ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

鳥は鳥らしく、虫は虫らしく

2021-05-24 07:53:49 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「虫の視点」5月16日
 作家島本理生氏が、『「モテ」という現象の深層』という表題でコラムを書かれていました。その中で島本氏は、鈴木涼美著「ニッポンのおじさん」を取り上げ、『戦争を他人事のように俯瞰して論を展開する優秀な学生に対して著者は、「人の死を悲劇やノスタルジーではなく、数字で把握できるその「アタマの良さ」はすなわち、死と隣り合わせになったことがない人間、身近な死によって自分自身が変容するという経験がない人間の所業だと私には思える」と指摘する。最近SNS上でも見られる、頭がよいと見なされる振る舞い、に違和感があった私は心救われた思いがした(略)近頃では若い人にかぎらず、アタマの良さに固執する人はたしかに私情混入を嫌悪しているようにさえ思えると私は思った』と書かれています。
 島本氏が書かれたこの部分を読み、私は2つのことを思い浮かべました。一つは、お役人と教員の違いです。お役人は学校や子供について語るとき、数字を基に話します。不登校が○名、前年度に比べて△%増加、いじめの発生件数は○件、そのうち重大事態に該当するのは△件といったぐあいです。
 そこから、スクールカウンセラーの配置をどうするか、そのための予算はいくらになるか、と対策を肉付けし、実現していきます。その過程に、いじめられているのに頑としてその事実を認めようとせずに歯を食いしばっていたAさんの顔も、学校に行こうとしても体が動かなくなる我が子について涙を浮かべながら話す保護者Bさんの姿も存在しません。考えようともしません。それでこそ有能なお役人と言われるのです。
 一方、教員は何人かのAさんやBさんをイメージしながら、「カウンセラーが週1回では、本当に困っている子供を救えないんです。ようやく相談しようという気になってもその日にカウンセラーがいなければ、次の日にはもういいよ、と口を閉ざしてしまうんです」と訴えるのです。どちらがよいではなく、そういうものだということです。
 そしてもうひとつ浮かんだのは、若い教員が、アタマの良い人になりつつある傾向が強まっているのではないかということです。最近、大きな病院に行くと、医師は患者の顔も見ずに、データが表示されたパソコンの画面ばかりを見ているという批判がありますが、若い教員も子供を見ずに、アンケート用紙や調査用紙ばかりを見て、「大きな問題はなし」「特段の対策が必要な事案はなし」などと判断してしまっているということです。いじめが自殺等に発展すると、アンケートには記載はなかった、子供向け調査でもいじめがあるという記述は見られなかったなどと「言い訳」する例が多く見られます。
 困惑する子供、悲しむ子供、絶望する子供、嘆く保護者、怒りをむき出しにする保護者に接し、そのことで教員としての自分が変わっていくというような生々しい体験をしていない教員が増えているのではないかという危惧を覚えるのです。
 昔サラリーマン教員という言葉がありましたが、お役人教員に置き換わっていくというのでは笑い話にもなりません。

 

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