオカミは二階の一室にいる幹雄には気づいてはいない。鈍いオオカミだ。幹雄には気づいていないが、オオカミの視線の先をたどると、中庭に立つ女にいきつく。すると女を狙っているのだ。まさか女を餌食にしようというのではないだろう。とすると、村会議員が称した女の肉風呂だろうか。幹雄はそう解釈すると同時に、オオカミへの敵愾心が湧いて出た。窓越しに、女の肌色を、その広がりを見たがっていた幹雄とオオカミが、同質の性格を持って対峙している。闘わなければならない。幹雄はそう断じて、壁に掛けてあるパチンコに目をやった。カラスがうるさい時、普段の静かな平和を維持するために、持ち歩いている武具である。その武器を手にすると、ドアを出て、廊下を足早に歩いた。自分があの女にしてやれる唯一の行為だ。行きずり男の愛のプレゼントだ。幹雄はほんの数分前、女に抱いたかりそめの炎を消し去るために、機敏な行動に駆り立てられていた。
 パチンコには、ビニール袋に入れた小石の弾丸がくくりつけてある。その弾丸がぶつかり合って鳴る。彼は戦いの時が差し迫っていると察知した。廊下の途中で立ち止まり、パチンコに弾丸を装填した。といっても、それほど大げさなものではない。引手に取りつけた小さな革の台座に小石置いて指でつまむだけである。
 彼は装備したパチンコを手に、棟の南端の踊場に来た。先程は四足で立って横腹を見せていたオオカミは、今は寝そべって笹の中から女を伺っている。女はいぜん喋りつづけている。
「やつはこの温泉旅館を、村一番の人気スポットににしてみせるなんて意気込んでるのよ。もっと土産売り場を増やして、そこに自作の歌を載せたCDを置いたりして、とにかくこの温泉旅館を有名にしてみせるってきかないの。彼は私の一人だけの兄とグルになって、何か企んでるわ。私は決してそんな手には乗らないんだから。二年前に父が亡くなってから、母が気弱になってしまって、そしたら兄まで駄目になってしまって、あいつの腰巾着みたいについて歩いてるんだわ。私は弱くなった兄貴を鍛えるために、家出だってするわよ」
「お嬢さん、そんな無茶なことをしてはいけませんよ。ワシの三男坊が冬季の休みに入って、間もなく帰ってくる。三男坊はこの村を立て直す情熱も持っている。三男坊は現在大学の三年で……」
 老人がこう言ったとき、女の視線が幹雄の部屋の方へ動いた。その部屋は現在留守である。オオカミと戦うために、棟南端の踊場に来ている。

おわり