今回も山下公園へ行って見ました。この公園の東端にほど近い所に、インド水塔と云うモニメントがあり、そのプレートを読んでみると関東大震災に、横浜市がインド商人をはじめとする外国商人の救済措置を積極的に講じた返礼として、インド商組合から寄贈されたものである。と掲載されていました。そこで「郷土よこはま」中央図書館編集発行を見ると、次のような事を記述されていた。
関東大震災の際に、インド商人が近隣法人から助けを受けた横浜在住のインド人の感謝の意がこめられて、在日インド人協会から、昭和14年に寄贈されたものである。それは、イスラム教の寺院モスクの中庭にある泉亭(ハウズという)に似た日本には珍しいモニメントである。
これが、東京築地の本願寺(昭和9年)思わせるような形であり、そのミニチュアといえなくもないものです。現に、この設計者は、当時、横浜市の建築課長だった人で、本願寺を参照したかもしれない。ドームの内側など、随所に精巧な造形が見られる。
資料によれば、関東大震災の際、在留のインド人に対しての日本側の措置に対する感謝の意を込めて寄贈されたとあり、現地の説明ブレート以上のことはよくわからない。となっていた。
一方、「ヨコハマ歴史散歩」には、「戦前の昭和12年、インド政府寄贈の水塔」の記述。横浜の水道がいつも水量豊富であることを祈って、インド政府から横浜市に送られた水塔とあった。
困った時の助け合いは、何時の世も当然の様に行われている美しい話があったことをしみじみ感じました。
(山下公園見取り図)
(インド水塔モニメントです)
(塔のプレート)
(天井部分)
(標示版)
関東大震災の際に、インド商人が近隣法人から助けを受けた横浜在住のインド人の感謝の意がこめられて、在日インド人協会から、昭和14年に寄贈されたものである。それは、イスラム教の寺院モスクの中庭にある泉亭(ハウズという)に似た日本には珍しいモニメントである。
これが、東京築地の本願寺(昭和9年)思わせるような形であり、そのミニチュアといえなくもないものです。現に、この設計者は、当時、横浜市の建築課長だった人で、本願寺を参照したかもしれない。ドームの内側など、随所に精巧な造形が見られる。
資料によれば、関東大震災の際、在留のインド人に対しての日本側の措置に対する感謝の意を込めて寄贈されたとあり、現地の説明ブレート以上のことはよくわからない。となっていた。
一方、「ヨコハマ歴史散歩」には、「戦前の昭和12年、インド政府寄贈の水塔」の記述。横浜の水道がいつも水量豊富であることを祈って、インド政府から横浜市に送られた水塔とあった。
困った時の助け合いは、何時の世も当然の様に行われている美しい話があったことをしみじみ感じました。
(山下公園見取り図)
(インド水塔モニメントです)
(塔のプレート)
(天井部分)
(標示版)