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夷堂橋についてNO36(南6)

2018-09-15 08:27:06 | 日記

 「鎌倉の碑」めぐり 著者 稲葉一彦には、次のような記述がありました。碑の元文を現代文になおすと次のような内容となります。
 此の夷堂(えびすどう)橋は、鎌倉十橋の一つであって、このあたりには、昔夷堂があったと伝えられている。
 この下を流れる川は、上流では胡桃(くるみ)川と言い、浄妙寺の門前に至ると滑川と呼ばれ、文覚上人の屋敷あとの辺では座禅川と唱え、そして此の辺では夷堂川と称しているが、さらに下流の延命寺のかたわらからは、すみうり川と名づけ、閻魔(えんま)堂跡のあたりでは閻魔川といっている。
(参考)
 夷堂
 現在の夷堂橋と、日蓮辻説法跡とのほぼ中間点のあたりの道すじに、蛭子神社という小さな社がある。この蛭子神社は、明治の代になって神仏分離のため、現地点に移ったのであって、江戸時代までは、この橋のたもとにあり、夷堂と呼ばれていた。この橋が夷堂橋といわれるのは、この夷堂とのえにしでつけられたものである。
 このあたりは、小町と大町との境にあたっていて、鎌倉の世には、町大路とよぶ道すじにあたるので、材木座・小町を結ぶ重要な地点であった。
鎌倉十橋は、鎌倉には大きな川はないが、交通上の必要に応じて多くの橋がかけられている。その橋の中で、言い伝えを特にもつ橋、交通の要路にあたる橋を10上げて、鎌倉10橋と呼んでいる。
 鎌倉のJR・京急駅を基点に、
東コースでは、歌の橋、筋違橋(筋替橋)、南コースでは、夷堂橋、逆川橋、乱橋
駅裏コースでは、勝の橋、裁許橋、西コースでは、琵琶橋、針磨橋、十王堂橋の
以上10橋などの記述がありましたので、投稿いたします。

(夷堂橋の碑)

(夷堂橋の袂の本覚寺)